「わ!また本物だ!え?なんで泣いてんだ?」
僕は風間の顔を見ながら一歩下がった。別に風間に道を譲ってやろうとかそういう訳じゃない。どこかのエクセレントバンドに所属しながらイカレすぎているドラマーがあまりにもデリカシーのないことを口走ったからだ。
「いてぇ!おま、あし、足!踏んでるって!」
「樹崎」
風間も僕に気付いたようだ。
「よくもこの世界にいられたものですね」
ばか者の足の上に置いた自分の足を床に下ろして風間に言う。冗談じゃない。表沙汰にこそならなかったが、過去に一度、あんな事件を起こしておいて……。
現に今も早宮響は泣いている。
「響!戻ってこい!聞き分けのないことばかり言うんじゃない!」
無視、か。
「また人を殺すって訳ですか」
「光夜……」
オバカベー、基、貴が尋常じゃないこの雰囲気を感じたのか、低く僕の名を呼んだ。そうさ、どんなに貴がオバカだって空気くらいは読めるんだ。
「いつ誰が人を殺しただと?人聞きの悪いことを言うな」
「てめぇ、風間!」
諒も遅まきながら風間の存在に気付いたようだ。諒と僕とは僕がソロ時代からの付き合いだ。当然自殺未遂をしたアイドルのことも良く知っている。
「今、彼女は歌うことも音楽を楽しむこともできないでいる。気丈に振舞ってますけどね……。でもあれじゃ死んでるのと同じだ」
噂くらいは耳に入っていたはずだ。
「あの時の責任があなたにないとでも思ってるんですか?」
事件の後、早々と姿をくらました風間に会うことがあるのなら、必ず言っておかなければならないと思っていた言葉だ。
「で、またこの子も同じようにすんのかよ」
諒も幾分か声を低くして言う。僕が曲を提供してピアノを弾いて、諒がドラムを叩いていた。当時の売りだし方はアイドルだったとはいえ、彼女がどれだけ本気で音楽を愛していたかは諒も良く知っている。
「?」
この状況に置いていかれた貴、少、淳、響ちゃんがきょとんとしている。
「は、美奈か。別に死んじゃいない。それに俺に責任はない」
「ばっくれてんじゃねぇよ!ウチで粛々と事務仕事やってんたぜ。あんな思いしても、音楽を楽しめなくなっても、それでも捨てることなんかできなかったんだ。あいつの歌は本物だったのに。まだ歌いてぇって思ってんのに!」
諒は僕を押しのけて風間の胸座を掴んだ。
「諒、よせ!」
諒の肩を引き戻して僕は強く言う。僕だって同じ気持ちだ。本当なら手加減なしで殴り倒してやりたいくらいだけれど、こんな男と暴力沙汰になったら解散にまで追い込まれる可能性だってある。僕はこれ以上風間に何も言う気は起きなかった。どうせ何も聞き入れやしない。ただ、あの時から燻ぶり続けていた自分の憤りを吐き出しただけだ。でも、諒の行動のおかげで僕は幾分か落ち着きを取り戻せた。僕は風間に背を向け、響ちゃんと向き合う。
「……あ、あの?」
涙も止まってるみたいだし、僕の言うこともちゃんと理解してくれるだろう。
「率直に訊くけど、もしもアイドルじゃなく歌手としてやって行きたいって思ってるんなら、ウチに、Sounpsyzerに来ない?」
移籍の交渉。こんなこと、事務所も通さないですることじゃないし、できないことだって充分解っている。ただ、彼女がどう思っているのか、彼女の真意、それが知りたかった。
「歌手……で?」
拳を口元に当て、響ちゃんは俯いた。彼女自身もまた判っているんだろう。今の僕の言葉だけでは何も変らないことが。
「バカなことを!事務所も通さないでそんなこと!」
風間が口を出したが、今度は僕がそれを無視した。今はそんなこと問題じゃないんだ。それに響ちゃんの答えは聞かなくても判る。大方そのことで風間と口論になって控え室を飛び出したのだろう。何もかもが似ているんだ。美奈の――言枝美奈の時と。
「どうやら彼女は移籍を望んでるみたいだ。後日正式に交渉しに伺いますよ」
背の風間に振り向きもしないでそう言うと僕は響ちゃんに手を差し出した。響ちゃんは少しだけ笑って握手をしてくれた。
「……」
風間は出す声もなく立場もなくしたのか、ただ呆然としていた。
少しの間、控え室で貴と淳、そして少にことの一部始終を話して聞かせた。
