子供が多いから、もし見える子に狐鈴を見られたら過剰に反応されると思って置いてきたが、この状況で悪鬼が発生するのは想定外だった! これは俺のミスだ!
一也は心の中で後悔を口にすると、更に足を速めた。
本来悪鬼は人の道を外れた者からしか生まれない。
だからこそ、一也は今回の林間学校では出現の確率が低いと考えていたのだ。
何故なら、犯罪を犯す者は人目を気にするもので、その場合は必然的に人気の少ない場所、あるいは人気がある場所で犯行を行うのがセオリー。だが、こんな整備された場所でしかも教職員も居る林間学校に現れる事は完全にイレギュラーだ。
「狐鈴が居ねぇーから空間転移も空間保存も出来ねぇー! くそっ!」
苛立ちを抑えながら一也がそう吐き捨てると、目の前が急に開けた。
そこには大きな熊の姿があった。その正面には4人の女の子が身を寄せ合っている。
一也は迷わず熊と女の子達の間に飛び込む。
目の前の熊を睨みながら一也がぼそっと呟く。
「なんだ、悪鬼じゃなくて……ただの熊じゃねぇーか……」
一也は次に女の子達の方に向かって叫んだ。
「おい、お前達! さっさと逃げろ!」
「……えっ? あっ、はい! で、でも……」
「でも、どうした?」
女の子にそう尋ねると、女の子は無言のまま後ろを指差した。そこには足首を抑えながら座り込んでいる女の子がいる。
一也はそれで全てを察したように呟く。
「ああ、逃げる時に挫いたのか……。なら、お前達は目を瞑ってろ!」
「どうしてですか……?」
「どうしてもだ! 生きて帰りたいなら俺の言う通りにしろ!」
一也が強い口調でそう言い放つと、女の子達はその言葉に従う。
それを確認して「よし」っと小さく呟いた一也は拳を強く握り締める。
「――熊は毛皮が厚いんだったな……。なら、確実に一発で仕留める! 80%だ!」
そう叫ぶと、一也の拳から青い炎状のオーラが立ち上がった。
――グルオオオオオオオオオオーッ!!
熊は物凄い咆哮を上げると、勢い良く一也に向かって突進してくる。
一也はそれを鋭く睨むと、熊の動きをじっと見定める。
すると、熊が突如として一也の前で立ち上がる。
一也は「そこだ!」っと目を見開くと、その一瞬に熊の体に拳を突き出した。
辺りにドンッ! という鈍い音が響いたその瞬間、凄まじい風圧が熊の後ろの木々を薙ぎ倒したと次の瞬間、熊の巨体を勢い良く吹き飛ばした。
一也は息を吐くと、身を翻し女の子達の方へと向かって歩み寄った。
女の子達は身を寄せ合い震えている。
そんな彼女達に一也が優しく声を掛ける。
「ほら、もう終わったぞ? 熊は居なくなった。もう安心だ」
一也のその優しい声音に女の子達は目を開くと、一斉に一也に抱きつきわんわん泣き始める。
その直後、志穂と教師達が銃を持った猟師の人達を現場に到着した。
一也は教師達に女の子達を託すと、倒れている熊の元にゆっくりと向かった。
「ちょっと! 君、危ないから猟師の人に任せなさい!」
「一也、危ないよ!」
「……大丈夫だ」
教師と志穂の制止も聞き入れずに、徐ろに倒れている熊の前に立つ。
熊は完全に心臓が停止しているのか、大きな口から舌を垂らし白目を剥いている。
「ちょっとやり過ぎたわ……わりぃーな……」
一也は熊に向かってそう呟くと、もう一度熊に拳を振り下ろした。
その直後、熊は息を吹き返し、ゆっくりと立ちがった。
それを見て、辺りに居た全員が一也のそのまさかの行動に驚愕し目を丸くさせている。
彼等を尻目に当の本人は熊の瞳をじっと見つめ、熊の頭を撫でている。
「ほら、森に帰れ。もうここには来るんじゃねぇーぞ?」
「……グルルル」
熊は喉を鳴らすと、のそのそと森に向かって去っていった。
その光景を口をあんぐり開けて教師達も猟師もその場に立ち尽くしていると、志穂が慌てて駆けてきた。
「なにやってるの! 少し間違ったら一也が危なかったんだよ!?」
「……大丈夫だよ。動物は自分よりも強い相手を襲わない」
「そんなの……そんなのわからないじゃん!」
そう呟いた一也に向かって志穂が叫んだ。その瞳には薄っすらと涙が浮かんでいる。
一也はそんな彼女から目を逸らしながら、呟く。
「熊も生き物だ……なにも無駄に命まで取る必要ないと思っただけさ。それに、強い者に牙を剥くのは……人間だけだよ」
そう言って一也はゆっくりと歩いていった。
志穂はそんな寂しげな一也の背中を見送っている。一也はちらっと目を森の先の防護柵に目を向ける。
一也はその防護柵の前に行く。
防護柵は非常に網目が細かく、子供でも指が入りそうにない。更に上の方は電気柵まで張り巡らされている。
この強固な柵をあの熊が……?
不審に思った一也はその柵を辿っていくと、防護柵がぽっかりと開いた場所があった。地面には防護柵であったであろう残骸が無残に横たわっている。
一也はその壊された防護柵の断面を見た。
「あの熊にこんな芸当出来るはずねぇー」
その切り口を見て一也は確信する。
なぜなら、その断面はまるで鋭利な刃物で切断されたようになっていたからである。
それは間違いなく何者かに故意にやられたものだ。
野生動物の仕業なら、防護柵を力任せに破る為、本来なら断面は荒く引き千切られたようになっていなければおかしい。
だが、この断面は直角に――まるで機械で切断したのではないかと感じるほどに綺麗に切断されている。
……こいつは、何かある。俺達はとんでもない時に来ちまったんじゃねぇーのか?
そう心の中で呟き、森の奥を睨んだ。
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