一也のマンションに帰ってきた2人は少し気まずい雰囲気を醸し出していた。
普通に考えれば、あんな現場を見てしまった志穂も見られた一也も両者掛ける言葉が無いのは当たり前のことだ。
リビングのソファーに腰掛け無言のまま俯いている2人。
この時の2人の心の中には『どうして』という言葉が浮かんでいた。
だが、その空気を破ったのは狐鈴だった――。
「主様。妾はお腹が空いたのじゃ! ご飯を食べようではないか!」
ソファーの後ろから一也に抱きついてきた狐鈴に頷く。
一也は難しい顔をしている志穂に言った。
「動いて腹も減ったし飯にしようぜ!」
「えっ? うん、そうだね。その子もお腹空いたって言ってるし」
「……なっ、志穂! お前、こいつが見えるのか!?」
驚きを隠せない表情で一也が志穂に尋ねた。
不思議そうに首を傾げながら志穂は逆に一也に聞き返す。
「見えたらおかしいの? おかしいといえばその子に耳としっぽが付いてる事が気にはなるけど……」
志穂はじっと狐鈴のピクピク動く耳を見つめ、呟いた。
一也はその疑問に答えるように話を始める。
「まあ、見えるなら仕方ない。こいつは狐鈴。俺の式神だ」
「うむ。妾は主様の式で名は狐鈴。狐は式神の中でも高位での。強い鬼神でしか扱えぬのじゃ!」
誇らしげに胸を張っている狐鈴に志穂が尋ねる。
「どうして、狐は高位なの? 鬼神ってなに?」
「うむ。良い質問じゃ! 狐は神の使い。更に尻尾が増える度に霊力が上がるのじゃ。鬼神とはその名の通り鬼か神の中間の者での。己の中の強い憎しみや恨みを暴走させる事なく、負の感情を使いこなして悪鬼と戦う者を言うのじゃ!」
「う~ん。難しいかも……」
それを聞いて志穂は唸ると頭を抱えている。
そんな志穂に向かって一也が口を開いた。
「簡単に説明すると、俺達――鬼神が人が変貌した鬼と戦うって事だな……」
「戦うって……そんなの危ないよ。さっきみたいな化物と戦うんでしょ!?」
「危なくないって、さっきも俺が圧倒してただろ? それに誰かがやらないとだめなら、俺がするしかねぇーだろ」
一也がそう呟くと、志穂の表情が思い詰めたような表情に変わる。
「……ううん。そういうんじゃないよ……おばさんが亡くなってまだ1年なんだよ? もし一也に何かあったら……」
「お前の言いたいことは分かってる。なぁ……志穂。少しだけ、俺の話を聞いてもらえないか?」
その普段の一也らしくない真面目な声色に、志穂も決意に満ちた表情で静かに頷いた。
一也は母親の死の真相を志穂に包み隠さず話した。
母親が見るも無残な死を遂げた事。世間の体裁を考えてその事を周りに伏せていた事。そしてそれが悪鬼の仕業である事を――。
志穂もその話を聞いて始めのうちは戸惑っていたものの、その話が終わると納得したように静かに頷いた。
その時、狐鈴が大きな声で叫んだ。
「主様! 妾はお腹が空いたのじゃ! いつまで待たせるつもりじゃ! 妾の背中がお腹にくっついても良いというのか!」
「……お前。そういうのどこで覚えてくるんだ?」
ソファーに座りながらバタバタと手足を動かしている狐鈴を見つめ、一也が呟く。
「あっ! ごめんね、狐鈴ちゃん。今、カレーを――ッ!!」
その様子を見ていた志穂が慌てて立ち上がろうと右足に力を入れた瞬間、表情を歪ませながらバランスを崩して右側に倒れそうになる。
一也は咄嗟に立ち上がると倒れそうになった志穂の体を支えた。
「――おい、大丈夫かよ。足怪我してるんだからお前は座ってろ。準備が出来たらテーブルまで連れてってやるから!」
「……うん。あはは、怪我してるの忘れてた……ごめんね!」
