彼女のあの瞳の奥に隠した影がどうしても一也の脳裏から離れない。
「藍本 月詠……あいつはいったい何者なんだ……」
一也が独り言のように呟くと、その隣から狐鈴の声が聞こえてきた。
「主様。何やら学校とやらであったようじゃのう。凛々しい顔が台無しじゃぞ?」
「狐鈴か実は……ってうおっ! 何だその格好は!」
一也が驚きのあまり身を仰け反らせている。
しかし、驚くのも無理はない。隣に座っている狐鈴は普段の着物姿ではなく。全身茶色い毛皮に覆われ、ふさふさのしっぽが生えていて、頭にはキツネの顔のフードを被っている。
「おまっ、気ぐるみパジャマって……」
「むぅ~。仕方なかろう! これ以外にしっぽと耳を隠せる物がなかったのじゃ! に、似合っておらぬか? 主様……」
狐鈴は頬を赤らめながら潤んだ瞳を一也に向けている。
「いや、似合ってるよ」
「本当か!? ならばこのままで過ごしてもよいのう!」
一也に褒められたのが余程嬉しかったのか、狐鈴は満面の笑みで自分の耳を両手で開いたり閉じたりしている。
その時、志穂の熱烈な視線を感じて彼女の方を向いた。
そこにはじっと気ぐるみ姿の狐鈴を今にも飛び掛かりそうな勢いで見つめている志穂の姿があった。
志穂のやつ、狐鈴の事が気になって仕方ないって顔してるな……
そう心の中で思いながらコーヒーカップを手に持つと、それを口へと運ぶ。
志穂は昔から可愛い物には目がない。
だが、狐鈴は普通の人間には見えないという事もあってか、もしここで志穂が狐鈴に飛び掛かれば、狐鈴の事が消えない人間から見れば何もない場所に飛び掛かって何かしているように見えてしまう。志穂もそれが分かっているのだろう、辛うじてその衝動を抑え込んでいるように思えた――。
それを知ってか知らずか、狐鈴が志穂に尋ねた。
「前に出かける前に話していた、いなり寿司はいつ作ってくれるのじゃ?」
「えっ? ああ、いなり寿司は明日かな……」
「おぉ~。明日か! 楽しみじゃの~♪」
それを聞いて、にこにこと微笑みながら椅子に座ったまま足を動かしている。
その姿を見て志穂は狐鈴を抱きしめたいという衝動が頂点に達し、小刻みに震えだした志穂はたまらずキッチンへと戻っていった。
ぼんやりとそのやり取りを見ていた一也に狐鈴が声を掛ける。
「主様。あのチビ助はどこから連れてきたのじゃ?」
「ああ、道端に落ちてたのを志穂のやつが拾ってきたんだ」
「ほう、それは面倒な限りじゃのう」
そう2人が話していると、志穂の声が聞こえた。
「ねぇー、一也。ハンバーグにチーズは乗せる?」
「ああ、そうだなあった方が良いんじゃないか?」
一也がそう言うと、志穂は笑顔で頷いた。
すると、それを聞いていた狐鈴が一也の服を引っ張って尋ねてきた。
「主様。チーズとはなんじゃ?」
「そうだな。簡単に説明すると、牛乳を固形状にした食べ物かな?」
「……?」
狐鈴は首を傾げている。
その狐鈴の表情を見て、一也は言葉を続ける。
「まっ、とりあえず食えば分かるさ! って事で志穂、狐鈴のにもチーズを乗せてくれ!」
「うん、了解。ならもう少しで出来るから、火を使うから月夜ちゃんも向こうで待っててね!」
「は~い」
志穂がそう言うと、返事をした月夜がパタパタと走りながら一也の左側の席に着いた。
月夜はじっと狐鈴の方を見つめている。
……見えてるのか?
