「なんだと……!?」
アントニウスはその細い瞳を僅かに見開いて、驚きをあらわにした。
「食材が手に入らないなら取りに行くしかないじゃないですか!」
「本気で言ってるのか……? 森は危険だぞ?」
「私だってこのヘルマー領には森を抜けてきたんです。きっと大丈夫です」
「街道を進むのと狩りに行くのじゃ大違いだ。深い森に入っていくとモンスターも大量に出てくる」
心配しているのか、強い口調で警告してくるアントニウス。でも、それを言うなら私だって街道を外れて川で水を飲んでたらイノブタに襲われるという体験をしたので、森の中が怖いというのはなんとなく分かる。
「だったら──親衛隊の二人を連れていきます!」
「おいちょっと待て、オレらはユリウス様の親衛隊であってティナの親衛隊じゃないんだが!」
「ついてきてくれますよね……?」
抗議の声を上げるウーリと、もう一人の親衛隊の筋肉マッチョの顔を、私は交互に見比べた。二人とも呆気に取られたような表情をしている。その様子はなんかひょうきんで可愛らしくもあった。
私の瞳から本気であることを察したのか、二人の表情は直ぐに引き締まった。そして、ゆっくりと頷いて同意を表す。すると、アントニウスは深くため息をつきながら首を横に振った。
「やれやれ、これは言っても聞かないだろうな。──ついてこい。森を案内してやる」
「あ、ありがとうございます!」
こうして私と三人の筋肉マッチョは狩りへ出かけることになったのだった。
☆ ☆
分かっていたことだけれど、街道から外れると足元がとても悪い。岩は無秩序に転がっているし、いきなり崖が現れたり、ないと思っていたところに木の根が出張っていたり、倒木があったり。先導してくれるアントニウスの案内がなければとっくに遭難していてもおかしくなかった。
一度装備を整えるために住処に戻り、再集合して森に入った私たちは、一時間ほど歩いて森に入っている。
「ほら、あそこにたくさん生えている草があるだろ? あれは食える山菜だぞ」
「そうなんですか! じゃあとりあえず採っておきますか」
「採りすぎるなよ」
アントニウスが指さした先に群生していた背の低い植物に視線を向けてみる。私は正直山菜の見分け方なんて分からないし、なんならみんな同じに見えたりするので、アントニウスの言葉はありがたかった。
足元に気をつけながら山菜に近づいてみる。緑の葉に触れると、それは表面はザラザラしているものの繊維は柔らかく、確かに食用に適していそうだった。
(この葉っぱだったら……どう調理するのがいいのかな?)
そんなことを考えながら葉を採集していく。両手でとれるだけ採ってから、葉を麻袋に詰めてアントニウスたちの元へ引き返した。
「えへへ、たくさんとれまし──ふぁっ!?」
気を抜いてしまった私は、足元に張っていた木の根につまずいて派手に転んだ。とっさに地面に手をついたので服が泥だらけになることは免れたものの、代わりに羞恥心で顔が真っ赤になった。
「おいおい、気をつけろよー?」
「こうして見ると、ほんとに妹みたいだな」
親衛隊の筋肉マッチョたちがそう軽口を叩きながらわらうものだから、さらに恥ずかしくなってくる。──全く、大人は意地悪だ。
「むぅ……」
しばらく私はムスッとしながら、さらに森の奥へと進む隊列の一番後ろを歩いた。すると今度は前を歩く親衛隊の二人がちょくちょく振り返って私が遅れてないか確認してくるので、これはこれで歩きづらい。なによりも、足でまといになりそうと思われていることが少し癪だった。
アントニウスは道端で食べれる山菜やキノコ、木の実などを見つけるとその度に声をかけてくれ、私はそれを採集した。が、草やキノコや木の実ばかりではユリウスを満足させることはできないだろう。──メインディッシュが必要だ。
(なにか、食べられそうな動物はいないかな?)