志穂は笑みを浮かべながら誤魔化そうとしていたが、一也の母親の事を聞いて、動揺を隠し切れないのは明らかだった。
だが、その志穂の様子を見て一也も察しているのか、何も言わずに志穂をソファーに座らせ、キッチンへと消えていった。
3人はテーブルを囲むと、狐鈴は待ってましたと言わんばかりに目の前に置かれたカレーライスを口に運んだ。
その直後、パクッと口にスプーンを咥えた状態で止まる。
っと次の瞬間。狐鈴の口からスプーンが転がり落ちた――。
「……ぬしさま……か、からいのじゃ……」
狐鈴は涙で瞳を潤ませながら、どうすれば良いのか分からず、ただただ口を開けて一也の顔を見つめた。
一也はため息をつくとゆっくりと席を立って水が並々入ったコップを持ってくると狐鈴に手渡す。
「ほら、水飲め」
「……うむ」
狐鈴はそのコップを震える手で掴むと、喉を鳴らしながら一気に流し込んだ。
その様子を見ていた志穂がぼそっと口を開く。
「狐鈴ちゃんは辛いの苦手なんだ……。カレーじゃない方が良かったかな? でも、狐が好きなのって……そうだ!」
志穂は考えながら独り言を呟いていると、ふと何かを思い出したのか、一也を呼び付ける。
一也は面倒そうな顔をしながら、志穂の側まできて尋ねた。
「何だよ。お前も水が欲しいのか?」
「違うよ! ほら、狐鈴ちゃんがカレー食べれないでしょ? だから何か他のものを作ってあげようと思って!」
「いいよ、別に……。辛いって言ってるだけで食べれない訳じゃないし。無理にでも食べさせるから……」
一也はスプーンの上で小さなカレーライスを作ったものの、悪戦苦闘している狐鈴を横目で見ながら言った。
そんな一也の言葉を聞いた志穂が怒りながら言葉を返す。
「そんなの可哀想だよ! 分かった! なら私一人でするからいいよ。もう一也は頼らないっ!」
一也はそう言って徐ろに立ち上がろうとする志穂の肩を掴んで止めると、ため息混じりに呟いた。
「わあったよ! はぁ~。なら手短に頼むぞ?」
「うん! やっぱり一也は優しいね!」
「ああ、はいはい」
はぁ……戦って疲れてるっていうのによ……こいつの世話焼きにも困ったもんだな……
にこにこと微笑んでいる志穂に肩を貸すと、キッチンへと向かって歩き出した。
しばらくして2人がキッチンから戻ってきた。志穂の手にはいなり寿司がたくさん乗った皿を持っている。
志穂は狐鈴の前にその皿を置いた。
「なんじゃこの茶色い物は……」
警戒しているのか、狐鈴は一瞬いなり寿司に視線を落としただけで、すぐに顔を背けてしまった。
そんな狐鈴に志穂が優しく声を掛ける。
「狐鈴ちゃん。これは辛くないから大丈夫だよ~」
「……どうじゃろう。この色もそうじゃが、匂いも、なにやら妾を誘っているようにしか感じぬ……」
狐鈴は眉をひそめながら、クンクンっと鼻を動かしてしきりにいなり寿司の匂いを嗅いだ。
食べるのを躊躇している狐鈴を見ていた一也が指でいなり寿司を摘み上げ口へと運ぶ。
「狐鈴。食わねぇーなら、俺が食うからいいぞ?」
「ちょっと! 一也にはカレーがあるでしょ! これは狐鈴ちゃんに作ったんだから!」
「だって本人が食いたくねぇーって言ってるのを無理に食わせる必要もないだろう?」
「……それは、そうだけど……」
2人が言い争いをしているのを見て、狐鈴が小さく呟く。
「まあ……主様が食べたのなら、妾が食べぬわけにもいかぬ……」
狐鈴は目の前のいなり寿司をフォークで刺すと、覚悟を決めたかのように目を瞑ってそのまま口の中へと放り込んだ。
その直後。狐鈴の手が止まった……。
2人はその様子を固唾を呑んで見守っている。
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