☆ ☆
「……はぁ」
これで何回目だろうか。私は椅子に腰かけてうなだれながら深いため息をついた。王都のヘルマー屋敷に戻ってきてから私はずっとこんな感じで落ち込んでいる。リアもアクセルもカルロスもホラーツもセリムも、誰も私に話しかけない。──いや、話しかけられないのだ。
(だって、あんなに苦労して牛を守って品評会に持ち込んだのに、あと一歩のところで私は負けちゃったんだもん……)
しかも負けた相手がいけすかない料理人のクリストファーである上に、彼が仕えているのがライバルのモルダウ伯爵家だというのだから私の心理的ダメージは計り知れない。
(これじゃあミッターさんも、ティナ(牛)も無駄死にだよ……私はほんとに役立たずだな……)
今までヘルマー領を救うつもりで頑張ってきたけれど、私はすっかり弱虫のティナに逆戻りしてしまっていた。冒険者としても、料理人としても実力不足だということが証明されてしまったのだから。
なによりもヘルマー領で待っているキャロルとユリウスにどんな顔をして会えばいいのか……いや、合わせる顔がない。
「私……私は……っ!」
ぽたぽたと太ももに涙のしずくが落ちる。一度溢れたものはそう簡単には収まらず、私は嗚咽を漏らしながらすすり泣くことになってしまった。
「ティナ……」
あの天真爛漫なリアですら私にどう声をかけていいものか戸惑っているようだ。
「リアさん……ごめんなさい……私……リアさんの……アマゾネスの皆さんとの約束を果たせなくて……私を殺してください……」
「いや……あの……」
傍から見て自分がめんどくさい状態になっているのが分かったがどうすることもできない。今はとにかく自分を責めることしか出来なかった。
「う、うぅ……うぅぁぁっ……」
ヘルマー屋敷の一室に私の嗚咽だけが響いていた。
──が、その時部屋の扉が大きな音を立てて開いた。
扉の向こうからは慌ただしい音を立てながら誰かが入ってくる。私はそこから微かに懐かしい魔力を感じた。──この魔力は。
「あーもう、せっかくわたくしが駆けつけてあげましたのに、なんですのそのシケたツラは!」
魔力の主──ミリアム・ブリュネは早速そのハスキーボイスを部屋中に響かせた。私は思わず顔を上げてミリアムを凝視する。彼女はいつも通りの踊り子衣装を身につけ、左手には氷の塊を持っている。その目はかつてないほどギラついており、彼女の気合いの入りようを表しているようだった。
「ミリアム……先輩?」
「後輩ちゃん! らしくないですわね! 冒険者ギルドヘルマー支部マスターのわたくしとしてはヘルマー領を離れるのは職務放棄になってしまうのですが、ユリウス様にどうしてもと言われたので目覚めて早々馬を走らせて来ましたのよ!」
ミリアムは驚く一同を後目に、私の前までずかずかと歩み寄ってくる。そして腰に手を当てて説教をする姿勢になった。
「わたくしの再登場ですのに後輩ちゃんがそんなにクソみたいなツラをしてたら盛り上がりませんわぁ!」
「……ごめんなさい」
「確かに勝手に氷漬けになって寝込んでしまったのは反省していますが、魔力を回復させるのはあれが一番効率がいいのですわ! それに今のわたくしは以前のわたくしとは少し違いますのよ!」
「……もう、遅いんです……私は負けたんです。ヘルマー牛はブランド牛になれなかったんですよ先輩……こんな役立たずな私は──」
「お排泄物!!」
──べシッ!
