「……とでも言うと思った?」
「──っ!?」
ライムントはスタスタと私の目の前にやってきて、胸ぐらを掴みあげた。私はその弾みに握っていたフライパンを落としてしまった。
「バレバレなんだよ。時間稼ぎをしようとしてるの」
「くっ、離して……!」
「離して欲しい? そっかぁ、だったら──」
そのままライムントに押されるようにして数歩後ろに下がると、木に背中を押し付けられた。
「黙って僕のモノになりなよ……」
耳元で低いドスの効いた声で囁かれる。それだけで、私の背中をゾワゾワとした悪寒が駆け抜けた。
(私はライムントくんを受け入れられない。時間稼ぎももうできないし……だったら!)
本能的に顔を背けた私は、近くに違和感を感じた。ぼんやりとしたこの魔力は以前にも感じたことのあるものだった。
「い、嫌っ……!」
「嫌? 嫌かぁしょうがないなぁ。せっかくこの僕が想いを伝えてあげてるのになぁ……」
「わ、私にだって! 相手を選ぶ権利はあります! あなたのことは別に好きでもなんでもありませんから!」
「へぇ、じゃあティナちゃんには他に好きな人がいるんだー? 誰? あのユリウスとかいう領主様?」
ライムントは露骨に落胆した様子を見せた。
その質問には答えなくてもいいものだったが、私の脳内にはふと想い人の姿が思い浮かんでしまった。場を弁えずに紅潮していく頬を見て、ライムントも図星であると察したらしい。苛立たしげに舌打ちをする。
「──あいつ、ぶっ殺してやる!」
「そんなこと、私が許しませんから!」
「いいよ、ティナちゃんの目の前であのヘルマー伯をじっくりいたぶって殺してあげる。そしたらティナちゃんは僕を好きになるしかないよね……?」
(いや、もしそうされたとしても私がライムントくんに惚れる可能性は限りなくゼロなのに……むしろ憎しみの感情しか湧かなくなると思うけど……)
だが、私にフられて精神の安定が保てなくなりつつあるライムントにとって、自分の頭の中に浮かんだアイデアは絶対正義であった。彼は本気でユリウスを殺せば私がライムントを好きになると思っているのだろう。
今ここでライムントにユリウスの元へ転移されれば事態は最悪だ。彼はすぐさまユリウスをその毒牙にかけ、見境なくヘルマー伯爵軍の兵士を殺すだろう。ライムントに対抗できる魔導士のいないヘルマー軍には対抗のしようがないし、転移の使えない私たちがユリウスの元へ戻るためには時間がかかる。
頼みの綱は、彼が今理性を失って正しい判断ができない状態であること。──そして、この場にいるもう一人。
とにかく今は彼の標的をユリウスから私に逸らす必要がある。私は冷や汗をかきながらも必死に言葉を紡いだ。
「考えてみたら哀れですねあなたも。──最初から私に脈がないのはわかっていたでしょう?」
「はぁ? ティナちゃんだって、魔法学校にいた時はひたすら強さを求めてたじゃん? ってことは、最強の魔導士であるこの僕こそがその相手に相応しいんじゃないの?」
(確かに……「強い人に憧れる」といった話はよくしたような気がする。それからライムントが鍛錬を積んで最強の魔導士と呼ばれるまでに上り詰めたのだとしたら、相当な執念だな……元々才能があったとはいえ少し尊敬するかも)
「わ、私の言う『強い人』っていうのは、純粋な強さじゃないですよ……ユリウス様みたいな、何度失敗しても立ち上がる不屈の精神力を持つ人です」
「……ユリウスユリウスってよぉ!」
(やばいやばい……話を逸らさないと!)
「え、えっと……とにかく私はあなたのことが嫌いですので! もう関わらないで欲しいんですけど!」
──言ってしまった。完全にライムントは怒っただろう。もう後戻りはできない。
「そっか……まあ仕方ない。断られても無理やり連れていくつもりだったしな。──っと、その前に、逃げ出さないように呪いかけておかないとな……」
「えっ……?」
自然な仕草でライムントの右手が私の下腹部の上に置かれた。
(も、もしかしてリアさんにかけた『アレ』をかけるつもりじゃ……!)
リアの身体に刻まれていた禍々しい紋様、そして乗っ取られて暴れるリアの姿を思い出してしまった私は、慌てて首を振ってイヤイヤをした。
「嫌っ……だめっ……やめて、おねがい!」
「怖いのか? 大丈夫だよ。少し変な感じはするかもしれないけど、僕の魔力を分けてあげるだけだから。そしたら僕とティナちゃんはずっと一緒に……」
おかしい。
狂っている。
心の底からそう思った。
(たすけて……誰か助けて……!)
祈るような気持ちで辺りを見回すと、私が落としたフライパンが音もなくフラフラと宙に浮かび上がるところだった。
「力を抜いて、すぐ終わるから」
私の身体に添えられたライムントの右手が禍々しい紫色に光る。
(手遅れになっちゃう……早く……早くっ!)
ライムントから私へ、魔力がゆっくりと流れ込んでくるような感覚がしたその時、宙に浮いたフライパンが勢いよくライムントの頭部に直撃した。
「ぐぁぁぁぁぁぁっ!?」
頭部を殴打されたライムントはこの世のものとは思えない悲鳴を上げ、と同時に私に流れ込んでくる魔力は途絶える。
フライパンの攻撃はそれで終わりではなかった。
「──このっ! このっ!」
少女の声に合わせて何度もフライパンは振り下ろされ、ゴンゴンという音を立てながらライムントの黒髪の頭部を襲う。すると虚空からぼんやりと、フライパンを振るう茶髪の少女の姿が露になってきた。
ライムントはたまらずに転移魔法でどこかへ逃げる。
「はぁ……はぁ……嫌がっている女の子に無理やりせまるとか、紳士として……いや、人間としてどうかと思います」
私の目の前には、フライパンを握りながら息を荒らげている茶髪の少女──アメノウズメが立っていた。私が感じていた魔力の正体は彼女で間違いなかった。
認識遮断の魔法を使っていたであろう彼女は、やはり服の認識やフライパンの認識は遮断できないらしく……当然のように裸だった。
彼女はまだ成熟しきっていない身体と、そのわりには大きな胸を惜しげもなく晒している。
私が男の子だったら理性を失っていただろう。
「や、やっぱり人前で裸になるのは乙女として……いや、人間としてどうかと思うので服を着てください!」
慌ててアメノウズメにマントを羽織らせると、彼女はやっと魔法が切れていたことに気づいたのか、マントを身体に巻き付けながら恥ずかしそうに身をかがめた。
「……助けるの遅くなってごめんなさい。バレるのが怖くてなかなか動けませんでした」
「いえ、でもおかげで助かりましたよ! ほら、呪いも受けていませんし!」
私がぴょんぴょん飛び跳ねながら元気をアピールしてみせると、アメノウズメは年相応の愛嬌のある笑顔を浮かべた。
「よかったです」
「さてと、でもまだ終わってませんよ? ライムントはどうやら近くで様子をうかがっているようですね。──魔力を感じます」
「なるほど、じゃあ……」
そう言いながらアメノウズメは立ち上がり、私の傍に寄り添ってきた。不思議そうにする私の手をギュッと握るアメノウズメ。
「お手伝いします。──わたしを上手く使ってくださいね?」
「──?」
アメノウズメの意味深な言葉の意味はすぐに分かった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!