全ての魔力を右手に集め、そのまま目の前のライムントに向けて放つ。
直視できないほどに煌めく光の矢は、彼が形成した闇の壁のようなものを容易く打ち破り、その身体を跡形もなく消し去った。
「っとぉ、なんだよやればできんじゃん!」
私の背後からライムントのそんな声が聞こえた。
(これは幻惑魔法? 倒し損ねた……?)
ついカッとなって、怒りに身を任せて放った一撃は威力こそ優れたものだったが、ライムントにとっては回避することが容易かったらしい。
私は絶望してその場にへたりこんだ。もうこれ以上魔法を使うことはおろか、立ち上がることもできない。身体中が酷い筋肉痛のようにいたんで、口の中には血の味がした。
「親衛隊のキミも動かない方がいいよぉ? このおじいちゃんとか隊長みたいになりたくないだろう……?」
「くっ……!」
ライムントの言葉に、腰に差していた剣の柄に手を添えていたアクセルが渋々その手を離す。それは臆したというよりもここで考えなく仕掛けたところで状況はさらに悪化するだけだということを理解したのだろう。
(やっぱり、無理するもんじゃないな……)
結果的に私の行動は無駄だった。状況は悪くなっただけ、私はライムントが近づいてくるのを黙って見ているしかなかった。
が、その時私とライムントの間に何か白いものが音もなく滑り込んできた。そして、目の前から感じられるのは馴染みのある魔力──外は冷たく中は暖かい、そんな感じの魔力。
「これ以上、後輩ちゃんを傷つけさせませんわ!」
「ミリアム先輩……」
その姿は紛れもなくミリアムだった。彼女は右手に氷の剣を生成しながら両手を広げてライムントを牽制する。
「ほぉ、いつぞやの雑魚かぁ……そんなチンケな氷で僕を何とかできると思ってるあたり、だいぶおめでたい性格のよ──」
「──動くな」
ライムントの声は、そんな低く殺意の溢れる声によって遮られた。いつの間にか彼の喉元にはナイフがあてがわれており、ミリアムとは別の誰かが背後から近づいてライムントを捕まえたようだった。
霞む目を擦ってよく見ると、なんとライムントの背後にいたのは褐色の肌に猫耳の少女──リアだった。
「さてと、これでもまだ大口叩きます? もし続けるのならすぐにでもその喉から血が噴き出ることになりますわね。……やってみます?」
「……なるほど、僕としたことが油断した。完全に格下だと侮っていたねぇ」
両手を上げて降参の意思を示すライムント。するとミリアムはほっと息をついて私に視線を向けた。
「ごめんなさい後輩ちゃん。ユリウス様に、常に一緒にいろと言われていましたのに……」
「いえ、ミリアム先輩に厨房の番を任せたのは私ですから……にしてもよくここが分かりましたね……」
「あー、それはね。ティナの匂いを辿ったの。思ったより時間がかかっちゃった」
私の疑問にはリアが答えてくれた。さすがアマゾネスとでもいうべきだろうか。私がどんな匂いがするのか気になるところだが、リアはどうせ「美味しい料理の匂い」とか答えるに決まっているし、あまり恥ずかしい答えを言われても困るのであえて聞かないでおこう。
「やれやれ、キミたちほんとうにおめでたいねぇ……」
「はっ、負け犬がなに吠えてますの?」
「ヒヒヒッ、これしきのことで勝った気になっちゃって……さぁ!」
「リアさん危ない!」
ライムントの身体から強い魔力を感じたので咄嗟に警告したが間に合わなかった。ライムントにピッタリと密着していたリアの身体は、突如として立ち上った黒いオーラのようなものに吹き飛ばされて、林の中に突っ込んでしまった。
「ほらほら、よそ見してていいのぉ? クククッ」
「ふあっ!?」
──バリンッ!
ライムントが生み出した黒い槍が、ミリアムが咄嗟に展開した氷の壁を楽々と突き破って彼女の脇腹を貫く。ミリアムの脇腹から流れ出た血は、すぐさま彼女の魔法によって凍った。そしてそのまま槍を両手で握って離さない。ライムントは槍を押したり引いたりしているようだったが、ミリアムはどこからそんな馬鹿力を出しているのか、槍はビクともしなかった。
「──騒ぎを聞きつけてすぐに兵士が来ますわ! 足掻いてもここで終わりですわよあなた!」
「ほぉほぉ、根性だけはあるみたいだねぇ!」
──グサッ!
