一方の『ヤマタノオロチ』と化したタマヨリヒメはというと、相変わらず混乱する敵兵を縦横無尽に蹴散らして大暴れしており、毒霧でゲーレ軍を蹂躙したライムントに負けず劣らずの地獄絵図を演出していた。
時折弓矢や申し訳程度の魔法で反撃しようとする者がいるものの、そんなものが巨大な魔獣に効くわけがなく。あっという間にアルベルツ侯爵軍の陣形は崩れ、兵士たちが潰走を始めた。
「来ないわね……陽動が読まれているのかしら?」
「それならそれで、このままアルベルツ侯爵のところまで攻め込んでいけばいいのではないでしょうか?」
「うーん……ライムントのやつがイーイーの方に攻撃を仕掛けていたら厄介なことになるけれど今のところそういう様子もないし、このまま進撃してみようか」
サヤがピューッ! と大きく指笛を吹きながら仲間たちへ指示を出そうとした時、私は上空に大きな闇の魔力を感じた。
「──上っ!? サヤさんっ!」
「防御陣形!」
素早く反応したサヤの指示で、4頭の馬は密集するようにしてヤマタノオロチと並走する。その間にも闇の力はどんどん大きくなってくるが、私は敵の姿を見つけることが出来なかった。
「いったいなぜ上空に魔力の気配が……?」
私がそう呟いた瞬間、ビュンッ! と空気を切り裂く音がして、上空から闇の魔力の塊が迫ってきた。
「しゃらくさいですわぁ!」
ガガガガッ! 私たちの目前数メーテルほどまで迫ってきた闇の魔力は間一髪でミリアムが放った氷と相殺されて空に飛び散る。誰を狙ったものなのか分からないが、こうやって密集することで他の仲間を守りやすくなるのだ。サヤは『防御陣形』と呼んでいるがあながちバカにはできない。
「多分、太陽を背にして宙に浮いているのよ! だから見えないの」
「そうと分かればウチがなんとかするしかないっしょ! ──皆、ちょっと離れてて!」
サヤの言葉にシーハンが名乗り出ると、私たちの元を離れていく。すると、たちまち彼女の周囲には強い風が吹き始め、少し離れたところからでもそのビュンビュンという音がよく聞こえるようになった。
風は更に勢いを強め、竜巻となって地面の砂を巻き上げながら一直線に太陽の方向へ伸びていく。
(なるほど、砂と風で敵を撃ち落とすつもりだ……)
上空に浮かんでいる敵は十中八九ライムント。彼は瞬間移動を繰り返しながら上空に留まっている。しかし、巻き上げられた砂によって視界が塞がれ、強風で体勢が維持できなくなったら、大人しく降りてくるしかなくなるだろう。
「さあ、わたくしの合図でいっせいに攻撃しますわよ!」
先程からサヤに指示されるのを嫌そうに聞いていたミリアムがここぞとばかりに全員に指示を飛ばす。全員「言われなくても!」というように頷いた。
(太陽を背にするという地の利を活かせなくなったライムントが次に取りそうな行動は……)
「後ろです!」
「はぁっ!」
ドゴゴゴゴッ! サヤが作り出した土の壁に闇の魔力がぶつかって土煙を上げる。だがまだ敵の攻撃は終わっていない。──なぜなら。
「前!」
「せいっ!」
今度は前方にシーハンが放った風の魔力と、闇の魔力が打ち消しあった。その時やっと前方に黒いローブの人影を一瞬だけ視認することができた。
「どうする? このまま撃ち合っててもわたしたちは構わないけれど」
「イーイーさんの言うとおり、なんとかしてライムントを本隊から引き離しましょう」
「といってもあいつ、転移魔法使ったら一発でアルベルツ侯爵のもとに戻れるのよね……」
「ただ、一度怒らせると周りが見えなくなるところありますから、上手く挑発して──」
「──やるしかないわね」
私とサヤが話し合っていると──。
ドムッ! と爆発音がして、ヤマタノオロチが炎に包まれた。新手のようだ。そして、あんな巨体を一気に燃やすほどの炎魔法を使う者は、この世に恐らく一人しかいないだろう。
「あちらも釣れましたわ! わたくしたちはこのまま──」
「──えぇ!」
ミリアムの言葉にサヤが頷くと馬の向きを変える。そしてそのままアルベルツ侯爵軍本隊から徐々に離れていく。ライムントはそんな私たちの周囲から攻撃を仕掛けながら追ってきているようだった。
そして──。
「左っ!」
「キリがありませんわね!」
私が警告してミリアムが左側に氷の塊を放つ。しかし、それとぶつかったのは闇の魔力ではなく、燃え盛る炎だった。
ドオォォォォッ!
空間を揺るがすような轟音が轟き、私たちは衝撃波で吹き飛ばされた。
きっと、冷たい氷と熱い炎がぶつかりあったので、水蒸気爆発が起きたのだろう。
「──いたたた」
地面に叩きつけられて痛む身体を起こすと、すぐさま背中に差してあったフライパンを抜いて周囲を警戒した。数十メーテルは吹き飛ばされただろうか、気づくと私は森の中に入っていた。一緒に馬に乗っていたサヤとははぐれてしまったようだ。
見渡す限りの大きな木々。仲間たちの姿は見えない。どこへ行ってしまったのだろうか。
「サヤさん! ミリアム先輩!」
呼びかけるも返事はない。遠くで何か争うような魔力を感じるが、そこに皆がいるのだろうか。
「シーハンさん! タマヨリヒメさん!」
「よぉ、迷子か? ティナちゃん……?」
(──その声は!)
私が今最も聞きたくない声だった。
恐る恐る振り向いた視線の先には案の定ライムントが立っていた。身構える私に、ライムントは「落ち着け」というようなジェスチャーをした。
「ティナちゃん一人じゃ僕に敵わないのは分かってるでしょ? なら無駄なことはやめなよ。僕も今すぐにティナちゃんをどうこうしようなんて思ってないからさぁ」
「……」
ライムントはゆっくりとこちらに歩んでくる。彼が踏みつけた落ち葉がくしゃくしゃと音を立てた。
「でもまさかティナちゃんがシーハンとサヤを連れてくるなんてねぇ……お陰で探し出す手間が省けたよ。ありがとね」
「……あなたはここで終わりですよ。ライムントくん」
「さて、それはどうかな? あの二人はマテウスの相手で精一杯みたいだけど?」
「やっぱりマテウスくんもいるんですね……」
炎魔法の使い手マテウスは、ライムントに次ぐ実力者だ。七天の中でもこの二人の実力はずば抜けている。しかも、マテウスはしばらく見ない間にまた力をつけたようだ。先程の炎魔法も魔力を感知してから放出されるまでの時間が極端に短かった。熟練している証だ。
私の目の前をフラフラと歩き回っていたライムントは少しその長身をかがめて私の顔を覗き込んできた。
「ねぇティナちゃん。もう一度だけ誘うねぇ? これがラストチャンスだよ? ──僕たちと一緒に来ない? いい夢を見せてあげる」
「──そんなこと」
乗るわけない。
私は即座に断ろうとしたが、ここであることに思い至った。
(時間稼ぎ! ライムントくんをここで引き付けておけば、残りの人達がマテウスくんを倒してくれて……)
逆に私がライムントの誘いを断れば、ライムントが私を始末した後、マテウスの加勢に行くに違いない。そうなると勝利は絶望的だ。
「……少し考えさせてください」
「うーん、じゃあ少しだけ待ってあげる」
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