牧場にたどり着いた私たちは真っ先に、確保していた立派なヘルマー牛の元に向かった。すると、少し離れたその牛舎の前には数人の人影があった。近づくとなにやら話し声が聴こえてくる。
「だから、なんでこの牛は食わせてもらえないかって聞いてんだけどなぁ!」
「……その牛は、ティナが大事に育てている牛だ。いくらアルベルツ侯爵の願いでも、渡すわけにはいかん」
「ほぉ? お前はヘルマー領を守った侯爵よりも、あの役立たずのFランク冒険者の方が大事なんだねぇ?」
「守ったなんてよく言うわ。貴様たちは疫病神だ!」
「黙って聞いてたら好き勝手言いやがって……身の程をわきまえなよぉ!」
(ライムントとミッターさん? 一触即発じゃない……?)
「ちょっと待ってください!」
私は二人の間に飛び込むようにして割り込みながら両手を広げて双方を制した。
「ティナ!」
「おやおや、噂をすれば役立たずのFランク冒険者様のご登場だぞぉ? クククッ」
愉快そうに笑うライムントを私はキッと睨みつけた。
「ライムントくん、これ以上の横暴は許しませんよ!」
「横暴だなんて失敬な。──僕はね、ヘルマー領の危機を救った者として正当な対価を受け取ろうとしてるだけだよぉ? それともヘルマー伯爵家は助けてもらった者に対してお礼もできないような常識外れな貴族なんだったっけぇ?」
「くっ、それは……」
「領地を奪われることに比べたら牛の一頭や二頭、安いものじゃない? 僕にくれてもバチは当たらないと思うけどなぁ?」
ライムントの言っていることはある意味的を射ている。しかし、そのヘルマー牛にはただの牛以上の希望が込められている。何としてもライムントに渡すわけにはいかなかった。
「──私にできることなら何でもします。だから……この牛だけは勘弁してください。この牛はヘルマー領の希望なんです!」
私はライムントの前でゆっくりと膝を折って地面に頭を擦りつけた。ライムントに対してこんなことを……土下座をしなければならないというのはたまらなく嫌で、とんでもなく屈辱的だったが、背に腹はかえられなかった。
「ティナ……!」
ウーリの慌てるような声、そして目の前のライムントがしゃがみこむような気配がした。
「ほぉぉ、こいつぁケッサクだぜぇ! 『七天』のティナ・フィルチュちゃんともあろうお人が、牛一頭を守るために土下座するなんてなぁ! おめぇのプライドってのはその程度だったのかぁ! はっきり言ってなぁ、ティナちゃん。──キミは七天の面汚しなんだよなぁ! 見ているだけで腹が立つ!」
「うっ……! ごほっ!」
ライムントは地面に擦りつけた私の頭を、その足で踏んずけてきた。顔が痛い。口に泥が入ってむせた。
「おいこら、やめろ!」
「うるさいなぁ!」
──ブゥンッ!
ウーリが制止しようと声を上げた時、何かが私の頭上を高速で通り過ぎていく気配がした。
(これは、闇の魔力!?)
「ぐはぁっ!?」
ウーリの呻き声とともに、ドサッと何かが倒れるような音がした。顔を上げようとしてもライムントのせいでろくに顔が上げられない。
(ライムントが闇魔法でウーリを攻撃したの!?)
