文様は直径10センチメーテルほど。うねうねとしていて見るものに嫌悪感を与えるそのフォルムは生き物のようでもあり、手を重ねたような模様でもあり、文字に見えなくもない。
「な、ななななんですかこれ!?」
「淫紋ね、いやらしい。ライムントのやつ、ティナにこんなの付けようとしてたの……? 前から変態だとは思っていたけど、まさかこれほどなんてね……」
「これ、どんな意味があるんですか……? 何かの生き物ですか?」
サヤは心底気分が悪いといった様子で口元を押えながら顔を歪ませている。
(確かに気味が悪いけど……)
「えっと、淫紋は女性器を象っていてね……エッチな意味合いが──」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
自分の下腹部に淫紋とやらが刻まれている姿を想像してしまった私は悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。ついでに私がライムントに乗っ取られるのも想像して、背筋をゾワゾワとした悪寒が駆け抜けていった。
「ほら、言ったでしょ? 趣味が悪いって。普通はこんな呪いかけないわよ……」
「リアさん……可哀想に……! でもよかった! 私にかからなくてよかったぁぁぁ!」
「本音出てるわよ?」
サヤは呆れながらもリアの淫紋を右手で撫でていく、その手つきもなんだかいやらしかった。それはきっとリアが全裸で変な模様を身体に刻まれているせいだ。きっとそうに違いない。
「うーん、これはわたしじゃ解呪は難しいわね……」
「そうなんですか!?」
「わたしも呪いの専門家じゃないからね。専門はあくまでもものづくりなの」
そそくさと、サヤはリアに服を着せていった。まるで見たくないものを隠すかのように。まあ事実なのだが。
「じゃあリアさんはずっとこのまま……」
「──とは言ってないでしょ?」
サヤはマントの内側から紙とペンを取り出して、紙を壁に押し付けながら何かをスラスラと書き綴っていく。やがて彼女はその紙を私に差し出した。
「はい」
「なんですかこれは?」
「わたしの故郷に『タマヨリヒメ』っていう、心霊が取り憑いた巫女みたいな存在がいるから、そいつを頼るといいわ。わたしが一筆したためてあげたから、解呪程度なら快く引き受けてくれるはずよ」
私は紙に書いてある文字を解読しようとしたが、東邦の文字で書かれているのか私にはさっぱりだった。
「サヤさんは東邦に帰るつもりはないんですか?」
「ない。さらに言うとここから動くつもりはない」
「確かにここにいるとライムントの襲撃からは逃れられそうですけど……例えばマテウスくんが攻めてきたらサヤさんは属性的に不利ですよね?」
「その時はその時よ」
サヤの決意は固いようだ。これは一筋縄ではいかないなと私は頭を悩ませた。とりあえず、シーハンのためにも粘れるだけ粘っておかないといけない。
「どうしてもですか……?」
「どうしてもよ」
「お姉ちゃんお願い──!」
「甘えてもだめ! わたしはティナのお姉ちゃんじゃないし! そもそも同い年でしょ? なにロリロリしい見た目を武器にしようとしてるのよ?」
「だ、だれがロリですかっ!」
取り付く島もないので、さすがに恥ずかしくなってそれを紛らわすために怒ってみるが、自分でも行動と言動が矛盾してるのがわかる。そこを突っ込まれたら本気で再起不能になりそうだったが、幸いサヤは馬鹿らしいと思ったのか、肩を竦めただけだった。
その時、妙な空気になってしまった部屋に突如として救世主が現れた。──正確には元からいたのだが。
突如としてむくりと起き上がったミリアムが寝ぼけ眼で辺りを見回す。そして両手で私とサヤを指さしながら叫んだ。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 後輩ちゃんが新しい女を作ってますわぁぁぁぁぁぁっ!」
「起きて早々やめてください先輩! 人聞きの悪い!」
何を言うかと思えば、勝手に騒ぎ始めたミリアムに私は反射的にツッコミを入れた。
「いいえ、これは由々しき事態ですわ! わたくしというものがありながら! リアさんとベタベタすることもある意味黙認していたところはありますが……後輩ちゃんの浮気性は目に余りますわ! さすがに寛大なわたくしも堪忍袋の緒が切れましてよ!」
「いつ私が先輩の恋人になったんですか……」
「ほら、すぐそうやってとぼける!」
どうやらいつものミリアムの『謎の思い込み』が発動しているらしい。こうなってしまうと説得して訂正するのは不可能に近い──と私は今までの経験から学んでいた。
先程からかつてないほどの呆れ顔をしているサヤに目配せをしてとりあえず話を合わせるように合図してみる。
「あー、はいはいごめんなさい。でもサヤさんは私の愛人ではありませんよ」
「なんですって!? そうなんですの……?」
ミリアムの矛先が向かったサヤは心底うんざりした様子で面倒くさそうに答える。
「当たり前じゃない……バカなのあなた?」
「バカ? バカとはなんですのバカとは! バカといった方がバカなのですわ!」
サヤの言葉はミリアムのどこにあるか分からない怒りのスイッチに見事にヒットしてしまったようだ。とはいえ、これは『バカ』と言ったサヤも悪いので自業自得かもしれない。
「先輩! サヤさんは私たちを助けてくれたんですよ?」
「……それを早く言いなさい」
ミリアムは途端に大人しくなる。ヘルマー領を訪れてからミリアムとはたくさんの時間を過ごしてきたが、私は未だに彼女の扱い方が分からずにいた。
「あれ……? なんかあたしおかしな夢を見ていたような……」
キャンキャンと騒ぐミリアムの声がうるさかったせいか、リアも目元を擦りながら身体を起こした。私は真っ先にリアに駆け寄った。
「リアさん! もう大丈夫なんですか!?」
呪いのこと以外にも、彼女の身体はサヤに吹き飛ばされたり締め付けられたり、かなり痛めつけられたような気がするのだが、一見したところケロッとしている。
「まだ呪いは残ってるからちゃんと解呪するまではティナとそこの──」
「ミリアムですわ!」
「ミリアムでしっかり見張ってること」
サヤの言葉に私たちは頷いた。
「あたし、呪いがかけられてたんだ……」
「そ。それでもう少しのところでわたしとティナが死ぬところだったわ」
リアはサヤの視線を追いかけて、自分の下腹部に刻まれている淫紋に気づいたようだ。おもむろに短剣を抜いて腹を突き刺そうとする。それをサヤが手で制した。
「──ちょっと、まさか責任感じて死のうとしてない? そんなことしたらティナはきっと悲しむわよ? ティナがあなたのことをすごく想ってるのは見ればすぐわかるわ」
「うっ……」
「サヤさんが呪いを解いてくれる方を紹介してくれましたから、行きましょうリアさん。それまでは私が責任をもってリアさんを守りますから!」
「なんだかよく分かりませんけど、わたくしに任せていただきたいですわ!」
私とミリアムも続けると、リアは心打たれたようで、瞳をうるませ始めた。
「ティナ……すっとこどっこい……」
「そ、その呼び方いい加減どうにかなりませんの!?」
(よかった……やっといつもの雰囲気が戻ってきた……)
束の間の休息を得た私たち。目的地は変わってしまったが、東邦帝国もゆくゆくは訪れなければならないと思っていた国だった。たくさんの美食があり、サヤやアメノウズメの故郷である東の国。
どうせ用事ができたのだから、精一杯楽しんで、あわよくばなにか収穫を得てからヘルマー領に戻ろう。私はそう心に誓ったのだった。
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