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翌日から本格的に私の領地おこしが始まった。
まず私が始めたのはヘルマー領の良さ──豊かな土地と美味しい食べ物を広く世間に知らしめること。そのために特産品であるヘルマー牛をブランド牛にしてPRしようと考えた。
ブランド牛として登録されるには、年に一度王都で開催される品評会に持ち込み、優秀な成績をおさめなければならない。審査員は名だたる料理人たちと国王自らが務め、挑戦者たちは食材の質、そして料理の腕の両方で審査員たちを唸らせる必要がある。
幸運なことにその品評会の開催は約二ヶ月後に迫っていた。ここでヘルマー牛がブランド牛と認められれば、話題性が高まり一気にヘルマー領に人が訪れ、こぞってヘルマー牛を食べるだろう。
私は品評会に向けて、連れていく牛を選定することにした。選んだ牛は品評会までの二ヶ月間別の小屋で大切に管理し、さらに美味しい牛に育てる。
早速酪農ギルドのマスター、ミッターに話をつけて自慢の牛を一頭見繕ってもらった。
ミッターの牧場を訪れた私は、木製の柵を挟んで向こう側からミッターに引かれて連れてこられる大きな黒い牛を見て思わず感嘆の声を上げた。
「すごい……大きい……!」
「だろ? うちの自慢の一頭だ。──本当はよそ者なんぞに食わせたくないんだがな……」
「すみません……ありがとうございます」
「まあ、貴様のお陰で俺たちはアマゾネスに怯えなくて済むようになったからな……感謝してなくはない」
ミッターは満更でもなさそうな様子だった。
あの後、ヘルマー伯爵家とアマゾネスと同盟が正式に結ばれ、彼女たちがヘルマー領の人里を脅かすことは無くなった。狩りはアマゾネスと狩猟ギルドの合同で行われ、魔獣の討伐にもアマゾネスが協力してくれるようになったので、ヘルマー領の農業、酪農の状況は随分と好転したらしい。
その証拠に最後まで私に非協力的だった農業ギルドのセリム、酪農ギルドのミッターまでもが、私をぞんざいに扱わないようになっていた。
そして、アマゾネスたちはもう一つ私に贈り物をくれた。
「ねぇティナ? こんなに大きな牛を連れて王都まで行くのは大変じゃない? 遠いんでしょ? 王都って」
私の隣で声を上げたのはアマゾネスの少女、リアだった。彼女はアマゾネスの色とりどりの布のような衣装から、セイファート王国風の衣装──黒いシャツに水色のスカートを合わせたような衣装に着替え、この露出度高めな衣装がまた似合っている。少し羨ましい。
リアはアマゾネスとの連絡用と人間の文化への理解を深めるためとか理由をつけてキャロルがハイゼンベルクに残していったのだ。美味しい料理が食べたいというリアも喜んで私の元に残ってくれた。
「そこはまた考えないといけないですね……」
「そんなの、わたくしがいれば余裕ですわ! 責任を持って王都まで牛を護送しますわよ!」
リアを押しのけるようにして水色の髪が鮮やかなミリアムが口を挟む。リアとミリアムの二人は昼間はずっと私の後ろについて回っている。二人がいるとなかなかうるさいので少し鬱陶しい。
「じゃあ王都に行く時はリアさんとミリアム先輩についてきてもらうことにしますね。お二人がいれば百人力です!」
「まあ、それほどのことはありますわね。大船に乗ったつもりでいるといいですわ!」
「あたしも、後で美味しい料理食べさせてくれるなら頑張るよ」
(ミリアム先輩は相変わらず謎の自信に溢れているし……リアさんは対価に食べ物を要求するあたりほんとにブレないなぁ……)
とにかく、二人とも根は本当にいい人だし、行動原理が単純だからわかりやすい。
おまけに二人はよく張り合ったりするので、一緒にいるだけで楽しかった。鬱陶しいけどそれ以上に楽しいのだ。
「これでほんとにヘルマー領は賑わうようになるんですの……?」
「なりますよ。……多分」