「ま、知ってどうなることでもないけどさ、話してくれて良かった」
そういう反応が一番貴らしくて安心できる。僕や美奈にとってもその方がありがたい。何も考えてないようで……考えてないんだろうな、実際。気配りだとか心配だとか、そういう気の回し方を、何も考えずに、ごく自然に感じ取って、気を回すという意識すらなく、振舞えるんだ。だからこそ貴なんだし。
「俺は、あの人許せないです」
「せめて早宮響だけでもなんとかしてやりたいな」
少と淳が口々に言う。
「そこで礼美さんの出番だろ?光夜」
腕を組んで諒が言った。まさにその通り。その時は僕が付き添いに行っても良い。
「そういうこと。近いうちに必ずSounpsyzerに引き込んでやるさ」
――三ヶ月後――
ことは上手く運んだ。公表はまだ先の事だけれど、今日は響ちゃんが初めて四谷のスタジオに顔を見せる。それと今日はかねてより計画していた仕返しの日だ。僕はみんなが集まっているはずの”ダベ室”のドアを開けた。
「おはよぅThe Guardian's Blueの仲間達ぃ!」
「あ、樹崎さん、おはようございます」
一番に響ちゃんが挨拶して、ぺっこりと可愛らしくお辞儀。うんうん、可愛くて礼儀正しくて素晴らしいね。それに比べて我がThe Guardian's Blueのメンバーは挨拶もせずに僕の顔をじっと見ている。何とガラの悪く礼儀のなっていない連中なんだ。まったくリーダーの顔……親の顔が見てみたい!
「……何企んでいやがる、バカ光夜」
挙句の果てにバカ光夜ときたもんだ。なんと粗暴な連中だ。その粗暴な視線を代表するかのように呟いたのは諒だった。なかなか鋭いじゃないか。
「いやー、大したことじゃないさ。えへへ」
「えへへじゃない」
びし、と貴が言い切る。いや、まいったなー。僕が何を企んでいるのかは、どうやらバレバレのようだ。
「まさかとは思うけど?光夜さん……」
「自分でやりたくないからって、オレ達に曲作らせる気じゃ……」
おぅ、息ぴったりだね、我がThe Guardian's Blueのツインギターは。なんて言ってる場合じゃないぞ。淳の言うことは合ってなくはないけどたいへんな語弊がある。仕方ない。僕はバッグに入れておいた、とある雑誌のスクラップを見せた。
「あ?何だそら」
「ことととん!Rock Off 十月号ぉ~!はわんはわんはわ~ん」
未来から来た猫型ロボットの物真似をして僕はそのスクラップを高々と掲げる。
「!」
あまりに不自然に、響ちゃん以外全員の顔があらぬ方向を向く。擬音をつけるならギ・ガ・ギ・ギ・ギ……。
「……」
貴と諒が慌てて煙草に火を点ける。即座に手を伸ばし、二人の間に置いてある空気清浄機のスイッチを入れるところは流石に草羽少平だけれど、少ちゃんも随分と可愛げがなくなってしまったなぁ。ちょっと悲しい。とか言ってる場合じゃない。
「響ちゃんの曲は勿論僕が創るよ、当然ね!創りたいしね!ただねぇ……ウチのリズムはどっちもノーテンキなロックンロール好きだしねぇ。カップリングでそういうの響ちゃんに歌ってもらうのも、めちゃくちゃ魅力的で面白いんじゃないかなぁ、なぁんてね!」
にやり、と顔を歪めて僕は貴と諒をじっとりとねめつける。
「や、ほ、ほら、響ちゃんはそんなの嫌がるじゃん!ロック調よりもやっぱ落ち着いた綺麗な感じのやつをじゃん……」
語尾がバグってるけど大丈夫ですか、ノーテンキオバカベーシスト。
「だから、当然そういうのは僕が創るの。響ちゃんの歌唱力を抜群に生かせる曲をさ、書くよね!超本気で!」
ぐん!とサムズアップ。今日今ここに、礼美さんも、香瀬ちゃんもいないってことはだよ、僕が好き勝手にやっていいってことなんだよ!判るかい!天才ゆえの行いが、樹﨑光夜を樹﨑光夜神としたのだ!これぞ今まで僕がSounpsyzerに尽くしてきた報恩というもの!
「わたし、ロックも大好きですよ」
「い、いや、待て待て早宮!」
悪意など毛の先ほどもない純粋無垢な言葉に返す言葉を失う元不良少年ども。面白い。とても面白い!
僕は今、とても満足だ!
