一九九五年 七月二九日
新宿の一角にあるライヴハウスS-TAは異様な雰囲気に包まれていた。
「おい、なんかライヴやるらしいぜ。そこらで三、四人でチケット配ってるよ」
カップルの男の方がそんなことを言ってるのを聞きながら、オレはそのライヴハウスの中へ入って行く。まだまだ準備中だから、出入口のドアは開放してあるようで、受付で何か作業をしていたSounpsyzerのスタッフに手を挙げる。控室に向かう途中であまり広くはないライブハウスの中をうろうろしている少平に会った。
「おぉっす、少平!」
「あ!りょ、諒さん!ざっす!な、何か俺駄目っす。緊張しちゃって、何が何だかだか……」
しょうがねぇなぁまったく。ま、無理もないか。プロとしての初めてのライヴだもんな。まぁオレも少々緊張しちゃあいるが、ライヴ前のこの緊張感はもはや快感……それもなんだか職業病のような気がして嫌だな。
「男ならドンと構えてろ。彼女とかダチとか来んだろ?」
「は、はい!」
「あ、少、諒、おはよ。頑張ってね、このライヴで一流か三流かって決めつけられちゃうんだから」
我がバンドのチーフプロデューサー、高崎礼美さんがオレ達の後ろから声をかけて来た。このデビュー直前ライヴも現場での当日チケット配布もすべて彼女が決めたことらしい。昔からのキレ者で突拍子もない企画を立ててはそのバンドを売ってきたのだ。オレがフリーの頃から顔見知りではあったが、だからそういった話を香瀬ちゃんから聞いた時に、ああ、この人は樹﨑光夜と同類なんだ、って思ったもんだ。だからって訳でもないが、それで同時に信頼もできたように思った。
「あ、礼美さん、おあよーっす。貴達は?」
「もうリハ入ってるわよ、君達も早く行きなさい。本番でトチんないように。それから当然OCEAN MUSICとかT.R.E.センシティヴとか嗅ぎつけてるからね。プレッシャーかけてる訳じゃないけど、自分達のロックやりたいんなら、気合入れてかかってね」
「うす!」
「は、は、はい」
少の奴、かなりあがってやがるなぁ……。今の礼美さんの言葉でそれが一気に浮き彫りにされた感はある。オレや淳、光夜は本番慣れしてるからこのくらいの緊張感は返って心地良いんだけどな。一月ちょっと前まで素人同然だった貴や、今までバンドを趣味でしかやってこなかった少平は、この緊張感を解すのにはかなり大変だろうと思う。よく判るけど、だれもが必ず通る道だからな。こればかりは仕方ないことだ。
「うーっす」
「あ、諒ちゃんおはよー」
オレが少平と控室に入ると、光夜が一人で座っていた。
「いよいよだね、お楽しみ。そーだ少、いいこと教えてあげるよ。本番になったらね、諒と貴の音だけ集中して聴いててごらん。どんなに緊張してても勝手に手が動いてくれるはずだから」
「リズム隊、ってことですよね……?」
言いながら少平はオレを見る。ちょ、やめろ、そんな目でオレを見るな!
「そう!そしたら僕の声とか淳の音、歓声なんかも聞こえてくるよ。少自身が気持ち良くなってるのも判ってくるからさ、そしたらもうこっちのもの。あとはいけるとこまでいっちゃえるから。大丈夫大丈夫!あんなに一生懸命みんなで練習したんだもん、巧く行かない訳がない!うん、へーきへーき!」
光夜は少の表情を見て、明るく、いつも通りに言う。
「わ、判りました!」
流石だな。実はこれ、結構ホントのことなんだけど、オレや淳が言っても駄目だろうな。光夜だからこそ説得力があるんだろう。俺が光夜の曲を叩く時に、バックバンドの中に新人がいると、良く言って和ませてた言葉だ。それに少平にとっちゃオレ達メンバーの中では一番言葉に重みがある男だろうしな。
「おっし、じゃあ光夜、オレリハ入るわ」
「俺も行きます!」
