☆ ☆
「まずい……まずいことになったぞ……」
ユリウスはハイゼンベルク城の円卓の間で椅子に腰をかけたまま机に肘をつき頭を抱えていた。もうかれこれ数時間そのセリフを繰り返している。
「ユリウス様……」
見かねた私が声をかけると、ユリウスは顔を上げた。その凛々しい顔はすっかり弱りきってなんとなく情けなく見えてしまう。ユリウスはそのまま私の腰にすがりついてきた。
「うわぁ!」
男色家のユリウスのことだから邪な意図はないと分かっていたけれど、少しびっくりした。
「ティナ……俺はどうしたらいいのだろうか! せっかく領地おこしの見通しが立ってきたというのに……このまま一生アルベルツ侯爵に振り回されなきゃならないのだろうか!」
「……」
私は答えられなかった。無責任に答えられるような内容ではなかったし、なにより私には解決策が思い浮かばなかったのだ。
結局、ライムントが攻撃を仕掛けた後、程なくしてゲーレ軍は総崩れになり潰走していった。アルベルツ侯爵はゲーレからの使者すら受け入れずに殺した。ゲーレの前回の侵攻の時に何があったのか知らないが、常識では考えられない冷酷な仕打ちだと思う。
そして、その仕打ちは確実にゲーレを本気にさせてしまっただろう。彼らは捕らえていたアルベルツ軍の捕虜を殺し、今度は全力をもってセイファート王国へ侵攻してくるだろうということは私にもわかった。──そして、その矢面に立つのはゲーレと国境を接しているヘルマー領なのだ。
ユリウスはその事でひたすら悩んでいる。更には悪いことにアルベルツ侯爵軍は『警護』を称してハイゼンベルク城に入り、飲んだり食ったり、どんちゃん騒ぎをしている。ヘルマー領としても援軍に来てくれたアルベルツ軍を無下にするわけにもいかず、もてなすしかなかったが、これではただでさえ逼迫しているヘルマー伯爵家の財政が破綻しかねない。
実際私も弟子入りしたウーリや他の親衛隊、それにミリアムの力も借りてアルベルツ軍5000人分の料理を作ったのだ。しかも、こともあろうにアルベルツ侯爵は特産のヘルマー牛をご所望されたので、かなりの数のヘルマー牛を殺すことになり、ミッターは泡を吹いて卒倒しかけた。
「……なにごとも、耐えなければならない時はあります」
「今まで何年も俺は耐えてきた。これ以上、何を耐えればいいのだ……ヘルマー領はアルベルツ侯爵に搾り取られてしまうぞ……」
ユリウスはかつてないほどに自信をなくしていた。こんなに沈みこんだユリウスを見るのは初めてで……その姿は見ていられないほど痛々しかった。私は、いつも頼もしい背中を見せてくれるユリウスのこんな姿を見たくはなかった。
(なんとかして……なんとかして勇気づけないと……!)
「品評会です。それまでの辛抱です。そこでヘルマー牛が認められれば!」
「それだって確実ではないのだろ?」
「それは、そうですけどっ!」
明確な理由でユリウスを元気づけられないのが辛い。不確定な要素にすがらなければいけない現状が、そんなアイデアしか思いつけない自分が、たまらなく悔しかった。
力不足だと思った。結局私は誰の役にも立てない出来損ないなのだと……。
下唇を噛み締めた私は結局適当な言葉を見つけられずに、歳上のはずのユリウスの頭をギュッと抱きしめた。
「……ティナ?」
「はい?」
「なにしてるんだ……?」
「わかりません! 多分──ユリウス様を元気づけようとしてるんです!」
ユリウスはフッと笑った。「なにしてるんだお前は」みたいな感じの笑いだった。
「バカだなぁ。そんなことしたって俺が喜ばないのはわかっているだろ?」
「むっ……ユリウス様はこうやってお母さんに甘えたことはないんですか?」
「ティナを母親だと思えって? んなの無理だ。ティナには母性っぽいところがないからな。チビだし胸も小さ──」
私は抱きしめていたユリウスの頭に思いっきり肘打ちをかました。
──ゴスッ!
