「うぅぁぁっ!? ──げほっ……ぐぅっ」
イノブタの突進を受けた時よりも逃げ場がない分衝撃が直に伝わったらしく、数倍痛みが激しい。口の中に溢れてきた液体を地面に吐き出すと、足元に真っ赤な花が咲いた。胃液かと思ったら血だったらしい。
(内臓がどこかやられたかな……)
危機的状況のはずなのに、頭の中は驚く程に冷静だった。兵士を志している人達はよく戦闘中に頭が冴えて時間がゆっくり進むような体験をしたことがあると『黒猫亭』での噂話で聞いたことがあるが、それだろうか? しかし今は反撃する力も手段もない以上、叩かれたお腹が酷く痛むだけだった。
「げほっ……や、やめ……」
「おい、こいつ一発で死にかけてるぞ。マジで何もないんじゃないか?」
「アホ、こうやって油断させてるんだよ。絶対どこかからのスパイに違いない。吐くまで続けるぞ」
心配そうな兵士の声と、その兵士を叱責するもう一人の兵士の声が異様に遠くから聞こえてくる。
かすむ視界の奥で、兵士はもう一度剣を構え──。
「そこ! 何をやっている!?」
突如として凛とした女性の声が辺りに響いた。兵士はビクッとして動きを止める。
「あ、いや、その、これは……」
しどろもどろに答える声が頭の上から聞こえた。
「しっかりと見張りに集中しろ! 貴様らそれでも王宮騎士団か!」
「し、しかし! こいつが門内に侵入しようと……」
明らかに兵士たちは新たに登場した人物を恐れている。私は何とか声のする方へ視線を向けようとしたが、身体がいうことをきかなかった。
「なんだと……? ──!? ティナ? ティナ……なのか?」
「──お知り合いですか? クラリッサ分隊長?」
「バカ野郎お前らこら! こいつは私の昔なじみだぞ!」
そんな声を聞きながら、私の視界は闇に閉ざされていった。
☆ ☆
目が覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。
10ラッシュほどの広めの室内には……衣服や小物が所狭しと散乱しており、端的に言うとすごく散らかっている。
ふと、腹部を押さえてみたが、兵士たちに思いきり叩かれたはずのそこは触ってもなんともなく、身体の痛みは嘘のように消えている。
(──夢だったのかな?)
だとしたらどこからどこまでが夢だったのだろうか。私が記憶を整理していると、部屋の扉が開いて長身の女性が入ってきた。
かつて長かった髪は肩の上くらいで切りそろえられ、身体には白くて高級そうな絹製の衣服を身につけている。さながらお姫様のようでもあり、貴公子のようでもあるその出で立ちに、私は見覚えがあった。
──七天、『生々流転』のクラリッサ。クラリッサ・コールザート。
「目が覚めたかティナ。さっきはウチのバカどもが済まなかったな。後でキツく言っておくから、どうか許してやってくれ」
久しぶりに会ったクラリッサは、王宮騎士団の男たちの中で青春の5年間を過ごしてきたからか、幾分か目つきが鋭くなっており、仕草や口調も男性っぽくなっていた。──セイファート王国の貴族令嬢であったクラリッサは魔法学校時代は『バカ』などという言葉は使わなかったし、男言葉で話していることを知ったら出身のコールザート子爵が泡を吹いて卒倒するだろう。
七天であることがわかり、魔法学校に半ば拉致された彼女は、既にコールザート子爵家との関係は希薄になっており、子爵と自由に会うことすらままならない立場になってしまっているのだが。
「クラリッサさん……」
「ここは王宮にある私の部屋だ。少し散らかっているが気にするな。──勝手に部外者を連れてきたことがバレたら懲罰モノだが、ティナは入場許可証を持っていたし構わないだろう」
こちらの知りたいことを先回りして答えながら、クラリッサはこちらに歩み寄ってきて私が寝ていたベッドの端に腰を下ろした。私が慌てて身体を起こすと、「寝ていろ」という、ように手で制される。
「いきなり動くと怪我に障るぞ? できる限りの治癒は施したが、光魔法の使い手ではない私には内臓のダメージは完全には治せないからな」
「いやむしろクラリッサさんが治癒魔法を使えたことに驚きなんですけど……」
「そうか? 水魔法の応用で代謝を促進させた治癒が可能なんだ。──まあある程度は対象の自然治癒力に頼ることになるから、ユリアーヌスのように完全治癒とはいかないが……」
ベッドに腰掛けながら得意げに言うクラリッサ。
(そういえば魔法学校にいた頃もよくこうやってクラリッサに魔法のことを教えてもらったことがあったっけ……)
貴族出身の彼女は入学当初から魔法について詳しく、私たち七天はよく彼女に魔法を教えてもらったものだ。私が上級魔法を使えるとのたまったのもそんな席でだった。その時のクラリッサの部屋もこんな感じで散らかっていて、几帳面なサヤなどが溜息をつきながら整理していたような記憶がある。
私はしばし昔の記憶に浸った。
もっとも、魔法に詳しいクラリッサも当時は魔力器官の負荷については知らなかったようだが。
「それでも、ほとんど痛みはなくなってますよ」
「それはよかった」
魔導士という存在自体が希少な今、治癒魔法を使える魔導士はさらに得がたい存在だ。王宮がクラリッサを騎士団に取り込んで手放さない理由が何となくわかった。要はあまり前線で戦わせたくないのだ。
懐かしい雰囲気をまとっていたクラリッサは、ふと表情を引き締め私に向き直る。どうやら本題はこれかららしい。
「でだ、ティナ。私に話とは何だ?」
「はい?」
「冒険者ギルドに頼んでまで許可証を発行してもらったのだろう? 何の話だ? ──まあだいたい想像はつくが……」
(はぁ……どうしてこうも私の思考は読まれやすいかなぁ……冒険者ギルドのお姉さんといい、クラリッサといい……)
「想像ついてるならわざわざ言う必要ないじゃないですか……」
不満げに口を尖らせると、クラリッサはポンポンと私の肩を叩く。私の肩や背中や頭は叩きやすい場所にあるらしい。最近やたらと叩かれている気がする。
「いじけるなティナ。らしくないぞ」
「私らしいってどういうことなんですかねぇ……」
苦し紛れの憎まれ口もクラリッサには響いていないようだ。彼女は私の質問には答えずに、口元に笑みを浮かべる。ニヤッといたずらっぽいその笑みは、以前のクラリッサでは考えられないようなもので──きっと王宮騎士団で身につけたものなのだろう。
人をおちょくるような態度も、きっと。
私は少し機嫌を損ねた。
「ユリアーヌスのことだろう?」
「……」
「どうした?」
「いや、やっぱり分かってるんですね」
「当たり前だろう。ユリアーヌスとティナの関係なんか、知らないのは本人たちだけだからな。皆知ってた」
「……」
(あほらし……)
無言でクラリッサを睨みつけていると、彼女はふふっと優しげに笑う。こんな表情も以前はしなかった。彼女はだいぶ変わってしまった。──それがいい事なのか悪い事なのかは私には分からない。
「ユリアーヌスの死について、私の知っていることを話そう。その上で私からも話がある。──話というよりも忠告に近いがな」
一転して真剣な表情になったクラリッサは、ゆっくりと思い出すようにしながら話し出した。
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