私の名前は、ティナ・フィルチュ。18歳、一応女の子。職業は料理人兼冒険者で、冒険者ランクは『Fランク』。趣味は美味しいものを食べること、特技は料理を作ること。
髪はセミロングの薄紫で背は低め、胸はペったん、童顔、運動音痴。あとは……。
雇い主であるヘルマー伯爵に出会ったらどのように自己紹介しようか考えながら、私は鬱蒼とした森の中を進む。森の中を切り開いて作られたであろう街道は、もうあまり使われていないのか、辛うじて馬車が通れるほどの道幅を残して周囲は草が生え放題だった。
私が歩みを進めると、時折道端の草がガサガサと音を立てるし、木の上では毛むくじゃらの動物が動き回ってたりするし、遠くの方ではモンスターの咆哮とかが聞こえたりする。
(早く森を抜けないと……一人でいるところを襲われたら……)
歩を早めるが一向に周囲の景色は変わらない。どこまで進もうと木と草と石と落ち葉しかない。
(いったいどこまで行けばいいの……ていうか本当にこの道で合ってるの? おじいちゃん嘘ついてない?)
そう考えて、首を横に振る。老人の態度からして嘘をついていることは考えられなかった。自分がゲーレ共和国の密偵だということも私に打ち明けてくれたのだから今更私に嘘をつくメリットはない。害するつもりなら道中にいくらでも隙があったはずだ。
「はぁ……疲れた」
少し開けた場所に出たので、休憩がてらに草むらに隠れてゴソゴソと生理的なものを処理していると、近くから水の流れる音がすることに気づいた。どうやら小川が流れているらしい。ちょうど喉が乾いていた私は、少し寄り道をすることにして、街道を外れて音のする方へ歩き出した。
途端に足元は明らかに悪くなって、ぬかるんだ土や木の根に足を取られそうになってしまう。
(やっぱりやめておこうかな……)
と思いながらも進んでいると、突如として足元の地面が消えた。いや、草で隠されて気づかなかったが、小さな崖が足元にあったのだ。
「うわぁぁぁぁぁっ!!」
バランスを崩した私は叫び声を上げながらゴロゴロと崖を転げ落ちる。そしてそのままなにか硬いものにぶつかって止まった。
「ぐはっ……いったたたぁ……」
ゆっくりと身体を起こすとそこは岩だらけの河原だった。一瞬ヒヤッとして身体をあちこち動かしてみたが、幸運なことに打ち身や捻挫などはしていないらしい。装備の露出度が高いせいで腕や足にかすり傷がついたが、それも微かに血が滲む程度で大したことはなかった。
ホッと胸を撫で下ろして麻袋を背負い直すと、私は目の前の小川に近づいていった。川幅は2メーテル(約2m)ほど。清らかな音を立てて流れている水は川底のコケまではっきり視認できるくらいに澄みわたっている。オマケに小さな魚やサワガニなどの生き物まで見つけることができた。
(うん、飲んでも大丈夫そうだね)
私は川辺に這いつくばると、水面に顔をつけるようにして清水をすすった。だいぶ行儀が悪いけれど喉の渇きは相当だったらしく、気づいたらごくごくと飲み続けていた。喉をかけ下る冷たい感覚、口の中を潤すミネラルたっぷりの水の味が五臓六腑に染み渡る。
「んくっ……んくっ……ぷはぁ! 美味しかっ……た?」
私の呟きはそこで途切れてしまった。顔を上げた拍子に、対岸で同じように水を飲んでいるとある生物の存在に気づいたからだ。
そいつは全身毛むくじゃらで、ずんぐりむっくりした体型をしており、前方に突き出した鼻と大きな牙を持っていた。体長は私と同じ1.5メーテルくらいだけれど、その体型のせいで体重は私の何倍もあるだろう。
あれは、私も市場で仕留められたものが取引されているのを見たことがある。──イノブタだ。あまり強い魔物ではないものの、その突進力は鉄の盾をも突き破るといわれており侮れない。ましてやFランク冒険者がまともに戦って勝てる相手ではなかった。
よって、私がとった行動は──
(気づかれないうちに逃げる!)
