その時、一也の頭の中には昨日の悪鬼消失の記憶が蘇っていた。
新たな鬼神の出現は無いと考えていた一也にとって、目の前の少年の出現は予想外の事だ。
いや、だがまだ目の前の少年が鬼神だと決めてかかるのは早い。
この少年が鬼神と酒呑童子という事を知っているだけのただの一般人という線もまだ捨てきれない。
一也は自分を落ち着かせるように大きく深呼吸をすると、その少年に口を開いた。
「酒呑童子の居場所は知らない。質問に答えてやったんだ。お前にもこっちの質問にも答える義務があるだろ? どうしてお前が鬼神や酒呑童子の事を知っている!」
「義務か……そんなもんはないけどよ。1つだけ教えてやる……」
一也は生唾を呑み込んで、その少年の次の言葉を待った。
その直後、少年は重い口を開く。
「……酒呑童子の野郎は俺の母親を殺し。妹達を連れ去ったんだ! 俺はあの野郎を殺さないと気が済まないんだよ!!」「なっ、なんだと……」
少年の言葉に一也は呆然としながらその場に立ち尽くす。
目の前の少年もまた、母親を殺されたという自分と同じ境遇の持ち主で、更に彼は妹達まで連れ去られていたのだ。一也が驚くのは無理もない――。
「……それはいつの話だ?」
「はあ? そんな事お前に言ってどうなるって言うんだよ?」
「良いから答えろッ!!」
俯き加減に一也がそう怒鳴ると、少年は徐ろに口を開く。
「2日くらい前だ」
「なら、まだ間に合うな! 今すぐお前の妹達を救出に――」
一也がそう口にした直後、一也の足下に槍が突き刺さった。
その槍を見て一也は目を細めながら拳を構えると、低い声で呟く。
「……てめぇー。なにしやがんだよ」
「なにだと? それはこっちのセリフだボケ! 誰がお前に助けを求めに来たって言ったんだよ!」
少年はそう叫ぶと、高架橋の下に集められていた建築資材の中から鉄パイプを徐ろに握りしめる。
すると、その鉄パイプはみるみる形を変え、槍の姿へと変わっていく。
っと次の瞬間、少年はその槍を躊躇する事なく一也目掛けて投げた。
少年の投げた槍は高架橋のコンクリートに突き刺さり、土煙を上げる。
攻撃の瞬間、咄嗟に横に飛んでかわしていた一也が少年を睨みながら叫んだ。
「――鉄パイプが槍に……くッ! 危ねぇーだろうが! 急になにしてやがる!!」
少年は不敵な笑みを浮かべると、更にもう一本鉄パイプを掴む、それも先程と同様に槍の姿に変わる。
一也は身構えながら彼を見据え叫ぶ。
「おいお前! こんな事してる場合じゃねぇーだろ? お前の妹達が危ねぇーんだろうがよッ!!」
「……分かってんだよそんなことはッ! でもよ……あんたと助けに行ったら、俺は兄貴としてダメだろ?」
「はあ……? お前何言って――」
そう一也が口を開こうとした瞬間、一也は背後から何者かに腕を押さえつけられた。
まるで十字架のように両腕を物凄い力で締められる感覚に、顔を歪ませながら自分の背後に目をやると、そこには黒髪ロングのちょっと大人しそうな猫耳っ娘ががっしりと一也の両脇に腕を通して、月のような黄色い瞳を向けている。
その女の子が掻き消えそうなか細い声で告げた。
「動かないで……ください」 その控えめな声音とは裏腹に、その締め付ける力はまるで屈強な男にでも抑えこまれているかと錯覚するほどだ――。
一也が抵抗すればする程、ギシギシとまるで体が軋むような音が聞こえてくる。
「抵抗……やめてください……」
「くはっ! て、てめぇーの方がやめろよ……おいちびっ子、手を放せ!!」
「……ひっ!」 「いてててててっ!!」
