リアはアントニウスよりも数段慣れた足取りで森の中を歩く。彼女が歩くと、マントの裾からのぞいたしっぽも左右に揺れるので、なかなか可愛らしかった。
「なぁティナ……」
私がリアのしっぽに見とれていると、ユリウスが私に小声で話しかけてきた。
「なんですか?」
「ティナって……いつもあんなことするのか?」
「あんなこと?」
ユリウスは何か言いたげに口をパクパクさせていたが、私が首を傾げると意を決したように言葉を紡いだ。
「ほら……土下座」
「あぁ……」
先程リアにした『土下座』は、相手の警戒心を解く一番の方法であるが、同時に自分にとっては最高の屈辱でもあった。無条件で相手へ屈服することを意味するのだから、プライドが少しでもある人にとっては耐え難いものだろう。
「私は──小さい頃から弱くて、体も小さくて……喧嘩でも勝てませんでしたから。ずっとこうやって身を守っていたんです」
「そうだったのか……なんかすまんな」
私の言葉から悲しみを感じたのか、ユリウスは謝罪の言葉を口にした。そして俯き、なにか考え込むような仕草をしている。リアが山を登り始め、傾斜がきつくなったところで再びユリウスが口を開いた。
「俺に雇われたからにはもうティナにあんなことはさせない。ティナも、自分を貶めるようなことはするな」
「ユリウス様……」
(やっぱり……ユリウス様は優しい。私のことをこんなに心配してくれるなんて……こんな領主様に雇われて私は幸せ者だな……)
と幸せを噛み締めていると、前方を歩いていたリアが、ひょいと木の根を飛び越えながら口を挟んできた。
「形だけ屈服しててもさ……心が折れなければいいんじゃない? 従うふりをして欺くなんてのはよくあることだし、あまり体裁にこだわっても仕方ないよ?」
「お前、わかったようなことを……!」
「分かってることしか言わないよ。あたしたちはね」
リアの言葉にユリウスは黙らざるを得なかった。「形だけ屈服している」というのが今のユリウスがアルベルツ侯爵に従属しているというのと重なったのかもしれない。リアはそんなユリウスの姿を見てふんっと鼻を鳴らした。
「さぁ、そろそろあたしたちアマゾネスの村につくよ。──言っておくけど客人として迎えられるなんて思わないでね? あたしたちにとって人間は『よそ者』であって、今は『敵』なんだから」
「やれやれ、先が思いやられるな……」
「でも──」
振り向いたリアはユリウスを見据えてにっこり笑った。
「お前なかなか良い奴だね。見直したよ」
「そりゃどうも」
「人間はクズばかりだと思っていたけど、お前やティナみたいなのがいるんだね。……それなのにどうして……」
「──?」
ふと、リアの顔が曇った。なにか悲しい過去を思い出しているような……。この子もどうやらなにか辛い過去を抱えているらしい。
やがて一段と森が深くなり、ほとんど陽の光が届かなくなったあたりで、リアは立ち止まった。そして、一本の巨木に歩み寄ると、垂れていた蔓を右手で掴む。
「ようこそ、アマゾネスの村へ」
「……どこが村なんだ?」
「見りゃわかるでしょ? 上だよ」
リアは自分の真上を指さす。私たちが上を見上げると、巨木の枝一つ一つに寄りかかるようにして木造の小屋がいくつも設置されている。──この木だけではない。ここら辺の木全てがそのような状態だった。
「これが……アマゾネスの村」
「そうだよ。あたしたちはこうやって人間や魔獣をやり過ごしてきたの。まあ──森を焼かれちゃ意味がないんだけどね」
自嘲気味な口調でそう言いながら、リアは手に持った蔓をちょんちょんと引っ張った。すると──。
──ゴッ!
(……えっ!?)