「いってぇな!」
「おっと、ユリウス様が変なことを口走るので手が滑ってしまいました」
「──悪かったよ」
「……許すません」
「それはどっちだ!? 変な言葉使うな!」
プフッ! と同時に吹き出した私たち。しばらくクスクスと笑っていた。
「ありがとう。おかげで少しは気が紛れた気がする」
「それはよかったです。悪口の言われ損は嫌ですから」
顔に生気が宿ってきたユリウスを眺めながらホッと息をついていると、なにやら廊下から慌ただしい音が聴こえてきて、扉が勢いよく開かれた。現れたのは血相を変えたウーリだった。その顔色は真っ青で、むき出しの頭部まで血色を失っている。
が、ウーリは密着した私たちを見ると途端に表情を綻ばせた。
「おや、お取り込み中でしたか! これは失礼!」
「「ち、違う!」」
私とユリウスは同時に叫んだ。でもこの反応は逆に疑いが深まるような気がしないでもない。ほんとに私とユリウスの間には恋愛感情はないのだけど。
ユリウスは咳払いをしながら私から離れ、嫌そうな顔をしながら服をパンパンと払う。なんか汚いものに触っていたようなその反応に私はムッとしてしまった。
するとウーリは意味深な笑みを浮かべた。
「ははーん。さてはついにユリウス様もオナゴに興味を持ちましたな!」
「うるさいぞウーリ! さっさと用件を述べて出ていけ!」
「へいへい、オレとしてもあまりお二人の邪魔はしたくないんですがね……ただちょっと緊急事態が発生しまして……」
「だからそういうんじゃないって言っただろう……おちょくってないで早く話せ!」
ユリウスが急かすと、ウーリは表情を再び引き締め私の方に視線を向けた。
「ティナ、大変だ。ヘルマー牛が足りなくなりそうだ」
「えぇぇぇぇ……どうしましょう……」
5000人も兵士がいれば相当の食料が必要なのは目に見えていた。それを見越してヘルマー牛をご所望の兵士たちに、“ほかの具材でかさ増しできるため、少ない量の肉でたくさんの肉を食べているかのような満足感を与えられ、かつ簡単な料理”ということで『すき焼き』を作ることになっていた。
すき焼きは割り下の作り方さえマスターしてしまえば難しい調理工程はなく、ウーリやミリアムにも作らせることができる。割り下も黄金比があって、ソイソース、酒、みりん、砂糖を5:5:5:3で混ぜれば美味しく作ることができるのだ。
そうやって交代で休憩しながら料理を作っていたというのに……。
(予想よりも兵士たちの食欲が旺盛だったってことか……)
すき焼きなのに肉が入っていないとお話にならない。かといってこれ以上ヘルマー牛を殺してしまえば今度こそミッターがショック死しかねない。
「うーん、とりあえずしばらくは肉の量を減らして、代わりに豆腐を増やすとかして誤魔化すしか……」
「それしかないかなぁ……」
豆腐の原料になっている大豆は、肉や魚などと並んでメインディッシュの具材としても食べられている地域があるほど満足感を得られる食材だ。ただ、加工しなければならないのですぐには作ることができない。豆腐もなくなってしまえば本当に打つ手なしだ。
私とウーリが頭を悩ませていると、再び扉が開いて、今度は親衛隊筋肉マッチョ二号であるアクセルが入ってきた。
「おい、マズいことになりましたぜ!」
「……これ以上まずいことなんかあるものか!」
「いやいや、それがほんとにマズくてですね! ──アルベルツ軍のやつら、ティナちゃんたちが品評会のために確保しておいたヘルマー牛に目をつけやがりました!」
「「なんだって!?」」
私とウーリは声を揃えて驚愕した。確かに美味しそうな牛を1頭確保していたが、その牛はヘルマー領の命運を左右する存在。ここでアルベルツ軍に差し出すわけにはいかなかった。
「今、ライムントとかいうやつとミッターの旦那が牧場で言い争ってますぜ!」
「──すぐに行きます! ウーリさん!」
「わかった! オレも行く!」
ウーリに目配せをすると、私は彼とアクセルを伴って牧場へと走ったのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!