女性が臭いと言っていたのは恐らく厨房に充満するニンニクの匂いだろう。確かに食欲をそそるのだが、ごく稀に苦手な人もいる。なので、一応教えてあげることにした。
「あの……多分ニンニクの匂いかと……」
「──ユリウス様、誰ですのこいつは!?」
私の存在を認識した水色の髪の女性は、こちらに汚いものを見るような視線を送ると、ユリウスにすがりつこうとした。それをユリウスは軽い身のこなしでかわすと、女性は更に気分を害したようだった。
「お前には関係ない。どっかに消えろ」
「酷いですわ! せっかく心配してさしあげてるのに──。はっ! 薄暗い厨房に二人きり……もしかして二人は──許せませんわ!」
「……何をどう勘違いしてるのか知らんが、俺とティナはそういう関係ではない」
「じゃあどういう関係ですの!? 説明していただけますか! ──しかも! しかもこいつのことを名前で呼びましたわね! わたくしのことも名前で呼んでくださらないのに!」
女性は怒り心頭に発したようで、その場で地団駄を踏んだ。ユリウスは「めんどくせぇ」などと言いながら、詰め寄ってくる女性を押し返している。
(誰ですのこいつは? っていうのは私のセリフなんだけど……とりあえず聞いてみよっかな)
「ユリウス様、この方は……?」
「めんどくさい女。名前は忘れた」
「ミリアム! ミリアム・ブリュネ! ですわぁ!」
ミリアムと名乗った女性は一旦ユリウスに詰め寄るのをやめて私の方にターゲットを切り替えたようだ。ものすごい形相で迫ってきたミリアムは、私の目の前で立ち止まる。香水の爽やかな匂いがした。なるほど、これはニンニクの匂いを嫌うのも分かるかもしれない。
そしてミリアムは左手を腰に当てながら右手の人差し指で私の胸元を小突いてきた。私は息が詰まるような感覚をおぼえて、変な声を出してしまった。
「ふぐっ!」
「あなた、見ない顔ですわね? こんなちびっ子がハイゼンベルク城に何しに来ましたの? ユリウス様に何しに来ましたの!?」
「え、えっと……私はちびっ子じゃなくて18で……その……」
あまりの気迫に私がしどろもどろになっていると、ユリウスが助け舟を出してくれた。
「ティナはこの城の料理人兼冒険者として雇った。あとは……まあいろいろあるが、おいおい話すつもりだ」
「いろいろ! いろいろってなんですの!? おいおいってどういうことですの!! おいおいおい!!」
おいおいおいと言いながら、連続で私の頭を小突いてくるミリアム。さすがにちょっとカチンときてしまった。
「そういうあなたは何者なんですか!」
私が尋ねると、ミリアムは「はぁ?」と人をバカにしたような様子で呆れてみせ、私の顔をじーっと覗き込む。そして、短く息をついた。
「本当に知らないようですわね。──では訊きますが、あなたには何者に見えますの?」
あまり興味はないが、尋ねられたので私はミリアムの身なりを観察してそこから推測してみようとした。
まず目を引くのが鮮やかな水色の髪。長めのそれは後ろで白いリボンで結ばれ、残りは無造作に左右に垂れている。が、その神秘的な色合いと、おでこの上あたりにつけられた金色の髪飾りによって神聖感を感じる。
服装は白を基調としたローブのようなものだが、腕や肩はむき出しで、足元もほとんどなにも身につけず、おまけに裾も腰までの大きなスリットが入っていてその色白の美脚が露わになっているので全体的に私よりもかなり露出は多い。
──ここから判断すると……?