ミリアムの反対側の脇腹を別の槍が貫く。殺そうと思えば急所を狙えばいいはずなのにわざわざ外すあたり、ライムントは完全にミリアムをいたぶって遊んでいるようだった。一方のミリアムは、突き刺された二本の槍を両手で握り、そこを更に氷で固めて自分の身体から離れないようにしている。
「先輩! もういいんです! もう私を守って傷つかないでください!」
「はっ、バカですわね後輩ちゃんは! わたくしはこいつが心の底から気に入らないので、自分の意思でやっているんですのよ! それに──」
私は気づいてしまった。ミリアムと意図に。
「──わたくしは『氷獄』のミリアム・ブリュネ。こんな雑魚、一捻りにしてやりますわよ!」
「……なんだとぉ?」
そこで初めてライムントの声から余裕が消えた。彼の足元はもう完全にミリアムの氷魔法によって凍りついていたのだ。当然、足は地面に張りついて取れない。
「はぁぁぁぁっ!」
そこへ駆け込んできたのが親衛隊のアクセルだった。彼は腰から抜いたロングソードをライムントへ振り下ろす。ライムントは槍から手を離し、手元に新たな闇の槍を生み出してそれを受け止めた。が、背後から飛んできたナイフのようなものが背中に突き刺さり苦悶の声を上げる。
「がぁぁぁぁぁっ!? くそっ!」
ライムントの身体は霞のように消えた。転移魔法で逃げたのだ。地面にはライムントが履いていたと思われる黒いブーツだけが残された。
『仕方がないから諦めてあげる。でもまあ久しぶりに楽しめたよ。──また来るねぇ! ヒッヒッヒッ』
空中からライムントの笑い声が聞こえる中、私は意識を保てなくなりつつあった。音がひどく遠くで聴こえているようで身体が自分の身体ではないような感覚は治る気配がない。やっぱり、先程の魔法は私の身体に想像以上の負荷をかけていたようだった。
「──逃がしたぁ!」
少し離れたところで、ライムントへナイフを投げたリアが悔しそうにそう呟いたところで、私の意識は闇に飲まれた。
☆ ☆
──ずっと昔の懐かしい夢を見ているような気がする。
私は、どこか暗い部屋にいた。否、外が荒天で部屋の中が暗く感じるのだ。絶えず吹きつける吹雪。しかし部屋の中は暖かかった。それは、すきま風がよく入ってくる王都のスラム街や、ハイゼンベルクの家では有り得ない事だった。
ぼんやりとロウソクのような光で照らされた部屋。そこを黒い影がウロウロと移動している。よく見るとそれは人影のようだった。
「──お母さん」
呼びかけてみる。そう、私にもずっと昔そう呼んでいた人がいた気がする。もう忘れていた。──いや、意図的に記憶から消し去っていたのだ。
故郷への未練を絶つために。
『目的を果たすまでは──故郷の土を踏むことは許さん。父と母もいないものと思え。』
ぶんぶんと頭を振って甦りそうになる記憶を振り払った。当時齢10だった子どもにはあまりの仕打ちだった。
忘れようと努力はしているものの、辛い時、苦しい時、ふと思い出してしまう。
嫌なことを思い出してしまった。
(ミッターさん……)
守れなかった命。私は結局役立たずだったのだ。
壁に映る影を追いながら激しく後悔した。私が選択を間違えなければ救える命だったかもしれない。
私に快く牛を提供してくれたミッター。最初は受け入れてくれなかったが、やっと打ち解けられるかなと思った矢先のことだった。
無意識に頬を熱い液体が滑り落ちる。と同時に頬にくすぐったいような感触がした。
何か、温かいものが頬の上を滑るような……。
「──!!」
私の意識は急速に夢から現実に引き戻された。まず目に入ったのは緑色の猫耳。そしてその耳と同じ色の瞳。
(リアさん!? どうして……)
リアは私の身体の上に寝そべるようにしながら私の頬をぺろぺろと舐めていた。そして、それ以上にまずいことに私は気づいてしまった。身体がポカポカと暖かい原因がわかったからだ。
(ちょっと待って! なんで二人とも何も着てないの!?)
ベッドの上で裸の二人が密着している。女の子同士とはいえこの状況はどう考えても事案だった。傍から見たら、100人中98人がアウトだと判定するだろう。ちなみに残りの二人は頭がおかしい人と目が見えない人だ。
「な、なにやってるんですかっ!」
やっとのことで私がそう言うと、元凶のリアは首を傾げた。そしてニコッと微笑む。
「おはよ!」
「おはよ! じゃないですよ! リアさん、自分が何してるか分かっているんですか!?」
「もちろん、分かっててやってるんだよ」
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