そう思った一也が月夜に尋ねる。
「部屋の一点を見つめてどうした? なにかあるのか?」
「ううん。ただ、あそこに出来たシミがまるで顔みたいだなって」
「……シミ?」
月夜の指差した場所に目を向けると、白い壁紙に確かに醤油のような黒いシミがあり、それが見方によれば顔にも見えなくもない。
それからしばらくして志穂がハンバーグの乗った皿を持ってキッチンから現れた。
それを月夜の目の前に置く。
フォークとナイフを手に月夜が声を上げた。
「うわぁ~。美味しそう! いただきま~す!」
月夜はご飯がくるのを待たずにハンバーグにナイフを入れ、それを口に運ぶと、幸せそうに笑っている。
一也はそれを見てほっと息を漏らす。
俺の考え過ぎか、こんな子供が式神なわけないよな。式神は動物の姿を模している事が多い。だがこいつには耳もしっぽも生えてねぇー。この頃大物との戦闘が続いたからな。俺も疲れてるんだろう……
そう心の中で呟き頷いた。
月夜はお腹が膨れると、まだ夕方の6時だというのにそのまま寝入ってしまう。
月夜が寝た直後、お預けをくらっていた。狐鈴の前にもハンバーグが出された。
「ふむ。これがチーズとやらか……」
チーズを警戒しながらも意を決して口へと運んだ。
狐鈴は「これは美味じゃ!」っと叫ぶと、あっという間にハンバーグを完食する。
幸せそうな狐鈴を尻目に一也は月夜を抱き上げ、志穂が普段使っているベッドへと運んでいく。
月夜はすやすやと寝息を立てている。
一也は彼女を起こさないように部屋を後にすると、リビングへと戻った。
リビングでは志穂が狐鈴と話をしている。
「2人してなに話してるんだ?」
「ああ、ほら、一也がいつも言ってる鬼神とか鬼斬って同じ意味なのにどうして言葉を使い分けてるのかなって思って」
「お前、それは前にも説明しただろう?」
額を抑えて一也が呆れながら呟く。
「……あはは、あんまり詳しく聞いてなかったから」
「しゃーねぇーな。もう一度説明してやるよ! 鬼神とは俺達悪鬼を狩る者の総称だ。それは分かるな?」
志穂がこくんと頷いたのを確認して、一也が言葉を続ける。
「鬼斬は鬼達での呼び名みたいなものだ。鬼神だと鬼達からしたら偉そうなんだろうよ、鬼に神だしな。まっ、鬼からは鬼斬。俺達は鬼神って呼んでると覚えるのが一番良いだろうな」
「質問していい?」
「なんだ?」
志穂はいまいち分からないような顔をしながら一也に尋ねる。
「狐鈴ちゃんは一也の式神なんだよね?」
「ああ、狐鈴は俺の式神だが……それがどうかしたのか?」
「うん。式神を選ぶ基準とかってあるの?」
「ああ、それな。それは狐鈴から聞いてくれ」
一也は志穂の質問を聞いて、渋い顔をしながらそう呟いた。
狐鈴は自信満々に胸を張ると、その疑問に答える。
「よくぞ聞いてくれたのう! そう、式神の選定基準は言ってしまえば勘じゃ! こっちの言葉を使うならフィーリング? なのじゃ」
「へぇー。例えば?」
「うむ。そうじゃのう……」
狐鈴は徐ろに立ち上がると、部屋の中を右左に歩きながら告げる。
「しいて言うなら、我らの主様になる者の潜在霊力じゃ!」
「潜在……なにそれ」
難しい顔をしながら志穂が聞き返す。その言葉に一也も興味を示したのか、目だけを狐鈴の方へ向けて聞き耳を立ててた。
「潜在霊力とは、各々鬼神になる者の持っている器の大きさじゃ、妾達式神が水だとすると、鬼神は器――器が大きければ良いのだが、そうでなければすぐに溢れてしまうじゃろ? 主様はその器が人よりも大きいのじゃ。悪鬼を倒す度に式神の霊力は上がる。そして多くの式神の中で、最も成長率の高いのが妾達。妖狐九尾の一族なのじゃ!」
説明を終えた狐鈴は誇らしげに自分の胸をポンと叩いた。
「九尾? 一本しかないけど……」
志穂は狐鈴のしっぽ見てそう呟いた。
それを聞いて火が着いたように狐鈴が叫ぶ。
「これから生えてくるのじゃ!」
「あはは、ごめんね……」
「……これだから人間は……」
狐鈴は頬を膨らませながらそっぽを向いた。
一也は徐ろにキッチンに行き冷蔵庫を開けると、プリンを取り出し狐鈴の目の前に差し出す。
それを見た瞬間狐鈴は飛びつくようにその容器を両手で掴む。
「プリンじゃ! おおぉ~」
まるで数年ぶりに無くし物を見つけたかのような瞳でプリンを見つめている。
プリンに夢中な狐鈴を見て、志穂が一也の耳元で言った。
「ごめんね。助かったよ……」
「いや、良いって、あいつに機嫌を悪くされると面倒だからな。そんなことより……」
一也はそう告げると、親指で廊下の方を指差した。
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