「踊り子ですか?」
「ブッブー! ですわ!」
「じゃあ娼婦!」
「はぁ?」
「精霊!」
「……近いですわね」
「分かった、ユリウス様のお姉さん!」
「お姉さんになりたい人生でしたわ」
「愛人!」
「正解! よくわかりま──」
「んなわけあるか!」
私とミリアムのやり取りを見かねたユリウスは昼間に見せたあのイノブタとの戦いのような身軽な立ち回りで、私とミリアムの後頭部にほぼ同時に平手をかました。そして、面倒くさそうに解説を始める。
「こいつは、冒険者ギルドのヘルマー領支部のギルドマスター──といってもメンバーは一人だけなんだが……」
「あぁぁぁぁぁっ! 余計なことは言わなくていいんですのよ! と、とにかくすごいんですの! ひざまずいて足を舐めることを許しますわ!」
ミリアムの言葉を意にも介さずにユリウスは続ける。
「──で、別に雇ったわけでもないのに城に入り浸って俺につきまとってくる厄介な女だ」
「だって他にやることないんだからしょうがないじゃありませんか! 田舎は暇ですのよ!」
「まあでも、おかげでこいつの優秀な氷魔法を無料で使い放題だな」
「言い方はあれですが……もっと褒めてくださってもいいんですのよ?」
「──でもそれ以上にめんどくさいから、始末してくれてもいいぞ。ティナ」
「あぁぁぁぁぁっ!?」
(なんというか、騒がしい人だな……)
これまでのやり取りで、ミリアムはめんどくさいということとユリウスが好きということと、おだてたらチョロそうということと、好きな人の前だとうるさい性格だということが分かった。同じ冒険者ギルドの職員でも、王都でお世話になったお姉さんとは全く別のタイプだ。しかも氷系魔法の使い手だという。それも気になる。
いずれにせよ、この城で暮らしていくのであれば、ミリアムという人物についてもう少し知る必要があった。
私はミリアムに右手を差し出し握手を求めた。ミリアムは一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに私の手を取ってきた。黒い手袋をはめたその手はひんやりと冷たかった。
「私はティナ。──ティナ・フィルチュです」
「ミリアム・ブリュネですわ」
そしてそのまま私とミリアムは睨み合う。相手の方が少し背が高いので、見上げるような格好になってしまう。
ミリアムは握った右手に力を入れると、その手は一層冷たくなった。まさに氷のようで、手のまわりを空気中の水分が凍った氷の結晶がキラキラと舞う。
(氷魔法だ……!)
挨拶代わりの魔法だろうか。私の手はたちまちかじかんで感覚がなくなってきた。
相手が魔法を使うなら、こちらも対抗するしかない。腐っても私は『七天』。自分で魔法を放つのは無理でも、魔力の変換ならそこら辺の魔導士には負けない。
私は手を介して伝わってくるミリアムの氷の魔力をそのまま利用して変換する。凍てつく氷から──燃え盛る炎へ。
次の瞬間、握った手からオレンジ色の炎が立ち上り、私は手の感覚を取り戻した。ミリアムは驚いた様子で手を離す。時間にしてほんの一瞬の出来事であったが、ミリアムにとっては効果てきめんだったようだ。
「ま、まさか……あなたも魔導士……」
「言い忘れてましたね。『七天』の一人──『変幻自在』のティナ・フィルチュといいます」
「七天……どうしてこんなところに七天が……」
どうやらミリアムは七天については知っていたようだ。かつて魔導士、冒険者界隈を震撼させた七人の天才について、魔導士なら知らない者はいないだろう。しかし、七天の『変幻自在』がどのような魔導士かまでは知らないらしい。
「ご存知でしたか、よかったです」
「あ、あなた! 何が目的でこんなところにやってきたのか知りませんが、ここではわたくしが先輩ですので!? 必ず痛い目に遭わせてやりますから楽しみにしてなさい!」
ミリアムは捨て台詞を吐くと、這う這うの体で厨房を後にした。厨房には再び私とユリウスだけが残された。
(何が目的って……ここしか雇ってもらえなかっただけなんだけどな……)
少し苛立ってしまって我ながら大人気ないことをしてしまったと反省しつつ、ユリウスの方に視線を移すと、なんと彼は目を輝かせてこちらを見てきた。
「ふぇっ!?」
「あのめんどくさい女を追い払うなんて……やはりティナはただ者ではないな! 俺の目に狂いはなかった! ティナなら、もしかしたら……」
私は、一人で興奮しているユリウスの隣でただ首を傾げ続けるしかなかった。
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