光夜の言葉でいくらか緊張が解れたのか、オレに続いて少平も頷いた。ステージに上がると、既に貴と淳が合わせていた。オレもドラムセットに着き、途中から合わせて叩きに入る。貴と淳が俺の方を向いてニヤリと笑った。こういう瞬間の一体感というか、通じ合っている感じはホント、バンドを演ってる奴にしか判らない。そういう呼吸ってもんがある。もちろんプロじゃなくたって、インディーズじゃなくたって、趣味でやってるだけでそれは感じることはできる。凄く簡単なことだけど、この瞬間は最高に心地良い。少ししてセッティングを終えた少平が入って来た。ボーカルなし、インストロメンタルの出来上がりだ。続けて三曲、マイク調整も踏まえてこなした後、貴がオレの方へ歩いて来た。
「悪ぃ、ちと休憩。あんま張り切って本番で腕上がんなくなったら洒落んなんねぇからさ」
ほう、貴はさほど緊張してないみたいだな。光夜に何か言われたのかもしれないけど。
「ああっ、ちょっと四人とも控室!礼美さんが話があるって!」
いきなり香瀬ちゃんがステージに上がって来て、大声を上げた。あぁ、まだ三曲分しか叩いてねぇのになぁ。
「あいよ」
「ちょっとあたし忙しいから!じゃね!」
貴が返事をしたと思うと、香瀬ちゃんはあっと言う間にステージから去って行った。さすがはマネージャー、オレ達には判らない、色々と面倒なことがある訳だ。先ほどきた通路を戻って控室へと通じる廊下に出たときに、意外な客に会った。
「よぉ。まさかお前なんかが樹﨑ん所のベースだなんて思いも寄らなかったぜ」
OCEAN MUSICの竹野代騎だった。自称光夜のライバルで、岬野美樹を成り上がりと言って認めない、超ナルシスト野郎だ。俺の知る限りでは。でも何で貴のことを知ってるんだろうか。
「てっきりあの女のオトコだとばかり思ってたんだがな」
竹野はニヤリと笑った。相変もわらず嫌らしい笑い方だぜ。
「え、どなたです?ここはまだ関係者以外は入れないはずでしょ。貴、誰?」
淳が今の竹野の物言いにムッと来たのか、少しきつい言い方で竹野にそう言った。
「無知な奴が多いん……」
「えぇ?と?名前知らねぇけど、やったらがなった声出す……」
竹野の台詞をまるで無視してしゃあしゃあと貴は言った。わざとらしいけどこれ、ホントのボケだ。
「ハイパーハイトーンヴォーカリストの竹野代騎様、だよなぁ」
オレは竹野の変わりに御大層に言ってやった。
「三歩歩くと忘れるんじゃねぇのか?」
貴に向かってそんなことを言うけれど、判ってねぇな、コイツ。何をトンチキなことを言ってやがるんだ。
「そりゃおれの人生に必須項目じゃなきゃ忘れるでしょ普通……」
ほら見ろ。貴は本当に眼中にねぇ奴の名前なんて何遍言ったって覚えやしねぇんだから。
「え、あれハイトーンって言います?おかしいな、あれがハイトーンなら俺が知ってるハイトーンって一体……」
淳が竹野のことを思い出したらしく、以前から抱えていたんだろう疑問を口に出した。
「いやいや淳、そりゃあお前が間違ってるわ、サイキンのハヤリのニッポンの音楽シーンじゃあれはハイトーンって言うんだぜ」
当然淳も判っていながらの諧謔だろうが、こいつをとっちめるにはいい機会だ、オレもわざとそう言ってやった。
「……にしても凄いバンドだなぁ、光夜と谷崎以外はみんな素人上がりじゃねぇか。光夜も焼きが回ったんじゃねぇの?おまけに一人はガキときたもんだ」
オレと淳のやりとりをまるで無視して竹野が言った。なんかほんと、暇なのかな、こいつ。
「てめぇんとこにゃセクシー小学生四人組がいるじゃねぇかよ。カラオケ上手な素人ダンサー集団かっての」
確か、ものすごい勢いで売れ始めたアイドル四人組だ。本当は一〇代も後半の女だけど。オレにはちょっとカラオケの上手いそこらのガキにしか見えない。
「諒さん、流石にそこと比べないで下さいよ。俺達カラオケやってんじゃないすから」
ちぇっ、オレが怒られてちゃしょうがねぇや。別に比べた訳じゃないんだけど。
「言うことだけは一丁前だな」
あ、引っ込みつかねぇんだこいつ。面白ぇ。
「音楽、聴いてって下さいよ。俺達の!光夜さんの歌だけじゃなくて!」
少平はかなり頭に来たらしいな。あんな怒った表情、淳と作曲中に喧嘩した時にだって見せなかったもんな。しかしなぁ……。
「無理だろ。声の高さが歌の上手さだと思ってる奴に音楽なんか判る訳ねぇよ」
せせら笑って俺は言ってやった。あぁ、すっきりする。
