ヘルマー領に戻った私たちは早速店づくりにとりかかった。
ひとまずユリウスに頼んで見繕ってくれた、ハイゼンベルクの中心付近に位置している空き商店を『黒猫亭』にならって改装していくことにした。
ユリウスとミリアムの三人で空き商店の下見に訪れると、そこは表通りに面したなかなか良い立地だった。
まあそもそも活気が失われたハイゼンベルクで、表通りに面していることがどれほどの集客力をもたらすのか分かったものでは無いが、裏路地に入ってしまってはそれこそ人っ子一人入らなくなってしまうだろう。
「なかなか良さそうですね」
「だろ? ハイゼンベルクの中では一番の歓楽街だ」
得意げに口にするユリウスだが、辺りの店はどの店が開店しているのか分からないくらい寂れている。
「一番の歓楽街ね……」
「なんだ? なにか文句でもあるのか?」
「いいえ、別に?」
「王都でやらかした宰相殿のためにタダで空き商店を用意してやったんだから文句言うな」
「べ、別に文句はないですよ……!」
私が帰ってきてからユリウスはヘルマー牛がブランドになれなかったことを相当気に病んでいるらしく、事ある毎に私に皮肉まがいのことを言ってくる。私も責任を感じていたので、あまり強く出れずに幾ばくかのやりづらさを感じていた。
「たのもーですわ!」
ミリアムが気まずい雰囲気をぶち壊すように大声を出しながら扉を開けて店の中に入っていく。するとそれだけでブワッと埃が舞った。
「うぇっ! ゲホッゲホッ!」
「なにやってるんです──ゲホゲホッ!」
「数年間使ってないからな……埃だらけゴミだらけだ。家具もどれくらい使えるか分からんぞ」
襲いかかってきた埃にむせる私とミリアムの後ろで、ユリウスは平然としている。
ミリアムについて店の中に入った私は思わずため息をついた。ユリウスの言葉どおり、そこは埃だらけゴミだらけで荒れ放題だったのだ。唯一の救いはまだ内装が店の体をなしていたところだろうか。掃除をして使えない家具を取り替えればすぐにでも店を開けそうである。
広さは『黒猫亭』よりも幾分広い程度。元も料理屋だったのか、調理場やカウンターなどは設置されていたが、荒れていてそのままでは使えない。調理道具も当然揃っていないのでそれも揃えなければならない。
(覚悟はしていたけど、すぐに店を開くのは無理そうだな……)
すると、私の不安を察したようにミリアムが背中をポンポンと叩いてきた。
「心配しなくても、私たちが手伝いますわ! すぐに改装終わりますわよ!」
「なんか最近先輩が優しいような……」
ミリアムはサッと視線を逸らして斜め上の空中を見つめ始めた。
「わ、わたくしはいつも優しいですわよ! なんてったって、『氷獄』の異名を持つ天才美少女魔導士ですから!」
「天才美少女魔導士だから優しいっていうのはよく分からないですけど……それに先輩は美少女というほどの年齢ではな──」
「──はい?」
「……いえ、なんでもないです」
私の記憶によるとミリアムは25歳。『少女』というには無理がある年齢だけれど、指摘すると殺気を放たれるので、これ以上触れるのはやめよう。
「店の名前は決めてあるのか?」
「そうですね……『黒猫亭』にあやかって『白猫亭』にしようと思ってます」
「白猫亭ねぇ……」
自分で聞いておいて、ユリウスはあまり店の名前に興味はないらしい。どうやら店の名前の話題は本題を切り出すための枕だったようだ。真剣な表情になった彼は徐に尋ねてきた。
「にしても、ほんとにこの店に客来るのか……?」
「もちろんこのままでは来ませんね。だからいくつか手を打ってあります」
「ほう、今度こそ期待していいんだろうな?」
「もちろんです。話題になればあとはお客さんがヘルマー領の美味しい食べ物を求めて後から後からやってきますよ!」
「そんなに上手くいくものかねぇ……」
「上手くいかせるんです!」
そこら辺に無造作に置かれていた、埃のかぶった椅子をパンパンと手で払って腰掛けながら怪訝な表情をするユリウスの瞳を見つめて私は力強い口調で訴えた。
隣でミリアムがうんうんと頷いていたのも私の力になった。私一人じゃもちろんできない。ユリウスがいて、ヘルマー領のみんながいて、そしてなにより今ではミリアムが私の心の支えになってくれている。
みんながいる限り、私は走り続けなければならない。それが私の責任なのだから。
「──料理の材料は商業ギルドのホラーツと農業酪農ギルドのセリムに話はつけてなんでも取り寄せてもらえるように手配はしてある。必要なものがあったら彼らに言うといい。まああまり希少なものは手に入らないかもしれんが」
「料理は全てヘルマー領で生産されているもので作りますよ。それがこの料理店のコンセプトですから」
「──ほう?」
ユリウスは少し眉を上げて続きを促した。
「私はこの料理店を通じて、ヘルマー領の魅力をアピールしたいと思っています。この料理店の料理を食べてヘルマー領にはこんなに美味しい食材があるんだって気づいてもらえたらいいなって……」
「なるほどな」
「ダメですかね……?」
「いや」
椅子から立ち上がったユリウスは扉を開ける。すっと日差しがさしこんで、私とミリアムの顔を眩しく照らした。
「すごくいいと思う。──全てティナに任せた。期待してるぞ」
(……えっ、なんかいつも以上にユリウス様が眩しく見えるんだけど……これはきっと日差しのせいだよね……そうだよね……)
胸に手を当てると、私の心臓はすでに早鐘を打っていた。
「……どうしましたの後輩ちゃん? 自分の胸の小ささを確かめてましたの? 触っても大きくなりませんわ──」
「違います!」
「違いませんわ!」
「ミリアム先輩だって人のことを言えないじゃないですか!」
軽口を叩いたミリアムに私が食ってかかると、なぜか彼女は余裕の表情を浮かべた。
「後輩ちゃんよりはありますし!」
「私だってこれから成長しますからね!」
と、私たちは互いに小突き合いながら空き商店を後にしたのだった。
☆ ☆
──数週間後。
親衛隊のマッチョたちやミリアムの手を借りて店の改装を終えた私は、いよいよ開店の日を迎えようとしていた。が、もちろん『黒猫亭』のように開店前に店の前に行列ができることはない。親衛隊のマッチョが数人待機しているだけだった。
「で、そろそろその秘策とやらを教えてくれません?」
私の助手として厨房に入ってくれたミリアムは不機嫌だ。先程からイライラと調理台を叩いたりしている。
「焦らなくても大丈夫ですよ」
「って言ってもなぁ……従業員としてオレたちだけにはこっそり教えてくれないか?」
同じく厨房に入ってくれているウーリもスキンヘッドの頭を掻きながら不満そうだ。もう完全に二人は私の料理の弟子である。私の持てる技もいくつか伝授してあるので、いざという時は一人で厨房を任せられる腕前にはなっている。
「うーん、そろそろ来るはずですけどね……あっ」
窓の外を見ていた私は、外から店内を覗き込んでいる二人の人影と目が合った。街の人でも親衛隊でもない。小洒落た服装でわかる。
目で促すと人影は恐る恐る扉を開けて店に入ってきた。
「あ、あの……こんにちは。『セイファート新報』のパトリシアと──」
「助手のイオニアスといいます」
ぺこぺこと頭を下げたのはお揃いの茶色い外套に身を包み、同じく茶色い帽子をかぶった二人の男女だった。
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