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冒険者ギルドのお姉さんから契約書を預かった私は、お姉さんにお礼を言って建物を後にした。ヘルマー領では雇い主であるヘルマー伯爵が待っている。貴族のことについては疎いのでどんな人なのかさっぱりわからないけれど、急いで領地に戻ったということはかなり忙しいのだろう。人手が欲しくて私を雇ったのだろうか? だとしたらあまり待たせたくない。
私はすぐにでもヘルマー領の首都『ハイゼンベルク』へ発とうと思った。本当はあと何人か挨拶をしたい人はいたけれど、貴族に雇われているのだからまた王都に戻る機会はあるだろうし、その時にでもいいだろう。
とはいえド田舎のヘルマー領まで歩いて行っては何日かかるか分からない。まともに冒険をしたことがない初心者冒険者の私だったら、辿り着く前に体力が尽きてしまうだろう。数日も宿に泊まれるほどのお金は持っていないし、一人での野宿はモンスターや野盗に襲われる危険も多い。
(とりあえず、ハイゼンベルクへ向かう荷車にでも便乗させてもらおっと)
王都には様々な領地から行商人がやってくる。領地で採れた又は作られた特産品を王都で高値で売っているのだ。そして、行きは荷物を満載していた彼らの荷車は帰りにはほぼ空っぽになっている場合が多い。お金を払うから便乗させてくださいと頼めば断られることはないだろう。
私は人で賑わう市場へ行って、馬が引いている荷車の乗り手さんに片っ端から声をかけていった。
「すみません、この荷車ってヘルマー領に行ったりしませんか?」
「ヘルマー領? 行かねぇなぁ……」
「すみません、ハイゼンベルクまで乗せていってほしいのですが……」
「ハイゼンベルク? はて、どこだったっけな?」
なかなか芳しい返事が貰えない。
(もしかして、ヘルマー領からの行商人は王都には来ていないのかもしれない……なにせド田舎だから)
ド田舎という言葉が今更重く私の心にのしかかってくる。
(行くだけでもこんなに苦労しなきゃいけないなんて……いよいよ胡散臭くなってきた……大丈夫かなぁ)
もちろん、ヘルマー伯爵は馬や馬車で来ているのだろうが、これでは交通の便が不便どころの騒ぎではない。街道は通っているのだろうか? そもそもヘルマー領って同じセイファート王国なのだろうか?
そんな疑問すら湧いてきた。
が、100人ほど尋ねただろうかというところで、やっとハイゼンベルクの近くを通るという行商人を発見することができた。老人男性を背中に乗せた貧相な馬がボロボロの荷車を引いている“いかにも”な見た目の行商人だった。老人は私が声をかけると、しわしわの顔をくしゃくしゃにしながら答えた。
「あぁ、ヘルマー領の近くを通るよ。まあ、ヘルマー領に行くにはそこから森を抜けにゃならんが」
「ほんとですか! じゃあそこまででも乗せていってもらえませんか?」
私は水を得た魚のように、老人にすがりついた。すると老人は怪訝そうな目つきで私の身体を眺める。
「構わんが、お嬢ちゃんヘルマー領まで何しに行くんだえ? お使いにしては遠すぎる気がするがな……まさか家出──」
「なにがお使いですか! 私は18歳で、れっきとした冒険者です!」
「はえーっ、こんなにちっこいのが冒険者とな! いったいどんな戦闘スキルを持ってるんだえ?」
「ちっこくて悪かったですね! 私は戦闘のスキルは持ってませんが、料理の腕はちょっとしたもんなんですよ!」
私が答えると老人は、ふはははっと愉快そうな声を上げて笑った。
「なるほど、ヘルマー伯はよほど使用人に困っていると見えるわい。──それにしてもヘルマー伯もついに異性に興味を示されたか……しかもそれがこんなにちっこい少女というのがまたヘルマー伯らしいだえ。もしかしてロリコ──」
「誰が幼女ですか! だから、私は冒険者なんですって!」
「きっと冒険者さんは夜の方のスキルをお持ちに違いないで」
「はぁ……?」
冒険者ギルドのお姉さんから与えられた装備のおかげで男の子には間違えられなかったが、代わりに使用人だとかロリだとか、さらには伯爵の夜のお相手的なニュアンスまで匂わされ、私は怒り心頭だった。
(……と、落ち着け落ち着け……ここで怒ったらヘルマー領まで行けなくなっちゃう)
ふつふつと湧き上がってきた苛立ちと恥ずかしさを無理矢理抑え込み、私は努めて笑顔を作るようにした。
「……ま、まあそんな感じですねあははっ」
「そうかそうか、ふむ……では乗っていくとええで」
老人は親指で背後の荷車を指す。乗れということなのだろう。
釈然としない部分はあったけれど、これでとりあえず足は手に入れることができた。私は木製の荷車の荷台によじ登った。荷台は幌のない簡素なものだったが、それなりに広く、古びた木と土の匂いがする。そして、その隅には売れ残ったものであろう野菜がうっすらと積み上げられていた。
私が乗ったのを確認した老人が、馬に鞭を入れて馬車を発車させる。古びた馬車はゴトゴトという音を立てながら石畳の道を進む。やがて、馬車は城門に差し掛かった。
城門には兵士が何人も立っており、出入りする人物や荷物などを確認しているのだが、当然王都に出る時の方が入る時よりも確認は甘い。せいぜい家出貴族が王都の外に逃げ出さないかだけを確認するくらいだ。
「そこの馬車、止まれ」
城門の近くで待機していた銀色の甲冑を身につけた兵士は、手に持った槍を振りながら馬車を止めた。すぐに兵士の視線は荷台に乗っている私へと向けられた。
「──そこの娘は?」
「ワシの孫じゃ。最近めっきり足腰が弱くなってな……孫に手伝いにきてもらっとるんだで」
「はい、そうなんです!」
老人の言葉に、私は頷きながら話を合わせる。正直に話してもいいけど、私が冒険者だということを兵士に認めてもらうのはまた骨が折れそうなので、素直に老人の機転はありがたかった。
「へぇ……このちびっ子が爺ちゃんの孫ねぇ……」
兵士は、白髪の目立つ貧相な身なりの老人と、冒険者っぽい装備を一応身につけている私を見比べながら怪訝な表情をしていたが、やがて納得してくれたのか「行っていいぞ」と私たちを送り出してくれた。
こうして私は住み慣れた王都を後にして、雇い主であるヘルマー伯爵の待つヘルマー領へと旅立ったのだった。
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