と思っていると、先頭を行くアントニウスが唐突に立ち止まり、地面にしゃがみこんで何かを見ている。そして、私に手招きをしてきた。
私がアントニウスに近寄ると、彼は地面を指さす。そこには土と落ち葉に覆われた地面に、なにかの模様のようなものが刻まれていた。
「イノブタの足跡だ。とても新しい」
「……ということは?」
「この近くにいるぞ。気をつけろ」
アントニウスの言葉に親衛隊の二人が身構えて周囲をうかがう。武器は抜いていないがそのたたずまいには並々ならぬ気迫があった。私も背中に括りつけていたフライパンを抜いて構えてみる。
周囲の地面を調べていたアントニウスは、また別の足跡を見つけたようだ。ある一方向を指さす。森の奥の方角だ。
「足の向きから推測して、イノブタはあっちの方向へ向かったらしい」
だが、直ぐにアントニウスは首を傾げた。
「いや、これは別の個体……ということは……気をつけろっ!」
「!?」
アントニウスが言い終わる寸前、ガサガサと周囲の草が揺れ始めた。何かがいるのだろう。イノブタなのか……それとも……?
それが現れたのは私たちの背後からだった。
勢いよく飛び出してきた毛むくじゃらの魔獣──イノブタだ。それも体長2メーテル近くはありそうな大物。それがまっすぐに私たちに向かって疾走してくる。
「くそっ!」
真っ先に反応したのは狩猟の経験が豊富なアントニウスだった。背中に背負った大きな弓を素早く構え、腰の矢筒から抜いた矢をつがえて放つ。それまで僅か数秒のことだった。黒い羽根のついた矢は、見事にイノブタの左目に突き刺さった。
そしてそれとほぼ同時に、親衛隊一の筋肉マッチョ──ウーリが動く。
「おらぁぁぁぁっ!」
という雄叫びを上げながら、なんと素手でイノブタに掴みかかった──否、駆け出したウーリはそのまま肩からイノブタの横っ面に突っ込んでいったのだ。
──ボグッ! という肉を打つ音、そして何かが砕けるような鈍い音が響いた。
倒れたのはイノブタだった。そして間髪入れずにウーリが腰の剣を抜いてイノブタの首筋を裂きトドメを刺す。アントニウスの矢によって視界を奪われたイノブタを体当たりで昏倒させるなんて、さすが筋肉マッチョとしか言いようのない芸当だった。彼の体当たりはイノブタの突進よりも強いのだろうか……想像するだけで鳥肌が立つ。
「ふぅ、準備運動にもならなかったな」
「さすが、やりますねウーリ隊長は」
などと、肩をぐるぐると回しながら笑う親衛隊の二人。私は開いた口がしばらく塞がらなかった。この領地、領主も老人も魔導士も親衛隊も化け物なのだろうか。もちろん色んな意味で。
「イノブタの肉は食えるな。オレたち二人で担いで帰ろう」
「嘘だろ勘弁してくれ、せめて解体してくれ、内臓は食えないところが多い割に重くてかなわない」
「違いねぇな。じゃあちゃちゃっと捌くかね。ティナ、どこかほしい部位とかあるか?」
ウーリの問いかけに私は考え込んだ。ユリウスの好きそうな料理を作る時、イノブタのどの部位を使えばいいのか。こんなに立派なイノブタを仕留められたのだから、他の部位を捨ててしまうのはもったいない気もする。とりあえず全部と言いたいところだが、1トン弱もする大物のイノブタを持ち帰るのはさすがに怪力の筋肉マッチョ二人でも厳しい。──だとしたら。
「とりあえず肩で」
「あいよ!」
慣れた手つきでイノブタを解体していくウーリたち。しかしその時、アントニウスが慌てた様子で声を上げた。
「おい、マズいぞ」
「どうした?」
「奴らが来る……」
解体を中断して周囲を警戒し始めたウーリたち、私も異変に気がついた。──辺りが妙に騒がしい。動物の鳴き声や──人の叫び声だ。
「……!」
なにかの気配を感じて振り向いた私。その胸の前をなにかが勢いよく通り過ぎていった。
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