割とえぐい音がして私は頬に衝撃を受けて椅子の上から吹っ飛んだ。それと何かミリアムが意味不明の言葉を叫んだ気がするが、それはきっと彼女なりの罵倒なのだろう。
とにかく、ミリアムの右手に殴り飛ばされた私は、突然のことに床にへたりこんだまま呆然とミリアムを見つめるしかなかった。
「おいミリアム!」
アクセルが慌てて制止しようとするがミリアムは意にも介さず、私の胸ぐらを右手で掴みあげ、キスしそうなほど顔を近づけながらまくし立てる。
「なーに甘えたことほざいてるんですのこのおたんこなす! 一つ失敗したくらいで弱音吐いててどーするんですの! 一つ上手くいかなかったら次の策を考えなさい! それがあなたの役目でしょうが!」
「……で、でも」
あまりの勢いに動転していると、ミリアムは「はぁー!?」と大声を上げながら更にキレ散らかし始めた。
「わたくしを感動させたティナ・フィルチュという女はその程度だったんですの!? わたくしも、ユリウス様も、リアさんも、親衛隊の皆さんも、ミッターさんも、ギルドマスターの皆さんも、みんなあなたに賭けてるんですの! やってもらわなくては困りますわ! 死ぬまで頭を働かせなさい! 後輩ちゃんならできるはずですわ!」
「……」
もはや罵倒されているのか、無茶言われているのか、バカにされているのか、激励されているのか分からない。多分、その全てだろう。
私が反応しないでいると、ミリアムはより強く私の首を絞めてきたので、たまらずもがいてミリアムの腕から逃れた。
「……ミリアム先輩」
彼女が何を言いたいのかイマイチ分からなかったけれど、私の頭から先程までのネガティブな気持ちは消えていた。
なぜなら私はすっかり忘れていたのだ。
──何があっても諦めない心を
地を這いつくばってでも這い上がる。そういう根性で私は料理人になり、冒険者に返り咲いたのだ。その私が、こんなたった一度の敗北で折れてしまって……確かにミリアムの言うとおり「らしくない」。
「ありがとうございます、私……大切なことを忘れてました。──最後まで足掻いてみましょう!」
「ふふふそれでこそわたくしの後輩ちゃんですわ! わたくしとしても、自分が負けた相手には是非とも頂点をとってもらいたいんですの。そしたらわたくしは二番手ということに……」
ミリアムの言っていることはあまりよく分からないが、彼女はふっと表情を和らげて私の頭を撫で回した。髪の毛がくしゃくしゃになるからやめてほしいものだ。
「うーん、でも起死回生の手なんてありますかね……」
「やっといつもの後輩ちゃんの顔になりましたわね」
私が思案顔をすると何故かミリアムは満足げだった。
(考えろ……考えろ私……ブランド牛になれなかったら……どこかに卸してもらうためには……)
「今回ばかりはわたくしの案に乗るしかなさそうですわね!」
とても嬉しそうなミリアムは、左手に持っている氷の塊を私に示した。──あれで殴られなくて本当に良かったと思う。あれが頭部に直撃していたら死んでいたかもしれない。
よく見るとその氷の塊は、何か赤いものを凍らせたもののようだった。赤い──。
「……肉ですか?」
「ピンポーンですわぁ! ティナ(牛)の肉の余りを回収してきましたの! 残りは凍らせて屋敷の倉庫に入れてありますわ」
「肉を凍らせてどうするつもりだ?」
不思議そうに尋ねるアクセル。ミリアムは待ってましたとばかりに人差し指を立てながら説明を始めた。
「肉は凍らせると、ある程度保存がききますの。それを片っ端から王都の料理店、宿屋、商会のオーナーたちに直々に振る舞います! ヘルマー牛の美味しさが証明されればブランド牛でなくても仕入れてもらえるかもしれませんわ!」
(なるほど、確かにそれはあるかもしれない。少なくともここでうだうだしているよりもやってみる価値はある……。悔しいけど、ミリアム先輩にしてはいいアイデア。とっさに肉を凍らせて保存しておく機転といい、もしかして──)
「……先輩、もしかして寝起きで冴えてます?」
「え、えへへそれほどでもありますわ! いやですわーバレてしまいましたわね!」
「それではもうひと足掻きしてみましょう! あと少しだけお付き合いお願いします皆さん!」
「もちろん! あたしはティナに地獄の果てまでついて行くよ! その後に美味しいものが食べられるならね!」
私の言葉にリアが真っ先に立ち上がって元気に返事をした。
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