威圧すると、まるで抱き枕を抱き締めるかのように更に強く締め付けた。 その様子を見ながら笑い声を上げている少年を一也が睨みつける。
「……おい。これで勝った気になるんじゃねぇーぞ?」
「はあ? 今の自分の状況が分かってないのかな? この状況でも虚勢を張れるのは度胸が良いと言うか無謀と言うか……。バカだろ? お前」
身を屈んで少年がその場に膝を着いている一也を指差した。
「ほう。妾の愛しの主様をバカ呼ばわりとは……少々口が過ぎるようじゃのう……」
偉そうなその物言いの直後、少年の体も狐鈴によって絞め上げられる。
少年は突然の事に驚き、目を見開きながらその声の方を向いた。 そこには両手を掴んで小さな足で少年の背中を踏みつけている狐鈴の姿があった。
「ぐッ! だ、誰だッ!?」
「誰じゃとは失礼じゃのう……妾は主様の式神じゃ。お主のその娘っ子と同じの。じゃがその娘っ子はまだ生まれて間もないようじゃがな……」
「くっ、くそっ! 放せッ!!」
「そんなに動くと骨がへし折れるぞ? じっとしておいた方が身のためなのじゃ……」
そう告げた狐鈴は今度は一也の顔を睨みながら、低い声で言った。
「主様……妾を置いてどこで油を売っているのかと思ったら……説明してほしいのじゃ」
「説明って見ての通り襲われてるんだろうが!」
狐鈴は一也のその言葉を聞いて、まるで蔑むような瞳で言葉を続けた。
「ほう。妾には月夜の時と同じように仲良く戯れているように見えるのじゃがのう……。妾を家に残し、こんなところで猫娘と遊んでおるとは……狐にはもう飽きたと言うことか……? どうなんじゃ! 主様!!」
「いだだだだだッ! おい! 俺っ、俺の事忘れてるッ!!」
狐鈴は力任せに少年の体を締め上げる。 少年はあまりの苦痛に顔を引き攣らせている。
「良いぞ! 狐鈴。もっとやれ!」
「……負けない」
「……えっ?」
小さい声でぼそっとそう呟いた猫耳の女の子が更に一也を絞め上げる。 ――うぎゃああああああッ!! その痛みに絶叫しながら、天を仰いだ。
しばらくその場に2人の悲鳴がこだましていると、ゴキッ! っという音とともに、2人同時に気を失ってその場に倒れた。 次に一也が目を覚ますと、目の前には心配そうに見下ろしている狐鈴の顔があった。
「おぉ~。主様大丈夫か? あの猫娘め、主様をこんなにしおって……」
「……ああ、狐鈴か……あいつはどうなった?」「ああ、あの馬鹿者ならあそこじゃ……」
一也は狐鈴の指差す方向に目を向けると、そこにはまるで魂の抜け殻と化した少年が横たわっていた。
その傍らで首を傾げながら少年の体を突っついている。
……あの黒い耳としっぽ。どこかで……はっ!? 猫耳の女の子を見て、一也はふと以前の林間学校を思い出す。 あの時、ふと何かに呼び寄せられるように古びたお堂の扉を開け放った時、中に入っていた猫の石像――そして走り去っていった女の子の姿が一也の頭の中に鮮明に蘇った。
その光景とともに一也の脳裏に1つの疑問が浮かび上がる。
それは式神とは何で、どこから来るのかと言うことだ――。
仮に今、目の前にいる女の子がお堂に監禁されていたとして、拘束されていたわけでもない彼女がいつまでも裸のままでお堂の中に居るはずもない。
だが、もしあのお堂の中に安置されていた石像が式神の母体だとすると、どういう理屈で式神が生まれているのかが分からない。 何故ならその石像ですら人が作り出した幻想の神なのだ。
ならば式神は人が作り出した想像上の存在で、それを形にするのは神だとでも言うのか……。
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