その場のことはミリアムたちに任せ、リアをキャロルの元に走らせると、私は一目散に城に向かった。恐らくユリウスはこのことを知らないだろう。だとしたら早く知らせないと国の存亡に関わる。
私は今までにないくらいに全力疾走して草原を駆け抜け、ハイゼンベルクの街を突っ切って最短ルートで城を目指した。途中で何度か転びそうになったが気にしない。ヘルマー領の未来のために、私は走った。
迷路のような城壁の中にイライラしながら、やっとの思いで城にたどり着くと、ユリウスの姿を探した。運良く親衛隊の一人──以前リアに首を絞められて失神した男を見つけたのでユリウスの居場所を尋ねると、案内してくれるという。
私が案内されたのは城の最上階。──急な階段を上った先の四階だった。
親衛隊の男はトントントンと古びた木の扉を叩く。すると中から不機嫌そうなユリウスの声が聞こえてきた。
「なんだ? 今忙しいのだが……?」
「ユリウス様、オレです」
親衛隊の男の声を聞くと、ユリウスの口調がガラリと変わった。ウキウキとした、少年のような声になったのだ。
「おお! アクセルか! 俺に逢いに来てくれたのか!? 忙しいと言ったのは嘘だ。ベッドの上でゆっくりと語り合おうじゃないか!」
「いえ、今はどうやらそれどころではないようです」
「なんだ、それよりも大切なことなんてあるのか?」
「えぇ、なんかティナが血相を変えてユリウス様を探してまして──」
「ユリウス様大変です! 大変なんです!」
ユリウスの声はあからさまにトーンダウンしてしまったので、見かねた私はアクセルと呼ばれた青年の後ろから木の扉に向かって叫んだ。
「アクセル、勘弁してくれ。女を俺の部屋の前に連れてくるなと言っただろう……」
「あーもう! 緊急事態なんですよ! とにかくここじゃなんですから、扉を開けて中に入れてください!」
ドンドンドンと扉を叩いてみたが、ユリウスは相変わらず能天気な声で答えるだけだった。
「どうした? 厠なら下だぞ? 緊急事態だからって扉の前でするなよ?」
「私の身体が緊急事態なわけじゃありません! この国が緊急事態なんです!」
「ほうそうか。でも悪いな、俺はこの国の一切をティナに任せてあるから……寝るわ。おやすみなさい」
私とアクセルは顔を見合せた。アクセルはその大きな肩を竦める。
(確かに、ここ数日ユリウスの姿をあまり見ていなかったけれど……)
私も忙しかったので、ユリウスが何をしていたのかいちいち確認してはいなかった。
「ここ数日ずっとこんな感じでな。オレたち以外は部屋に入れないのさ。部屋に入れるのも、その──ユリウス様がオレたちを抱く時だけでな」
「ぶふっ!?」
アクセルの言葉は齢18の乙女には少し刺激的すぎた。
「というわけでユリウス様はティナには会われないそうだ」
「って言われても……私じゃ兵の集め方も軍隊の動かし方も分からないし、戦略も戦術も、地理もからっきしなのでどうしたらいいものか……このままじゃヘルマー領はゲーレ共和国に攻め滅ぼされちゃいますよ……」
私が扉に背を向けてそうこぼした時、肩にポンと誰かの手が載せられた。
「それを早く言え」
背後に立っていたのは、ユリウス──と思われる人影だった。「と思われる」というのは、その人物は髪がボサボサで無精髭を生やしており、とても領主には見えないみすぼらしさだったからだ。
「あれ……?」
「驚いている暇はないぞ。ゲーレのヤツらに領地を荒らされるわけにはいかん。──アクセル! お前は馬を走らせてアルベルツ侯爵へ援軍を要請してこい! ティナ。お前は皆を集めろ。俺は少し寝る──じゃなくて身なりを整えてから円卓の間へ行く」
「「はいっ!」」
私とアクセルは同時に返事をすると、そそくさと階段を駆け下りた。事態は一刻を争うということもあったが、なによりあんなだらしない姿のユリウスの前にあまりいたくなかったのだ。
ユリウスは今まで領地を支えてきたから疲れが溜まっているとはいえ、やっぱり身だしなみは大事だなと心の中で呟きながら、私は皆を集めるためにもう一走りすることになった。
☆ ☆
しばらく後、私は四人のおじいちゃんギルドマスターと、ミリアム、そして逃げてきた農民の男、さらに親衛隊長のウーリを集めて円卓に座らせ、ユリウスを待っていた。面々は一様にゲーレ共和国が攻めてきたことについての不安を口にしている。特にゲーレに農地や牧場を荒らされたことがあるセリムとミッターは気が気でない様子だった。
街中を走り回った私も疲労困憊で、とても皆を励ますような余力はなかった。
やがて、入り口の扉が開いてしっかりと身だしなみを整えたユリウスが姿を現す。雰囲気もビシッと引き締まっており、先程とは見違えるようだった。
(ここの皆にさっきのだらしないユリウス様を見せてあげたいよ……)
と思いながらユリウスが私の隣に腰を下ろすのを確認すると、パンと手を叩いて注目を集めてから会議を始めることにした。
「えーっ、今回皆さんに集まっていただいたのは、既にご存知のとおり、ヘルマー領の緊急事態が発生しているためです」
「回りくどいな。要するにゲーレが攻めてくるのだという。──単刀直入に聞こう、数は分かるか?」
すると、農民の男が頷いた。
「国境の周囲の村や街から集めてるだけなので……首都からやってくる本隊と合流してざっと8000ほどかと……」
「8000か……ミリアム、うちで集められる兵力は?」
「1000が限界ですわね。戦えそうな者は軒並みアルベルツ領の兵役へ行ってますので」
「世知辛いな……あとは頼れるのはアマゾネスたちとそのアルベルツ侯爵だが……」
「ゲーレ共和国の件であまりアマゾネスの皆さんをアテにするのも……彼女たちの敵はモルダウ伯爵家なのですから」
私がそう口にすると、ユリウスはやれやれといった様子で頭を抱えた。
「それもそうだな……ということはやはりいつもどおりアルベルツ侯爵の援軍を待つしかないか……それまで俺たちで時間を稼がなくては……」
ユリウスは一同を見渡すと、声を張り上げた。
「出陣だ! ゲーレのやつらに我が領地を荒らされる前に何としても食い止める! 戦えるやつは俺に続け! いくぞ!」
「「おーっ!!」」
ギルドマスターたちにウーリ、農民の男それにミリアムまでもが一斉に立ち上がり鬨の声を上げる。私は一瞬面食らったが、少し遅れて「おー!」と乗っておいた。
私は、拳を突き上げながら円卓の間を後にするユリウスを見送りながら、ヘルマー領の結束の強さを改めて実感したのだった。
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