幸い相手は私の存在に気づいていないのか夢中になって水を飲んでいる。その隙に私は恐る恐る後ずさってその場を後にしようとした。が、その時──
モンスターに気をとられて足元がお留守だった私は、濡れた岩で足を滑らせて、そのまま勢いよく尻もちをついた。その拍子に、背中の麻袋の中のフライパンが岩にぶつかってガシャーンと大きな音を立てる。
「ひぃぃっ!」
慌てて口を押えて悲鳴を押し殺すも、もう後の祭りだった。
私の視線は、イノブタの毛むくじゃらの顔から放たれる鋭い眼光と交錯した。一瞬の静寂の後、イノブタはフンッと鼻から勢いよく息を吐き出す。そして前足で地面を2、3回蹴る素振りを見せた。縄張りに入ってきた私を威嚇しているのだろう。
「……ご、ごめんなさい! 許してくださいなんでもしますから!」
私の懇願が聞き入れられるはずもなく、イノブタは水しぶきを上げながら川を渡って一直線に私に向かって駆けてくる。
「うわぁぁぁ! きたぁぁぁ! たすけてぇぇぇ!」
改めて自分が魔法を使えないということと、小川に誘われて寄り道をしてしまったことを後悔した。でももう遅い。気づかれてしまったからには逃げるか戦うかの二択だ。
私はもちろん逃げる方を選んだ。転びそうになりながらも足場の悪い河原を走り、手近な細めの木に登る。1メーテルほど登ってしまえばもうイノブタは追いかけてこれないだろう。
木は私の体重で大きく揺れるが、折れることはなかった。
(ふぅ……小柄でよかった……)
初めて自分の体型に感謝しながら地面を見下ろすと、イノブタは木の周囲を地面の匂いを嗅ぎながらウロウロしていた。やがて、上を見上げて私が木に登ったことに気づいたようだ。
「さすがにここまでは追いかけてこれないよね。残念でした!」
しかし、私の挑発にカチンときたのか、イノブタは再びフンッと勢いよく息を吐くと、ゆっくりと木から離れる。諦めてくれたのかと思いきや、今度は木に向かって突進を始めた。
(まずい! こんな細い木は鉄を破るイノブタにとってはなんてことはない障害物なんだ……!)
モンスターの知能を甘く見ていた。これが実戦経験の少ないFランク冒険者の辛いところだ。
(しょうがないか……)
足で体重を支えながら背中に手を回して相棒のフライパンを掴む。そして、それと同時にイノブタが木に突っ込んだ。メキメキベキベキッ! とおぞましい音を立てながら木は呆気なく傾いていく。私はその勢いを利用して幹を蹴り、イノブタの方へ跳んだ。一か八か、私の持てる最高の一撃をお見舞いすべく。
「──『硬化』!」
初歩の初歩、硬化魔法をフライパンにかけると、フライパンは淡い光を放ち、代償として私の身体が激しい運動をした後のように悲鳴を上げる。でも止まらない。これで仕留められなければ私が死ぬのだから。
「くらえーーーっ!!」
気合一閃、フライパンをイノブタの脳天に振り下ろした。落下のスピードとフライパンに施した強化魔法によって、かなりの威力になったであろうその一撃は、ゴーン! という気の抜けたような音を立てながらも、イノブタを昏倒させることに成功した。
「──はぁ……はぁ」
相手が倒れたのを確認すると、私は荒い息をつきながら地面に横たわる。
(初歩魔法を使っただけでもこれなんて……やっぱり私は魔法使えないんだ)
私が魔法学校を退学になった理由、それは至ってシンプルなものだった。『魔導士』と呼ばれる魔法が使える人種には特別な『魔力器官』が備わっており、そこに蓄えられている『マナ』というエネルギーを変換することによって魔法が使える。しかし、私の場合は変換の技術はトップレベルだったものの、肝心の『魔力器官』が未発達だったせいでろくに魔法が使えず、無理して使おうとすると『魔力器官』以外のところから『マナ』を取り出す──つまり端的にいうとすごくお腹が減るのだ。
何とか立ち上がったものの、視界はすごく狭くなっているし、立ちくらみもする。まともに歩けない。
そして、私は狭い視界の奥にあるものを見つけた。
(あ、これはほんとに……まずいかも……)
私の視界に映ったのは、川の対岸からこちらに向かって駆けてくるもう一匹のイノブタだった。
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