「隊長ぉぉぉぉぉっ!」
「動くなアクセル! ミッターさんも。堪えろ……こいつはオレたちに敵う相手じゃねぇ!」
アクセルの悲痛な叫びとウーリの苦しげな声。どうやら致命傷は与えられていないらしい。ライムントも、ウーリを殺すつもりで魔法を放ったわけではないようだ。彼の力をもってすれば、一瞬でこの場にいる全員を消し飛ばすことだって容易いのだから。
すると、ライムントは私の頭の上から足を退けたようだ。
「うんうん、それが賢明ってもんだねぇ……さて、ティナちゃんは何でもするって言ってるけどさぁ。ほんとかなぁ?」
「ほ、ほんとです……私にできることなら!」
「そっかぁ……じゃあさぁ、僕と一緒にアルベルツ領においでよ。飼ってあげるからさぁ、毎日僕のためにご飯作ってくれない? それくらいしか役に立たないでしょ? あーでも、ティナちゃんみたいな幼児体型のほうがそそる人もいるのかなぁ?」
「何を……」
どう考えてもめちゃくちゃな要求だった。でも不可能ではない。それでヘルマー領に希望が残るのなら。それによってユリウスが救われるのなら……。
(ん? なんで私、ユリウス様のことを一番に考えているんだろう!? ここを離れたらもうユリウス様にこだわる必要はないのに、自分の身を捨ててまでどうしてユリウス様の幸せを願っているのだろう……? もしかしたら──)
私はユリウスのことが好きなのかもしれない。
(いやいや! そんなはずはないよ! だってユリウス様は男の人の筋肉が大好きなだけで、女の子には──特に私みたいなちんちくりんには見向きもしないじゃん!)
混乱していると、私の身体はライムントによって抱え上げられた。
「じゃあ決まりねぇ? ティナちゃんは僕と一緒に来る。その代わりその牛には手を出さない。それでいいでしょ?」
──が、ライムントの行く手を遮る人物がいた。
「その娘を連れていくことは俺が許さない」
ミッターが、最初は私のことをあまりよく思っていなかったはずのミッターが、ライムントの前に立ちはだかったのだ。
「どかないと怪我することになるよぉ? おじいちゃん?」
「はっ、貴様など恐るるに足らん!」
「──ったく、どいつもこいつもバカだなぁ……!」
──シュッ!
何かが空を切る。また闇の魔法だ。
そして何かが鈍い音ともに地面に崩れ落ちる音。
(ミッターさん……?)
「あちゃー、ごめんねぇ? 力加減分からなくてさぁ? 死んじゃったかなぁおじいちゃん?」
「っ!?」
私は渾身の力でライムントの手を振り払うと、倒れたミッターに駆け寄った。しかしその身体心臓付近には魔法で空けられたと思われる大きな穴が空いており、そこから絶えず赤黒い血が流れていた。
(明らかに致命傷……でも私には治癒魔法は使えないし……)
「あっ……あぁぁぁっ……」
ミッターの胸から流れ出る血を両手で押さえるくらいしか私にできることはなくて、もちろんそんなことでは血は止まらず……。
青白い唇を開いたミッターは何かを言おうとしているようだった。
「ティナ……お前には……よそ者とか……いろいろ可哀想なことを……」
「もういいです喋らないでください! きっと助けますから! 私は魔導士ですから任せてください!」
「お前は……立派なヘルマー領の一員だ……ヘルマー領を……ユリウス様を……頼んだ……」
「ミッターさんっ!」
ミッターの身体から力が抜け、体温が急速に失われていく。
「もう助からないよ? ティナちゃんが変な意地を張って大人しく牛を渡さないせいで無用な犠牲が増え──」
「──黙れ」
ライムントの挑発に、ついに私の堪忍袋の緒は完全に切れた。適切な選択を出来なかったら自分、ミッターを助けられなかった無力な自分が情けない。
私はふらふらと立ち上がった。自分の身体が自分の身体ではないようだ。酷く感覚がぼんやりとしていて、あとはひたすら胸の中で炎が燃えているような感覚がする。
「おやおや、やる気かな? 役立たずのティナちゃん?」
「──絶対に許さない!」
壊れた魔力器官を無理やり使って全身から魔力をかき集める。身体が焼けるように痛いが気にしない。感覚が鈍くなっているのにそれすらもどこか他人事のようだった。
(ライムント・タイ……こいつだけは絶対に……!)
──身体が壊れたっていい。こいつを倒すだけの一撃を!
(無属性魔法──破壊の力)
「──『破滅の光』」
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