「そういう訳でよろしくー諒、貴。あ、そうそう、ギターソロとアレンジはちゃんとギターの二人がキッチリ考えるようにね。そこはリズム隊に頼ったら……ひどいよ」
「……!」
うへへ。してやったり。少と淳はまだ僕の良いところを言ってくれたからこのくらいで許してあげるのだ。でも好き勝手にほとんど悪口を言ってくれた諒と貴にはそれなりのことをやってもらう。という訳で仕返しはこれで完了。
ま、冗談はここまでにして、この二人なら絶対響ちゃんに似合う格好良いロックンロールを創るだろうし。
「仕方ねぇなぁ……おい早宮」
煙草の煙を空気清浄機に吐き出しながら諒が低い声で言う。
「は、はい!」
「これで手を打とう」
諒はぴぴん、と二本指を立てた。
「に、二万円!」
少が頓狂な声をあげる。な、なにを……。
「ばっ、バカなこと言うな!サインだよサイン!」
だよねぇ、でも二枚って……。何でだろう。一枚は貴の分だとしても……。
「諒ちゃんも好きなんだってさ、実は」
うーん、とうなる僕に貴がそう言ってきた。
「え……?あ、はい、判りました!」
響ちゃんはアイドルの時よりも数倍も魅力的な笑顔でそう言った。こうして一人の才ある歌い手が道を得た。
あぁ、僕って偉いなぁ。誰か誉めてくれないかなぁ……。
恵衣子さんが応接室に入ると、僕を見るなり言う。
「何?やけに上機嫌ねぇ」
「ま、ここの所いいことが続いてね。樹﨑光夜神、恵衣子さんも崇めとく?」
つい先日、響ちゃん用の曲を諒と貴が上げてきて、響ちゃんに歌ってもらったんだけども、これがまた、想像以上に良いだろうなぁ、なんて予想してたものを軽くぶち抜いて、宇宙的に素晴らしかったんだ。ジルバでも踊れそうなくらいの昔ながらの明るく楽しいロックンロールで、響ちゃんに似合う可愛らしい感じ。思わぬ才能を見つけてしまったよ。あの粗暴さすら感じる元ヤンオバカコンビがあんなに可愛らしくも芯の通ったロックンロールを創れるなんて。僕の創った曲の方はミディアムテンポでピアノとアコギをメインにした曲。響ちゃんの声を一番生かせるように考えに考え抜いた曲だ。当然響ちゃんに曲を提供するだけにとどまらず、作詞は彼女にしてもらい、僕や諒達が曲を創る時にもちゃんと立ち合ってもらって、彼女の意見も充分に取り入れた。そう遠くない未来、響ちゃん自身が作曲に興味を抱くように仕向けながら。そうしてでき上がった曲は二曲とも僕も諒も貴も、響ちゃんも、お互いがお互いを嫉妬してしまうくらいの素晴らしい曲になった。聞いた噂では風間も男性コメディアンのマネージャーになったらしいし、そんなこんなで最近の僕はやたらとニコニコしている。
「何それ。早宮響移籍の件でしょ?」
「耳が早いねぇ、さすが恵衣子さん。さって、貴からもらった飛びきり美味い紅茶を淹れるよ。そしたら始めますか」
正確には貴の奥さんの涼子ちゃんからもらったんだけど。それを飲みながら、来月雑誌に載せる僕の単独インタビューだ。
「あら光夜君が淹れてくれるなんて珍しい!明日は核爆弾でも降るのかしら」
多分僕の陽気が移ったんだろうか。あはは、と笑いながら恵衣子さんはソファーに座った。
「あ、酷いなぁ。そんなこと言うとまともなこと喋んないよ」
「え、光夜君がインタビューでまともなことなんて喋ったことあったっけ?」
「えっと、恵衣子さんって紅茶は塩三杯だっけ?」
僕は恵衣子さんにそう反撃するとにやり、と笑って見せた。
「私がインタビューを始めようとすると樹崎光夜はまず塩入り紅茶を私に勧めた――っと。書き出しはこれね」
僕の笑顔は一秒で苦笑に変わる。いつも諒と貴で遊んでる僕をいとも簡単に丸め込む。いつまでたっても恵衣子さんにはかなわないなぁ……。いまだに勝った試しがないや。
「んん!樹崎光夜はまずインタビュアーである私においしい紅茶と軽い笑いを提供してくれた――で決定ね!」
「あはは、判ったわよ」
そんなこんなで僕のインタビューは始まった。
もちろん愛すべきThe Guardian's Blueのメンバーの一人としてね。
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