背後から頭部に鈍い衝撃を受けて私は気を失った。
☆ ☆
また、夢を見ていた。
すごく漠然とした夢だ。魔法学校で学んでいた一年間、そして『黒猫亭』で働くようになってから数年間の下積み時代のハイライトのような夢。出来の悪い私は色んな人に怒られっぱなしだった。まともに料理ができるようになったのなんて、数年前の話だ。
魔法学校の先生に……『黒猫亭』の主人に……お客さんに……怒られる度に私は地面に頭を擦りつけて謝罪する。私が悪くなくてもとりあえず謝る。そうすると悪いようにはされなかったし、謝るだけで事態が収拾できるなら安いものだと思っていた。
でも、心のどこかではモヤモヤしたものがあって、それを時々思い出して後悔するのだ。「あぁ、なんであの時土下座しちゃったんだろう……」と。
さっきだって……私は、なんでリアに土下座してしまったのだろうか? 本当にそれで事態は収拾されたのだろうか?
身体の痛みで目覚めた私はゆっくりと目を開ける。すると、まず視界に飛び込んできたのは一面の樹海。そして木を背にして、身体を縄のようなものでぐるぐると縛られている感覚だった。
(──高い!)
下に視線を動かした私は思わず息を飲んだ。私が縛られていたのは高い木の上。地面までは10メーテルほどあるだろうか。落ちたら無傷というわけにはいかないだろう。これでは縄を解けたとしても逃げるのは容易ではない。そしてよくないことに右側にはユリウスも同じような体勢で縛られていた。
(アマゾネスたちがやったのかな?)
リアはこんなことするような子には見えないが、確かにリアが蔓を引っ張った瞬間に私たちは気を失ったようだ。直前の彼女の謎めいた言動も気にかかる。
「ユリウス様、ユリウス様!」
口が塞がれていなかったのをいいことに、私は隣のユリウスに声をかけた。ユリウスは目を開け、顔をこちらに向ける。
「ティナ、気づいたか。──すまない、俺がついていながら……」
「いえ、ユリウス様は悪くないです! 元々アマゾネスとの交渉を提案したのは私ですから、私の責任です!」
「自分を責めるな。とりあえずこれからどうするかを考えよう」
「といっても、リアちゃんにまずはなんでこんなことをするのか尋ねないと……」
「──呼んだ?」
「ひゃぁっ!?」
突然目の前にリアが逆さの状態で現れたので、私は悲鳴を上げてしまった。よく見ると彼女は私の少し上の枝に足の力だけでぶら下がり、逆さ吊りになっている。命綱なんてつけていないのでもし落ちたらとヒヤヒヤしてしまうような格好だった。
「いったでしょ? 客人として迎えるつもりはないって。あたしたちは人間を警戒してるから、こうやって捕まえておかないとすぐに村の誰かに殺されちゃうよ?」
「で、でもこれはあまりにも酷くないですか? 身体が痛いです」
「人間どももあたしたちに同じくらい──ううん、それ以上に酷いことしてきたからね……こうでもしないと怒りは収まらないんだよ。すぐに火あぶりにして殺されないだけマシだと思ってね」
呑気な口調で話すリアだったが、その内容は過激そのもので、言葉の裏にはナイフのような鋭い怒りの感情が潜んでいるように感じて、私は冗談抜きでおしっこを漏らしそうになった。
「なんの事だ。俺の領地を侵してきたのはお前たちアマゾネスだろう? 確かに領地を守るために何度か討伐を試みたことはあるが、それは自衛のためであって──」
ユリウスが言い返すと、リアは気分を害したように表情を歪め、ぶらぶらと身体を揺らしながら深いため息をついた。
「お前は良い奴かと思ったけど、とんだ見込み違いだね。──忘れたとは言わせないよ。お前たち人間があたしたちの森を焼いて仲間をたくさん殺して……小さい子供は捕まえて奴隷として売ったってこと」
リアは逆さ吊りの状態から器用にマントを脱ぎ、その下に着ていた布製の衣服を脱いだ。
突然のことに困惑したが、リアの身体は私よりもかなり豊満でくびれており、それでいて筋肉質で無駄な肉がなく、芸術作品のようで美しかった。
私がリアの裸に見とれていると、彼女はそのままくるっと背中を見せてくる。
「──っ!?」
ユリウスと私は息を飲んだ。
リアの背中には右肩から左の腰にかけて、刃物で斬られたものと思われる大きな傷跡が痛々しく刻まれていたのだ。
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