「ちょっと待ってろ」
私を小さなテーブルに座らせると、そう言いながら厨房に入っていくユリウス。
予想はできていたものの、ユリウスに尋ねるのは不粋な気もしたので、私は大人しく待つことにした。
やがて、厨房の中から何かを焼くような音がし始めた。ユリウスが料理を仕上げているらしい。
(──でもどうして?)
どうしてユリウスはよりにもよって『あの』料理を私に作ってくれるのだろうか……? そとそもユリウスはいつ料理を覚えたのだろうか……?
疑問は尽きないが、腹が減ってなんとやらだ。腹ごしらえをしてから質問攻めにしてやろうと身構えた私の前に、厨房から戻ってきたユリウスがゴトリと皿を置いてきた。
「……! これは……」
私は驚いてユリウスの顔をじっと窺った。びっくりしたのは予想が外れたからではない……否、ある意味予想が外れたと言うべきか。
料理そのものは私が予想したとおりのものだったのだが、驚くべきはその出来栄えだった。
ちょうどいい焼き加減でフワフワッとした黄色い食べ物。私の──そしておそらくユリウスの一番の好物。安価にして美味。簡単なのに奥が深い。セイファート王国を代表する卵料理であり、原点にして頂点。まるで黄金の宝石箱。
──それは見事なまでに完璧に仕上げられたオムライスだった。
オムライスから上がる湯気からはこの世のものとは思えないほど美味しそうなチキンライスとトマトソースの匂いが漂ってきて、食欲をそそる。
(──もう、待ちきれないっ!)
「……どうした? 別に毒は入っていないからさっさと──」
「いただきますっ!」
私は匙を握ると、その黄金の丘にスッと突き立てた。見た目に紛うことなき、フワフワの感触が匙を伝って感じられる。それだけで脳内が幸せになってくる。
卵とチキンライスをまとめてすくってそのまま口へ。──おいしい、とても素人が作ったものとは思えない。味付けから焼き加減まで全てが理想的だった。
私が──否、世の中の全ての料理人がこれほどのものを作ろうとしてもなかなか作れるものではないだろう。それほどまでにそのオムライスは美味しかった。
「なんだ、予想外に反応が薄いな。てっきりもっと驚くかと思ったんだが……」
「いえ……びっくりしすぎて反応ができないんですよ……」
「……そうか? よかった。不味かったのかと思って──」
「いやいやとんでもない! 絶品です! ──ユリウス様、どうやってこのオムライスを?」
やっとのことでその質問を投げかけることができた。もっとも、ここでその質問をするのが果たしてベストなのか分からなかったが……。聞かずにはいられなかったのだ。
「せっかく暇ができたからな。料理でもやろうと思ってウーリに教わったのさ。──ウーリもまたティナからオムライスの作り方教わってたらしいからな。──つまりはそのオムライスはティナの味だ」
「私の──」
「そう。俺が惚れた黒猫亭のティナのオムライスの味だ。違うとすれば……『空腹』っていう最大のスパイスがついてるってことと……『愛情』が込められてるってことかな?」
「──愛情?」
私が聞き返すと、ユリウスは「しまった」といった表情をして慌てて両手を振った。
「いや、やっぱりさっきのはナシで!」
「いえ、料理に愛情を込めるのは料理人の基本なので、それは別に問題ないんですよ? ちゃんと食べる人が幸せになるように、想いを込めて作った料理は──」
「ま、まあ……違うけどそういうことだ……」
ユリウスはどこか釈然としないようだったが、その時私はふと思い出した。──なにか、すごく大事なことを忘れていた。──失っていたような気がする。温かくて懐かしい感覚。
料理で人々を救ってきた私が、ここにきて初めて誰かの料理で救われたような気がした。悩んでいた私が、ユリウスのオムライスでヒントを掴みかけているのだ。
「これは……困りましたね……料理でみんなを元気にするはずだった私が……逆に元気を貰っているだなんて……」
「いや、ティナはもう十分みんなを元気にしてたさ……俺だって何度も救われた。もう、頑張らなくていいんだ。あとは好きに──」
好きにとはどういうことだろうか? 祖国の──ノーザンアイランドの使命に従って事を進めるということだろうか?
(──いや)
いや違う。このままなりゆきに任せて……ヘルマー領をノーザンアイランドの植民地にしていいはずがない。父王のヨーゼフのことだから、植民地には高額な税を課して領民から搾り取れるだけの富を搾り取り、それを力に変えて隣国への侵略を続けるだろう。
そうなったらヘルマー領はどうなる? アルベルツ侯爵に従っていた時と同じ──いや、それ以上の苦しみを領民は背負うことになるかもしれない。
それは──私が目指すものではない。
「──ごめんなさいユリウス様。私、やっぱり料理が好きです。ユリウス様のオムライスを食べて、また一つ越えなきゃいけないものができましたしね」
「は? おい、それはどういうことだ?」
「どういうことって、そのままの意味ですよ? 私が胃袋を掴んだはずのユリウス様に、私は今胃袋を掴まれています。なので、ユリウス様の言うとおり──私の好きなようにしたいと思います!」
「というと?」
自分のせいでこうなっているのに、ユリウスは不思議そうに首を傾げた。
「俺が命令したらティナはその通りに動くということか?」
「──そうしたいと思う限りは」
私はユリウスの瞳を見つめ返しながら続けた。
「そして多分今、私とユリウス様の望みは同じだと思います。……ヘルマー領民の幸せ──でしょう?」
「──まあそうだが……正直ティナが領民を無下にするとは思えないが、ノーザンアイランドの当主がどうするかは分からないからな。不安なのは事実だ」
こちらが本音を打ち明ければ、ユリウスも本音を話してくれる。それほどまでに私とユリウスは信頼し合う関係になっていたし、それはちょっとやそっとのことでは崩れていなかった。──それがわかっただけでも私にとっては十分だった。
「私、ヘルマー領をノーザンアイランドの支配下に置くのは嫌なんです。そのためなら祖国に反旗を翻すことも厭いません!」
私の言葉にユリウスは少し驚いたようだ。だが、すぐに首を振った。
「いや、それは得策ではないな」
「……これ以上は私には考えつきません。ユリウス様、やっぱりこのヘルマー領にはユリウス様が必要なんです。──力を貸していただけませんか?」
「それは構わないが。──読んでた本に載っていたもので実践できそうなものがいくつかあるだ。ティナとなら……できるかもしれない」
「ほんとですか!?」
ユリウスは深く頷いた。そして、気まずそうに視線を逸らしながらおどおどと続ける。
「なあティナ──この領地を俺と一緒に治めないか? 一人じゃ無理でも二人ならできるような気がする。そして……もしよかったら俺と──」
それの意味するところは最後まで聞かなくても分かっていた。──分かってしまったと言うべきか。それは私がずっと待ち望んでいた言葉であり、とても幸せで──少しだけ残念な気もした。
私がしどろもどろになってしまったユリウスにどう答えたか。言うまでもないだろう。
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