☆ ☆
それが夢の中だけの出来事だったらどれほど良かっただろうか。しかし私が帯びている密命は現実のことであり、それはもはや引き返せないところまで進んでしまっている。
夢から目覚めた私は、窓から射し込む光をぼんやりと眺めていた。どうやら知らないうちにヘルマー領のハイゼンベルク城に戻っていたらしい。
次第に記憶が戻ってきた。
あの後、大打撃を受けた双方の軍は統制を失い、そこへ北方から攻め込んできたノーザンアイランド連合軍にセイファート王国首都のディートリッヒを制圧されることになった。これに伴い、ヘルマー伯爵家も一時的にノーザンアイランドの支配下になってしまった。
特に示し合わせた訳でもないのに、父王ヨーゼフは実に効果的なタイミングで、漁夫の利を奪っていった形となった。
そして、私は暫定的にそんなヘルマー領を統治する役割を命じられ、ユリウスに代わってハイゼンベルク城の主に収まっている。
「人生って、非情ですよね……他人を上手く騙していかないと生き残れないんですから……」
かつてユリウスのものだった小さな部屋で独り言ちる。床や壁面をびっしりと埋めつくしていた書籍の数々は、私が命じて運び出したので、部屋は寝台がポツンと置いてあるだけの質素なものだった。
もっとも、本が嫌いなわけではなかったが、騙した形になってしまったユリウスの私物の書籍をそのまま置いておくのも何となく気が引けたのだ。
私は大きくため息をつくと、入口の扉に向かって声をかけた。
「──で、そろそろ姿を現したらどうです? ミリアム先輩、リアさん」
ガタガタッ! と大きな音が扉の向こうから響いてくる。
(まったく、私が魔力検知に長けているのは彼女たちも分かっているはずなのに……)
もしくは、わざと私に気づかせようとしたか。どちらでもいい。とにかく今は彼女たちの話を聞くしか選択肢はなさそうだった。ひとまず敵対的な気配は感じなかったし。
寝台から立ち上がった私が扉を開けると、そこには尻もちをついているミリアムと、隣で目をぱちくりとさせているリアの姿があった。きっと二人も今の状況が分かっていないのだろう。
何故私が突然ユリウスに成り代わって城の主になっているのか。
「ティナ!」
真っ先に静寂を破ったのはリアだった。彼女は自らの緑色の猫耳をピンと立てて、どこか落ち着かない様子で続ける。
「よかった……なかなか会えなくて、どこにいるのかなって探してたらここら辺から匂いがしたから……」
「心配してくれていたんですか?」
「え……うん。だって、あのライムントとサヤの戦闘にティナが巻き込まれたって聞いたから……」
その心配そうな表情に裏はない。恐らく本気で私を心配してくれている。私が彼らに負けず劣らずの実力があって、そしてその二人を倒してきたなんてことは露ほども考えていないだろう。そもそもリアの思考ではそこまで思い至る可能性は限りなくゼロだった。
ただ、ミリアムは違ったようだ。
彼女はどこか疑うような視線を私に向けている。
「後輩ちゃん……あなた……」
「……?」
「わたくしはあなたのように頭が回るわけではないので、どういう考えでこんなことをしているのか分かりませんが……」
ミリアムは彼女にしては珍しく、少し考えながら言葉を紡いでいった。
「つまり、何が言いたいんですか?」
「えぇ、わたくしにもこれが正しいことだとはどうしても思えないのですわ。もちろん、後輩ちゃんを信用していないわけではありませんが……これがほんとうに後輩ちゃんの望んでいたことですの?」
「正しい正しくないというのは個人の考えなのでなんとも言えませんが、私はできるだけ無為な犠牲者を出さないように立ち回ったつもりです。後悔はありません」
「……でも」
それでもミリアムはどこか釈然としないような。不満そうな顔をしていた。私は自分の出した結論が否定されているようでいい気分ではなかった。しかしそれは、自分でも自らが出した結論に対して懐疑的なものが多々あったからかもしれなかった。
しかし今更悔いてもどうしようもない。もはや事態は取り返しのつかないところまで進んでしまったのだから。
そして、そこまで進めてしまったのは他でもない私自身だった。
「用事が済んだなら下がってもらえますか? 私も忙しいので……」
私はこれ以上彼女たちと話しているのが辛くて、無意識に冷たい言葉であしらった。リアとミリアムの二人はどこか寂しそうにしながらも、抵抗することはなくすんなりと立ち去ってくれたので、私の心の中には罪悪感だけが残った。
(……嫌われちゃったかな)
それでもいいのかもしれない。もはや彼女たちが信用している『ティナ・フィルチュ』はどこにもいないのだから。今の私はノーザンアイランド連合の次期当主、『ティナ姫』としての私だった。だから当然、友人の事よりもノーザンアイランドの──祖国のことを第一に考える。
──なのに。
どうしてこうも心が傷んでしまうのだろうか。
やっぱり私はユリウスが治めていたこのヘルマー領が……ユリウスやミリアム、リア、ウーリたちと過ごした日々が大切だったのではないだろうか。祖国──ノーザンアイランドよりもずっと、このヘルマー領に思い入れがあったのではないだろうか──と。
「まさか、この私が……?」
聞いて呆れる。もしそんなことがあれば、私は父王に怒られてしまう。次期当主に相応しくないとして追放されるかもしれない。
そう、そんなことがあってはならないのだ。せっかくここまで上手く事が運んでくれたのだから。
「──ふぅ」
一つ息をついて窓の外を眺める。
ハイゼンベルクはいつも通り、何事も無かったかのように平穏だった。この領地の主が代わっていたとしても、今日も領民はせっせと働き、なけなしの金銭を得ている。そうしなくては生きていけないのだから。
──そう、弱肉強食。それがこの世界の掟。
弱いものは搾取される。強いものが成り上がれる。それはノーザンアイランドでもセイファート王国でも変わりはない。
(もう、搾取されるのは御免だから……)
仮とはいえ、数年間その弱者の立場を味わってきた私には、そんな思いが強くあった。搾取されるくらいなら、自分が搾取する側に回りたい。そういう生存本能的なものもあった。だが、先程のミリアムの言葉が気になっていたのも事実だった。
「私の望んだ結末……か」
そんな時、私の思考の間隙を突くように、ゆっくりと扉が開いた。
「──っ!?」
扉の向こうに立っていたのは、予想だにしなかった人物だった。私は二重の意味で驚いてしばらく言葉を失っていた。
(……どうして、どうしてこの人がこんなところに……?)
「よおティナ。悩み事か? らしくないな……」
「どうして……」
「どうしてって、ここは本当は俺の部屋だからな」
ニヤッと不器用に笑いながらそう口にしたのは、私がこの部屋から追い出した──ユリウス・ヘルマーその人だった。
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