大貴族、アルベルツ侯爵からの誘い。それは思わぬスカウトだった。
私の頭の中に一瞬迷いが浮かんだ。
そもそも私が冒険者になったのは、私を追放した魔法学校を見返すためであり、祖国から託された使命を果たすためだ。それは、貧乏貴族のヘルマー伯爵家に仕えるよりも、アルベルツ侯爵に仕えたほうが目的を果たしやすいのは明らかだった。
一瞬の逡巡をライムントは見逃さなかった。
「悪い話じゃないでしょ? むしろティナちゃんにとっては願ったり叶ったりなはずだけど?」
「──あなたは……アルベルツ侯爵はなにを企んでいるんですか?」
当然私は訝った。ヘルマー伯爵家に雇われる時も裏に何かあるのではないかと怪訝に思い、実際色々と問題はあったのだが、アルベルツ侯爵は疑いようもない名家。いくら私が領地おこしで結果を出しつつあるとはいえ、あの侯爵が私にこだわるのは他になにか理由があるに違いなかった。
「はぁ? まあそりゃあ色々あるんだろうね? でもそれを知ってどうするの? なにか企んでいたらやめるわけ? なにも企んでいない人なんていないよ? 君らのヘルマー伯爵もね」
「ユリウス様はあなた方のような不純な動機で後輩ちゃんを雇ったのではありませんわ! 愚弄することは許しませんわよ!」
膝をついたままミリアムはライムントを睨む。しかし、今度はライムントもチラッとミリアムを一瞥しただけだった。
「ヘルマー伯爵も、自分の領地をなんとかするためにティナちゃんを雇ったんでしょ? アルベルツ侯爵も同じだって。もっと領地の力をつけたいからティナちゃんを雇いたいんだよ」
「……」
(確かに、それだけでアルベルツ侯爵の誘いを断る理由にはならない……でも!)
私にはユリウスがいる。ヘルマー領の領地おこしもまだ軌道に乗り始めたばかりで気が抜けない。しかも、国王の跡目争いのことも気になる。今私が抜けたら……。
隣のリアに視線を向けた。彼女は私の目をしっかりと見つめ返した。その瞳には信頼の色が浮かんでいて、「どういう選択をしてもティナの考えを尊重する」と言っているかのようだ。一方、ミリアムの方を向いてみると、こちらはこちらで「まさかヘルマー領を見捨てるわけないですわよね!?」みたいな表情をしている。
「はぁ……あまり買いかぶられても困るんですけどね……」
下を向いてボソッと呟いた私はライムントの顔を見上げた。その表情を見てライムントは私の答えを察したようだ。
「決意は固い……か。まあ予想通りだね」
「せっかくの誘いですけど、私はやりかけの仕事を放り出して別のことを始められるほど器用でも薄情でもありませんので!」
私の答えを聞いたライムントは少し俯いた。その顔には影が差してイマイチ表情は読み取れない。
「そっか……残念だよ──」
──突如として溢れる殺気と魔力。
「ティナちゃんにこんな魔法を使わなきゃいけないのはねっ!」
(これは……!)
ある程度予測をして身構えていても反応できないほどの早業で、ライムントから私に向けて魔力が放たれる。咄嗟に魔力を変換しようとするも、相手の魔力の属性が曖昧で判断が遅れた。闇? 水? 光?──否、これは魔力であるのかすら……。
(間に合わないっ!?)
観念しようとした次の瞬間、私は横から衝撃を受けて地面に転がった。
私を突き飛ばして代わりに魔法を受けたのは……。
「──リアさんっ!?」
リアは私を庇うように手を広げ、全身で黒い魔力を受け止めていた。
「──!?」
ライムントの瞳が僅かに見開かれ驚きを露わにする。まさか反応されるとは思っていなかったようだ。
「ティナ……逃げ……」
「ぶっっっっっころしますわぁぁぁぁぁっ!!!!」
リアの言葉を遮ってミリアムが残った魔力を全てライムントにぶつける。目にも止まらぬ速さで放たれた無数の氷の剣。ミリアムが怒りに任せながらも冷静さを保っていることがわかる、氷の塊よりも魔力を節約しながらも威力と範囲を増した氷の奔流は、並の魔導士なら避けることも防ぐことも難しい。
が、ライムントはスッとその場から消えてミリアムの魔法を避けた。
『今日はこの辺にしておくよ。このままだと加減がきかなくなって、本当に誰かを殺してしまいそうだ。また会おうね、愛しのティナちゃん。──クククッ』
耳につく引き笑いを残してライムントはどこかへ転移していってしまった。
その場には呆然と立ち尽くす私と、魔力を使い果たして倒れたミリアムと、──謎の黒い魔力に包まれながら四つん這いの状態で地面に手をついているリアだけが残された。
「──! リアさんっ!」
正気を取り戻した私はすぐさまリアに駆け寄る。と同時に彼女を包んでいた魔力は、彼女の身体の中に消えていった。もうあの禍々しい魔力は感じない。
(闇……水……光……どれでもあってどれでもない。奇妙な魔法。新しい魔法かな? リアさんに外傷はないみたいだけど……)
「はぁ……はぁっ……」
地面に手をつきながら荒い呼吸をするリアはひとまず無事のようだった。
(よかった……リアさんが死んでしまったら私は……)
私は、一生自分を責めることになってしまっただろう。ミッターの事でもだいぶ気に病んでいたのに、二人は背負いきれる自信がない。
ライムントの言い草からしても、私たちを本気で殺すつもりはなかったようだった。ただの脅しかそれとも……。
「リアさん……大丈夫ですか?」
「うん、全然へーき。不思議だけどほんとになんともないの」
「それならいいですけど……」
「さ、行こっか!」
リアは何事も無かったかのようにぴょんっと飛び起きると、地面に倒れているミリアムを軽々と担ぎあげて、整備されて道幅の拡がった街道を歩いていく。
私も慌ててそれについて行った。
「ほんとに、ほんとに大丈夫なんですよね!? なんかまともに魔法受けてましたけど……」
「うん、身体にはどこも悪いところはないよ。あたしの身体のことはあたしが一番よく分かってるから」
「そうですか……」
ライムントの魔法なのだからなんともないことはないと思うのだが、本人がそう言うなら大丈夫なのだろう。もしかしたら私にしか──例えば魔法を使える者にしか効かない魔法で、リアには効かなかった……なんてこともあるかもしれない。
(そんな魔法は知らないんだけどね……)
まだまだ料理のことも魔法のことも知らないことがたくさんある。
「って、ちょっと待ってください早いですよ! なんで人を背負ったままそんなに早足で歩けるんですかぁ!?」
「んー? なんか力が湧いてくるんだー。ティナも背負ってあげようか?」
「いいですいいです! 焦らなくていいですからゆっくり行きましょう? ね?」
「えーっ、もー仕方ないなぁ……」
なんとかライムントを退けた私たちは、再びサヤを探す旅に出発したのだった。
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