一也はその小学生の元に駆け寄ると、声を掛ける。
「おい! 大丈夫か!?」
「……うぅ~」
「志穂! 救急車だ!」
「救急車!? それはダメ!」
そう一也が叫ぶと、その子は慌てて飛び起きた。
一也はその様子に呆れたように呟く。
「良いか、大人をからかうんじゃない!」
「からかってない! ぼくはただお腹が空いて倒れていただけ!」
「お腹が空いてって……なら家に帰れば良いだろうが」
そう一也が言うと、その子は俯きながら表情を曇らせる。
その様子を見て志穂が優しく話し掛けた。
「ねぇー、ぼく。どうしてお家に帰りたくないのか、お姉ちゃんに教えてくれないかな?」
志穂はそう言ってにっこりと微笑みながら尋ねる。
普段からボランティア活動で幼稚園や小学校などを訪れているせいか、志穂は子供と話すのは随分と手馴れてる感じだ。
さすが志穂だな。子供と話すのも随分と慣れたもんだ
心の中で呟いた一也は関心したように志穂を見つめる。
すると、その子はもじもじしながら徐ろに口を開く。
「……その、けんかしたから」
「そっか、喧嘩したのは兄弟と?」
「ううん。ママと……」
そう言って黙りを決め込むその子の顔を覗き込んで、志穂は微笑む。
「そっか、ならお姉ちゃんに任せて!」
「……?」
「お姉ちゃんが一緒にお家に行ってあげるから!」
「……今日はお家に帰りたくない」
その意外な答えに志穂は困り果て、しばらく考えた末に一也の方を横目で見た。
一也はその瞳から志穂の思惑を察したのか、慌てて手を振って否定する。
「俺ん家はダメだぞ!? ってか、なに考えてんだよ! 見知らぬガキを泊めるなんて考えられないだろ!」
「なによ! ただどうかな~って思っただけじゃない! 一也のけち!」
そう言ってそっぽを向いた志穂に、一也が言葉を諭すように告げる。
「けちって……。そういう問題じゃないだろ? だいたいな。泊めるなんてそんな事勝手にしたら、こいつの親御さんが心配するだろ?」
「私が連絡するから大丈夫だよ」
「いや、そうじゃなくてだな……。俺のプライベートはどうなるんだよ! 家には狐鈴のやつも居るんだぞ?」
血相を変えてそう言い返すと、志穂は不機嫌そうに一也の顔を睨んだ。
「なら、一也はこの子をここに放置しておくって言うの!? 最低!」
「……い、いや。だから警察にだな――」
一也がそう口にすると志穂にその子がしがみつく。
「――警察は嫌だよ! お姉ちゃん助けて!」
「うん。大丈夫だからね! 警察になんて行かないから安心して」
一也の言葉を志穂に抱きついたその子を憎たらしそうに見て、一也が大きくため息をついた。
「分かった! でもその代わり、お前も泊まるんだぞ? 何かあった時はきっちり対処しろよ?」
「うん! 良かったね!」
「うん!」
はぁ……頭痛がしてきた……
微笑み合っている2人を見て一也は1人額を抑えた。
自宅に着いた一也は志穂が鍵を開けたのを確認して、背中に背負ったその子を下ろす。
「ほら、着いたぞ?」
「うん! ありがとう、お兄ちゃん!」
にっこりと微笑むと、突然家の中へ走っていった。
そんなその子に一也が声を上げる。
「お、おい。人ん家に勝手に……。はぁ~」
諦めたように一也はため息をつく。
「なんか元気な子だね」
「はぁー。元気過ぎるだろ」
「男の子は元気な方が良いんだよ」
そう言って微笑んでいる志穂を見て一也は更に憂鬱な気分になった。
そんな一也の近くの空間が歪み、その空間の狭間から狐鈴が不機嫌そうに顔を覗かせる。
「……主様。妾の憩いの一時に何をしてくれてるのじゃ……」
恨めしそうに一也にそう告げた狐鈴に一也が徐ろに口を開く。
「いや、俺じゃなくて文句はこいつに言ってくれ」
「ど、どうして私を指差すの!?」
「どうしてって……お前のせいだからに決まってるだろう?」
「……お前が悪いのか」
一也と狐鈴の鋭い視線が志穂に向けられ、慌てて志穂が言い返す。
「だっ、だって放って置けなかったんだもん! それにもし悪鬼に襲われたらどうするの? そうしないために対鬼部を作ったんだよ!?」
「あんなの形式上だろ? それに部活の延長で、俺の家をほいほい使われてたらたまんねぇーよ!」
「こ、今回は仕方ないでしょ! それに小学生1人くらいでうじうじ言わないでよ! 男らしくない!」
「……うっ」
その『男らしくない』という言葉に一也が渋い顔をした。
一也は常日頃から《男に惚れられる男》を目指していた。
だからかこそ、志穂のその言葉が深く一也の胸に突き刺さった――。
志穂がそう吐き捨て不機嫌そうにリビングの方に歩いて行く後ろ姿を見つめ、一也は一度深呼吸をして心を落ち着かせると、徐ろに狐鈴の方を向いて言った。
「狐鈴。わりぃー。その耳と尻尾をなんとかしてくれ。お前だっていつまでも異次元に居るわけにもいかねぇーだろ?」
「じゃが、妾の姿はそこらの者には見えぬのだぞ?」
狐鈴は首を傾げながらそう言葉を返した。
「ああ、分かってる。用心してのことだ。頼む」
「うむ。主様がそう言うなら仕方なかろう……じゃが! 妾が他の者に遠慮するのは今回限りじゃぞ?」
「ああ、分かってる。お前は誇り高き稲荷神様だからな」
そう呟いた一也に狐鈴はにっこりと笑うと「その通りじゃ!」っと呟いて空間の中へと消えていった。
狐鈴がその場を離れたのを確認すると一也は大きくため息をつく。
リビングの扉を開けると、2人が楽しそうにキッチンで話しながら料理をしている。
その子がひき肉をこね、その横で志穂が玉ねぎを刻んでいる事から察するに、おそらくハンバーグを作ろうとしているのだろう……。
一也はキッチンほうを向いて何気なくその子に尋ねる。
「――お前、名前は? 兄弟は居るのか?」
「ぼくの名前は月夜だよ。お姉ちゃんかな? が1人居るよ」
「そうか」
……かな? 曖昧な表現だな。素性も分からないし、少し挑発して誘ってみるか……
その煮え切らない答えに、一也はあえて話を切り替える事にした。
「でも、男で月夜って名前も変だよな。つきよじゃなくて、つきやじゃないのか? 普通」
「ちょっと一也! 名前の事をバカにしちゃ――」
「――いいよ、お姉ちゃん。だってぼく、女の子だし……」
「「えっ!?」」
その月夜の突然のカミングアウトに、一也と志穂は声を合わせて叫ぶ。
無言のまま月夜の様子を観察しながら、一也は椅子に座ってコーヒーを口に運んだ。
月夜の情報を聞き出そうとしたのだが、月夜のカミングアウトによって、一也の言葉による先制攻撃は完全に不発に終わった。
だが、今も頬にひき肉を付けて力一杯にボールの中で材料を混ぜている姿を見ていると、とても女の子らしくは見えない。
「まあ、良いか。とりあえず悪いやつではなさそうだしな」
一也はそう呟くとフッと息を漏らす。
今日転校してきた月夜とよく似た名前の月詠という少女の事を意識しすぎているのは、一也自身も重々理解しているつもりだった。
しかし、悪鬼ならまだしも、同じ鬼神に対して式神を放つのは理解し難い。
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