「行こう、礼美さんが待ってる。オレ達が相手にすんのは本物の音楽を楽しみにしてる人達だけなんだし。そんな暇じゃないっすよ」
淳がいい加減呆れたように言う。まってくもってその通りだ。
「光夜以外認めないってのももはやイミフですけどね、メンバーのことバカにするんなら一曲でも聴いてっからにしてくださいや。そちらさんもミュージシャンのつもりなら。ま、まぁ理解できなかったらごめんなさいねぇ」
随分とおちゃらけて貴は言ったが、強烈な皮肉だな。竹野がどんな顔をしてたかなんてオレは興味もなかったが、いきなりフッかけてくる奴の相手なんてこんなもんで充分だろ。
「おら、いくぞー。お前ら知らねぇかもだけどな、礼美さん、まじで怒ったら香瀬ちゃん以上だかんな」
オレは言ってみんなを促した。誰も竹野を気遣うことなく歩き出したけど、ま、竹野もこれで帰るようなら音楽なんかやめた方がいい。
「えぇ、まじすか……」
ここんところ香瀬ちゃんと何だか良い雰囲気の淳の顔が青ざめた。
「あ、全員来たわね。あとは美沙希だけか……」
オレ達は光夜と礼美さんのいる控室に入って、各々腰を下ろした。香瀬ちゃん目茶苦茶忙しそうだったけど、来れるのかな。ちょっと心配になって来たぞ。
「わぁーゴメンゴメン!じゃ始めてくれます?光夜、手短にお願いね、忙しいから!」
ドアをぶち破らんばかりに香瀬ちゃんが控室に入って来た。二言目には忙しい、か。本当に大変だなぁ。
「おっけ。んじゃ、僕から話すけど、みんな本当にありがとう、僕のために。僕さ、みんながみんなじゃなかったら復帰なんて断固断ってた!だって復帰するからには絶対バンドじゃなきゃ嫌だって思ってたし、バンド演るなら最高のメンバーじゃなきゃって思ってたし!だから、本当に感謝してる」
「ばーか、何か勘違いしてんじゃねぇか?お前。別にお前のためだけじゃねぇよ。オレがお前とやりたいって思ったからここにいんだろ。礼を言うのはこっちの方だ」
みんなの演りたい、って思いがあってこそのバンドだろうが。
「ばーか、て言われた後に礼言われても嬉しくない……」
後によよよ、とでも付きそうな感じで光夜は言った。
「素直じゃないですからなぁ、諒ちゃんは昔っから」
「お前に言われちゃ終ぇだぜ」
「へへっ」
貴の余計な突っ込みにオレは更に突っ込みを入れた。笑って誤魔化してるけど、涼子ちゃんと付き合うのだって、てめえが素直じゃなかったばっかりに、一騒動あったくせに。
「でも本当に諒さんの言う通りですよ。みんなが光夜さんに惹かれたから、ここにいるんですから。俺だって本当に楽しかったし、まだまだこれからもみんなと楽しみたいって思うし」
だからこそ少平は学校と両立というキツイ立場でもやってこられたんだし、淳だってインディーズ界ナンバーワンなんて言われてるフレアシードを抜けてまで光夜に着いてきたんだとオレは思う。
「おれもそうだな……」
あんまり多くは語らないけど、涼子ちゃんに苦労させて、自分自身の普通の生活まで捨てて。黙ってろって言われてっから言わねぇけど、結婚式の準備だってやってるんだ。多分辛かったと思う。惚れた女を護るどころか苦労までさせてるんだから。だけど、得たものは絶対に大きかったと思う。短期間で異常な程、普通じゃ考えられないスピードで上達してるし。それが自信になってるって、今の貴を見てると良く判る。
「光夜さん、上々の現状捨てて、別のことやりたくなる気持ちって判るかな。ホントにあるんだ、そういうことがさ。だからオレはフレアシードを抜けて光夜さんとやろうと思ったんだ。そういう力が光夜さんにはあるんですよ。だから正直言うと、光夜さんの復帰のためって訳じゃない、光夜さんとバンドやりたいって思ったみんながここにいると思うんだ。だからさ、そんな、ありがとうって言葉はオレ達全員が礼美さんと美沙希さんに言う言葉なんじゃないかな」
全員が淳の言葉に頷いた。一番の本音だろうな、オレ達全員の。
「その言葉は今日が無事終了するまでとっておいてもらって、あたしの話、聞いてくれる?」
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