「えっ……えっ……?」
あまりの衝撃に、私はただ戸惑うしかなかった。
『──初めまして』
頭の中に直接声が響く。なんとなくそれがユリアーヌスに話しかけられたのだと感じた。タマヨリヒメのような話し方だが目の前のユリアーヌスは全く口を開いていない。
「初めまして……じゃないですよね?」
『前もどこかで会ったことあったかな?』
ユリアーヌスは首を傾げる。
私は唖然とした。ユリアーヌスは私と過した魔法学校での記憶を失ってしまったのだろうか? ライムントに襲われて記憶喪失になったのかも。
そう考えるとなんだか無性に悲しくなってきて、涙が溢れてきた。
「ユリアーヌスくんっ! 私です! ティナです! 魔法学校で一緒だったじゃないですか! 確かに、確かに少しの間だけでしたけど……それでも私はユリアーヌスくんのことを……!」
「おい貴様! 無礼だろう!」
怒鳴る重鎮を無視してユリアーヌスにすがりついた。彼は申し訳なさそうに首を振った。
『すまないがそんな記憶はない。──なるほど、ティナは我のことがそう見えるのだな……』
「……?」
(そう見える? そう見えるってどういうこと? 私には確かに目の前にいる『帝』がユリアーヌスくんに見えるんだけど……)
ユリアーヌスの言っている意味がわからなかった。だがその時、左右のリアとミリアムの二人の反応を見てやっとその言葉の意味を理解した。
「ユリウス様……? どうしてこんな所に……?」
「おばあ……ちゃん……?」
二人ともキョトンとした表情をしていて……なるほど、三人ともこの『帝』に別々の人物の姿として認識しているらしい。──つまりはどういうことだろうか。
『驚かす気はなかった。少しそなたらに興味があったので試させてもらっただけだ。──いかんせん我は姿が安定しなくてな……許せ』
「は、はい……?」
『つまり、我の姿は見る者によって変化する。だいたいの場合、その者の憧れの存在が投影されるらしいのだが。──お陰で少しだけそなたらのことがわかった気がするぞ。感謝する』
そう言うと『帝』はにっこりと笑った。ユリアーヌスの姿でそんなことをされると少しだけ──いや、かなりドキッとしてしまう。
まるで、狐につままれた気分だった。
(なんだ……ということはやっぱりユリアーヌスくんは……)
後に残ったのは、勘違いしてしまった恥ずかしさと、『帝』に対する僅かな苛立ちだった。
『すまなかった。そなたらが信頼に足る人物が確かめる必要があったのだ……今から話すことはこの国の将来を左右することだからな』
「……!?」
(そんなに……!? でもそんな内容をどうして私たちに!?)
私にはまだ帝の意図が理解できない。部外者の私たちにいったい何の話をしようというのか……。
『順を追って説明しよう。──まあ座れ』
気づくと私たちは腰を浮かしていたことに気づいた。帝の見た目に翻弄され、三人とも平常心を失っていたらしい。完全にペースを掴まれていた。もしこれが交渉事だったとしたら明らかに不利になっていただろう。
私たちは顔を見合わせるとバツが悪そうに腰を下ろした。それを確認した帝がゆっくりと口を開く──というより口は開かずに頭の中に声が響く。
『サヤに会ったそうだな?』
「──はい」
『そうか……元気そうだったか?』
「──はい」
帝は安心したような様子を見せた。サヤが失踪して心配していたのだろう。やはり東邦帝国の人たちもサヤの帰りを待っていたようだ。アメノウズメやユキムラだけでなく、帝や恐らく他の人たちも。
スーッと視線を動かしてアメノウズメの方に視線を移した帝は、「そういえば」といった感じで続ける。
『うちのアメノウズメを助けてくれたそうだな。感謝する』
「は、はいっ! い、いえっ! 当たり前のことをしたまでで!」
これに関しても、帝がアメノウズメを我が子のように大切に思っていることがうかがえた。
(帝は神霊っぽくて、人の心があるのか分からない存在だったけど、ちゃんと身内を大切にする人なんだな……)
そんな存在が私たちを無下にするはずがない。私はそう結論を出した。
『我は使者として送ったアメノウズメにこのような仕打ちをしたアルベルツ侯爵を許すことはできない。──東邦帝国では古くより政は占いで決めていた。そこで、帝国の行く末を占ってみたのだが……やはりアルベルツ侯爵と共に歩むことは凶と出た』
「──!」
「あの、つまり東邦はセイファート王国と手を切ると!?」
割って入ったのはミリアムだった。冒険者ギルドの支部長という役割を持つ彼女にとって、周囲国の動向はギルド本部に報告する義務がある。大概のことは手紙でやり取りしているというが、場合によってはこのまま首都のディートリッヒに蜻蛉返りして対策を考えなければならないとまで考えているだろう。
まあ、東邦帝国がそんなことを許すとは思えないが。
「違いますね?」
私はミリアムの言葉を即座に否定した。もしミリアムの言うとおりだったとしたら、セイファート王国人である私たちはすでに殺されている可能性が高い。見逃すにしても、わざわざ自国の意向を私たちに伝える意味がわからなかった。
──ということは。
『そう。東邦帝国はアルベルツ侯爵と手を切り、ヘルマー伯爵と手を結ぼうと思っている。──そなたらならば信用できる。我々の行く末を任せるに足る存在であると判断した』
「そんなに……!」
「ヘルマー伯爵やティナさんの噂はこの東邦にもよく伝わっているんですよ。──なんでもティナさんは東邦料理にも長けているとか……是非一度我々にもご馳走してくれませんか?」
ユキムラが横からそんなことを言ってきたので、私は思わず目を見開いた。まさかそんなに噂になっているとは思っていなかった。これも新聞と地道な宣伝のおかげというわけだろうか。
「で、でも……アルベルツ侯爵をないがしろにしてユリウス様と手を結ぶというのは……」
ヘルマー領にとっては、アルベルツ侯爵との決別を意味する。そればかりか、セイファート王国の王家からも良いようには見られないだろう。辺境の一伯爵に過ぎないユリウスが、それまで王国と関係を結んでいた周辺国、まるまる一国の後ろ盾を得るわけなのだから。反逆とみなされもおかしくない。
『──ヘルマー伯爵がその気ではないのなら、我々は完全にセイファート王国との関係を断ち切る。──そう伝えてほしい』
「は、はい……」
(またユリウス様が頭を抱えるだろうな……)
紛れもなく東邦帝国との関係は得がたいものだ。ゲーレだけでなく東邦の助力も得られた今、もはやヘルマー領は貧乏領地ではない。だがそうなった時、今まで仕えていたセイファート王国との間に軋轢が生まれるのは火を見るよりも明らかだった。
だがそれを最終的に判断するのは私ではない。ユリウスだ。私はユリウスの判断に従うだけ。
「わかりました。──では早速ヘルマー領に戻り、ヘルマー伯爵に判断を仰いできます」
私がそう答えるとユリアーヌスの姿をした帝は満足そうに頷いた。
こうして私たちはまたヘルマー領へと戻ることになった。
急ぎの旅なのでその帰路は慌ただしいものとなり、ユキムラやアメノウズメにしっかりと挨拶をする時間もなかった。──そしてこの提案がヘルマー領がやっと手に入れた平穏な日々を粉々に砕くことになるのだった……。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!