結局、その時ユリウスは明確な結論を出さなかった。だが、その方が良かったのかもしれない。時勢を見極めて身の振り方を決めねば生き残れないのだ。
そのためにはまだアルベルツ侯爵と袂を分かつわけにはいかない。
他の貴族たちがヘルマー領を助けてくれるとは限らないし、頼みの綱のゲーレ共和国も、いざとなったらヘルマー領を見捨てる可能性もある。
ひとまずは国王が存命のうちに出来るだけヘルマー領の力を高めておくことが先決だった。
幸い、パトリシアとイオニアスの二人は王都に戻ってから程なくして本当に白猫亭についての記事を1面で書いてくれたらしく、まばらながらも領地の外から客が美食を求めてやってくるようになった。
領地の外からの客にとって、やはりハイゼンベルク手前にある大きな森は魔獣に遭遇しやすい難所らしく、森の手前で引き返す人がかなりいるという話を聞いたので、アントニウス率いる狩猟ギルドとアマゾネスたちが総出で、森の魔獣を狩り、道を整備した。
更には、貴重な食料が奪われるのを防ぐために、アマゾネスの手を借りて農地の周りに魔獣よけの柵や罠を設置し、これも一定の効果を上げた。農業ギルドのセリムは大喜びだったし、なによりイノブタなどの食用にもなる魔獣を捕らえることで白猫亭のメニューのバリエーションが増えるのもよかった。
親密になったゲーレからも客が来るようになり、数ヶ月経つ頃には白猫亭は大賑わいになった。また、領地外からヘルマー領に移り住む人も現れ始め、白猫亭の近くに自分の店を構える者も増え、ハイゼンベルクは活気を取り戻しつつあった。
そんなある日、私は閉店後に弟子のウーリを呼び止めた。
「なんの用ですかい師匠?」
「ですから師匠はやめてくださいと何度言ったら……」
「じゃあ宰相殿?」
「それもなんかこそばゆいですね……普通にティナでいいですよ」
日は長くなりつつあるものの、閉店時刻になるともう夕飯時も過ぎているので当然外は真っ暗だ。私たちは手近なテーブル席に向かい合って腰掛け、ちょうどテーブルの中央にランプを置いてその明かりに照らされながら話を進める。
「で、なんの用だティナ?」
「ウーリさん。──白猫亭を、ウーリさんに任せようと思います」
するとウーリは目をむいて驚いた。
「──そりゃまたどうして? この店はティナがいないとやってけないぞ」
「そんなことはありません。ここ数ヶ月でウーリさんはだいぶ料理が上達しました。もう教えることはありません」
「でも……」
確かに、意外と几帳面な性格のウーリは、手先も器用で料理人としての腕前をぐんぐん上げていっていた。
もう自分一人で何種類もの料理を作ることができるし、なにより私よりもウーリの方が店主として映える。
料理人はまだ男性人口の方が圧倒的に多いから、女の子が店主の店が本当に美味しいのか疑問を抱く人も多いし、そもそもウーリは黒猫亭の主人と雰囲気も似ているし。
「私の目的は『自分の店を持つこと』ではないんですよ。あくまでもヘルマー領の発展が第一。そのために、次の手を打つべき時が来たんです」
「次の手……?」
私はゆっくりと頷いた。
「アルベルツ侯爵と袂を分かつことになれば、一番頼りになるのは隣国のゲーレです。そして、ゲーレとの関係を密にするためには、シーハンさんからの依頼をこなさなければならない」
「サヤとかいう七天の捜索か?」
「そうです。サヤは東邦帝国出身、上手く行けば東邦とも関係が結べるかも知れませんし、彼女をヘルマー領に呼び込むことも可能かもしれません」
「ヘルマー領に七天が来るとなれば……一気に勢力図はひっくり返るな」
ウーリもやっと私のやろうとしていることを理解してくれたらしい。もはや止める素振りは見せなかった。が、私は彼の言い方が少し引っかかった。
「まあ、私も七天なんですけどね……」
「あ、すまん」
(確かに私ほど頼りない七天はいないだろうけど……これでも頭使って頑張ってるはずなんだけどな……)
魔導士は本来魔法を使って主を助けるもの。私には他の七天のような魔法は使えない。でも料理という最強の魔法が使えるというのに。
「とにかく、私はサヤさんを探しに行きたいと思います。──留守をお願いできますか?」
「それは構わねぇけどよ……ティナはいいのか?」
「……?」
「なんだかんだでオレはティナが心配なんだよ。ティナが優秀なのはよく分かるけど、無理してないかなって……」
ウーリは照れくさそうにスキンヘッドの後ろに右手を回しながら頭をかいた。
「私そんなに頼りないですかね……」
「違うって言ってんだろ。──なんつうか、ティナと見ていると妹を思い出して心配なんだよ……」
「妹さんですか?」
するとウーリは嫌なことを思い出したのか俯いてしまった。彼の言う『妹』に何かがあったのは明白なようだが、あまり突っ込まない方が良さそうだ。
「──大丈夫ですよ。リアさんとミリアム先輩を連れていきますし。必ず帰ってきますから……」
「本当か? 約束だぞ?」
「約束しますって!」
(こんなに不安そうな表情をしているウーリさんは初めて見たかもしれない。……そこまで心配してくれているのかな……)
「その代わり、ユリウス様のこと頼みましたよ!」
「おう、任された!」
私とウーリは、『黒猫亭』で冒険者たちがよくやっていたように、お互いの右拳をぶつけ合って友情を確認し、健闘を祈りあった。ウーリの拳は私のものよりも二回りくらい大きく、比べ物にならないくらいゴツゴツしていたが、優しくてとても頼りがいのある拳だった。
──私の拳は頼りがいのあるものだろうか……?
ふと不安に思ってウーリの表情をうかがってみたが、彼の顔から不安の色は消えていた。
(ひとまず良かったのかな……?)
「白猫亭のこともユリウス様のことも、任せられるのはウーリさんしかいませんから」
「ティナはティナでユリウス様のことが心配らしいな。──まあ、大好きなユリウス様のことだから仕方な──」
「──違いますっ!」
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