「多分?」
「やったことないから分からないですって! ただ、理論上は………」
ミリアムが怪訝な表情をしながら言うものだから、私はしどろもどろになった。断言することができないというのは辛いところだ。私がユリウスの前で「できる」と言ったのはせいぜい「できるかもしれない」。確率で言えば50%くらいがいいところだ。
その50%に縋るしかないほど、ヘルマー領は追い詰められている。一発逆転にはリスクが付き物なのだ。私の役目は、そのリスクを最低限に抑えつつ、最大限の成果を上げること。そして、失敗したらユリウスではなく私が責任を取ること。
ユリウスは「俺が責任を取る」みたいなこと言っているが……。
私が思いを巡らせていると、ふと傍らのリアが西の方角をじっと見つめていることに気づいた。西は──ゲーレ共和国との国境がある方角だった。
「どうしたんですかリアさん?」
「……」
リアは一点を食い入るように見つめたまま動かない。私もそちらに目を凝らしてみたが、いつもどおり、だだっ広い草原と、ちらほらと林が見えるだけで特に異変はないように思える。
「リアさん……?」
「後輩ちゃんが呼んでますのに無視するとはいい度胸ですわね!」
パシーン! といい音を立ててミリアムがリアの頭を叩いた。
「痛い! 殺すよ、このスットコドッコイ!」
「なんですのこのあんぽんたん!」
すぐさま睨み合う二人を慌てて引き離す。
「もう! お二人とも落ち着いてください! リアさん! 何があったんですか? 向こうに何があるんです?」
「あっ、そうそう。向こうから一人、人が走ってくるのが見えたの」
「人……?」
「うん、なんかボロボロの身なりで、怪我をしてるみたい」
(細かいところまでよく見えるな……私には人が走ってきてるのすら分からなかったよ……)
と、改めて西の方に目を凝らしてみると、確かにずっと遠くの方から豆粒のようななにかがこちらに向かってきているようだ。その姿は次第に大きくなって、私にもはっきりと視認できるようになった。
それは、ボロ布のような服を身につけたみすぼらしい身なりの男性で、手足には擦りむいたような傷が無数にある。頬は異様に痩けていて、足取りも覚束なかった。
「あの人は……」
「西の村の農民だ。何があった!」
声を上げたのはミッターだった。彼はその農民の方へ駆け出し、私達もその後について走った。やがて農民はミッターの胸元に飛び込むようにして倒れ込む。まさに精根尽き果てた様子だった。
「おい! しっかりしろ!」
「大丈夫ですか? 先輩、この方に水を!」
「わたくしは氷しか出せませんわ!」
私たちが慌てふためいていると、ミッターの腕の中に倒れ込んだ農民が掠れた声で呟く。
「……み、ミッター様」
「なんだ? なにがあった?」
「て、てえへんです……ゲーレが……」
「ゲーレ共和国がどうしましたの!?」
急かすミリアムを手で制すると、私は農民の口元に耳を近づけて声をよく聞こうとした。
「ゲーレが……戦の準備を始めております……」
「えぇっ!?」
「なんですの!? 後輩ちゃん。こいつはいったい何を言っていますの!?」
「静かにしてください!」
ミリアムを怒鳴りつけると再び耳を澄ます。
「周辺の村から……兵を集めています……標的は恐らく……このヘルマー領かと……」
(……た、大変だ!)
「ミッターさんと先輩はこの方の介抱をお願いします! リアさんはキャロル長老の元へ走ってください!」
「よく分からないけどわかった!」
「いったいぜんたいどういうことですの!?」
恐らく農民の言葉は私にしか聞こえていなかったのだろう。正反対の反応を見せるリアとミリアム、そして神妙な面持ちのミッターの顔を見渡しながら私は告げた。
「ゲーレ共和国が戦を仕掛けてくるそうです!」
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