いまいち状況が飲み込めない私たちを眺めて、イーイーは首を傾げる。
「あれ、伝わらなかったかしら? 訳し方間違えてるルオシェン?」
「いいえ、正しく訳されていたかと思います」
「そう、ならよかったわ。──返事を聞かせなさい、ヘルマー伯爵とやら」
玉座の前に突っ立っているユリウスはいまだに訳が分からないといった様子でポカンとしていた。
「え、えっと……」
「あー、言い忘れてたわね! アタシは父であるモウ・ジュンジェ首席の名代で来てるの。だから今のアタシの意思はゲーレの意思なわけ。おわかり?」
「そ、そう……ですか」
ユリウスはタメ口をきこうとして慌てて訂正したようだ。ゲーレ共和国における首席は、セイファート王国でいえば国王と同等の権力を有していると言われている、文字通り最高権力者だ。その娘であるイーイーは王国でいえば王子にあたる。私とミリアムもつい背筋を伸ばしてしまった。しかし、リアだけはそんな事情に疎いのかはたまた無神経なだけなのか、腕を組みながら不満そうな顔でイーイーを睨みつけている。
「なによネコ耳! 文句あるわけ!?」
「いや別にー、なんでこんなちびっこい子どもに偉そにされなきゃいけないのかなーって思って」
「偉いからに決まってるでしょう!」
ダンダンダンッとイーイーはその場で分かりやすく地団駄を踏んだ。ミリアムに勝るとも劣らない模範的な地団駄だった。
「知らなーい。あたしはあたしより弱いやつに頭下げたりはしないもん」
「おいリア。その辺にしとけ」
今更になってユリウスが制止するあたり、ユリウスも少なからず不満に思っているらしい。それもそのはず、だいたいこんな子ども相手では話し合いにならないだろう。そんなイーイーに重要な役回りを押し付けるゲーレの首席の常識が疑われる。
案の定、イーイーはぷくーっと頬を膨らませると、私たちを指さしながら喚き始めた。
「お前ら! 本当はこのネコ耳と同じで内心アタシをバカにしてんでしょ! ふざけんなよ! アタシが一言『やれ』って言ったらお前らまとめて串刺しにされんのよ!」
(こんな子に交渉をやらせるもんじゃないな……)
恐らく皆同じ心境だろう。ユリウスもミリアムも「やれやれ」といった表情をしている。唯一場を鎮められる存在であるはずのルオシェンですら、にこにこと微笑みながら静観していた。あの人も訳が分からない。
「……ここは俺が大人になるしかないか……」
ボソッと呟いたユリウスの言葉はマズい事に地獄耳のイーイーには聞こえていたようだ。
「おい、いまなんつったてめぇこらぁ! アタシを子ども扱いしてんじゃねぇぞこらぁ!」
「はっ、申し訳ありません!」
ユリウスがその場に跪きながら目配せをしてきたので、私たち三人も渋々膝をついて頭を垂れた。もはやそうしなければこの場は収まりそうになかったのだ。もし下手に出ても相手は子どもなのでなんとでもなるだろう。そんな考えがイーイーの──ひいてはゲーレの思惑通りだったらしい。
「よろしい、では交渉を始めましょうか」
先程とは打って変わって落ち着いた声色のイーイーが口を開いた。そこで初めて私たちはこの子に踊らされていたのだと気づいた。跪いて私たちが目下であることをゲーレに示してしまったのだから。
子供っぽい態度は演技で、イーイーはこうなるように私たちを誘導し、交渉を有利に進めようという魂胆だったのだろう。果たして、その目論見は上手くいった。
(なるほど、だとすれば首席がイーイーを交渉役に任命したのは適役だったことになる……)
私は舌を巻いた。ゲーレはこういうところでしたたかだと、ゲーレ出身の七天が言っていた。今となってはその真偽も定かではないが、今この場においては完全にゲーレにしてやられている状態だった。
「別にタダで捕虜を解放しろと言っているのではないのよ? アタシたちが捕らえているセイファート王国の捕虜と交換。悪くないでしょう?」
「は、はぁ……しかし……」
ユリウスは困惑しているようだ。それもそのはず、ヘルマー領の領主であるユリウスが、アルベルツ侯爵の捕虜について預かり知るわけがないのだから。
「……なによ?」
「俺にはそれを決める権限はないというか……」
イーイーはミスを犯していた。もし彼女がユリウスではなくアルベルツ侯爵に交渉を持ちかけていたら、そのまま有利に進めることが出来ただろう。
「──なによそれ」
「だから、俺はアルベルツ侯爵の配下みたいなものだから、侯爵に口を出すことはできないんだ。悪いな」
「……むっ」
隣のルオシェンと顔を見合わせるイーイー。ルオシェンは肩を竦めるとユリウスに声をかける。
「これは失礼しました。私としたことが、交渉をもちかける相手を間違えてしまいました」
「ちょっと、どうなってるのよルオシェン!」
「申し訳ありませんお嬢様。前回セイファートに攻め込んだ時に対峙したのはアルベルツ侯爵だったはずなのですが……」
ユリウスは苦笑しながらフォローした。
「見てのとおり、我々は年寄りと女子供しかいない貧乏領地の貧乏貴族だぞ……」
「確かに……ヘルマー伯爵が連れているのも女子供ばかりね……」
「今気づいたのか……」
「緊張してたのよ!」
策士に見えたイーイーだが、実は緊張していたらしい。少し意外だった。
「まあ、アルベルツ侯爵は援軍に呼んでいるからしばらくすれば駆けつけて来るとは思うが……」
「なるほど……では待つしかないわね。ちっ、手の内を知られてしまったわ」
シッシッと追い払うように手を振るイーイー。どうやらもう用はないということらしい。
「戻っていいわよ。アタシが用があるのはアルベルツ侯爵だけだから。彼が現れたら改めて交渉をもちかけるわ」
「わかった」
どうやらゲーレは何もしなくてもアルベルツ侯爵の援軍が到着するまで待ってくれるらしい。それは私たちにとっては願ってもないことだった。なによりも無駄な犠牲を出さずに済む。
(ひとまずこれで安心……なのかな?)
再びゲーレの兵士たちに囲まれながらゲルを後にする私たち。しかし私の胸には根拠のない不安──何かもやもやした嫌な予感がずっとくすぶっていた。
アルベルツ侯爵の援軍が到着したのは翌日の──夕方のことだった。
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