一也と別れた志穂は足早に家に帰ると、自分の部屋へ入りカーテンの隙間から外の様子を窺う。
その視線の先には電柱を影にして佇んでいる黒いコートを着た人物が見えた。
もう7月に入ったというのにコートを着て深々と帽子を被り。
更に顔を隠す為なのかサングラスとマスクを付けている。
「――また居る……もう、何なのよ……」
志穂はそう呟き窓側を背にして壁に座り込むと膝を抱えた。
志穂がその人物の存在に気が付いたのは数日前の事だった。
夜に小腹が空いた志穂が近くのコンビニに食べ物を買いに出た時、付いて来る人影に気が付いた。
だが、その時はたまたま向かう方向が同じだけなのだと、対して気にはかけなかったのだが、その翌日もそのまた翌日も、毎日のようにその人物の姿を見るようになり。志穂は底知れない恐怖を抱いていた。
それもそのはずだ。自分の動きを監視されていて気持ちの良い者はいない。
しかも、日に日にその距離が狭くなっていて、志穂はいつ襲われるかもしれないと危機感を抱くようになっていたのだ。
一也に相談しようと、何度も一也にこの事を話そうとしたのだが、その度に『一也を巻き込みたくない』という感情が邪魔をして話せずにいた。
もちろん警察にも相談したのだが、ストーカー行為を行っているかどうかを立証することは難しく。明確な行動がない限り手が出せないと言われてしまった――。
志穂は焦りながら小さな声で呟く。
「どうしよう……どうしよう、どうしよう。今日はお父さんもお母さんも返ってこないのに……」
志穂の両親は共働きで、今日は出張へ行って明日の夕方まで帰ってこない。
つまり、今夜は何があっても志穂1人で対処しなければならないということだ……。
志穂は震える手でスマホを掴むと、電話帳から一也の番号に電話を掛ける。
「一也……お願い出て……」
恐怖で身震いしながら、祈るようにスマホを握る。
その直後、突然玄関のチャイムが鳴った。
それにびっくりした志穂はスマホを落としてしまう。
「――あっ! うそっ、やだ……」
地面に落ちたスマホは無情にもベッドの下の隙間へと入ってしまった。
鳴り止まないチャイムの中。必死にスマホに手を伸ばしていると、今度はドンドンと玄関のドアを叩く音が響き、掠れた男の声で「居るのは分かってるんだよ」っと叫ぶ声が聞こえてくる。
身の危険を感じた志穂は音を立てずに1階にゆっくりと降りると、玄関の小さなレンズを通して中から外の様子を窺う。
そこには先程自分に部屋から見た人物が立っていたが、今度は庭の方へと向かい。カーテンの隙間から部屋の様子を窺い始めた。
「……ひっ! どうしよう……このままじゃ私。殺されるっ!?」
(……逃げなきゃ!)
このままでは危ない! そう直感した志穂はスリッパのまま玄関から外に向かって飛び出した。
虚を突かれたのか、男は慌てて家を飛び出した志穂を追いかける。
家を飛び出した志穂は、助けを呼びながら必死に走って近くの公園まで来たところで、足が縺れ転んでしまう。
「誰かー! 助け……きゃっ!」
地面に倒れながら、慌てて視線を追いかけてきた男へと向けた。
肩で息をていた男がマスクを外し、その素顔が露わになる。
志穂はその人物の顔を見て驚愕した――その顔には志穂も心当たりがある。
いや、その顔は心当たりという程ような不確定なものではなく――。
「あなたは……ストーカー被害を報告した時の警察官!?」
志穂が驚いたようにあんぐり口を開けている。
その男は不敵な笑みを浮かべながらポケットから折りたたみ式のナイフを取り出した。
「いやー。君は本当に運が悪い……。僕はね、君の通う学園のポスターを見たんだよ」
男はじわじわと志穂に詰め寄りながら言葉を続けた。
「君も知ってるだろ? この頃発生している女子高生が体を鋭利な刃物で切りつけられて首を吊った状態で発見される殺人事件を……」
確かにその事件は最近のニュースで連日報道されていた。
しかもまだ犯人は捕まっていないという事もあり先日の集会でも志穂が生徒達に注意を呼び掛けていたのだ。
不意にその事を思い出した志穂が顔を青ざめさせる。
「それを……全部あなたが……?」
その男の言葉に震える声で尋ねた。
「そうさ、全部僕がやった……良いよねぇ……。女の子の綺麗な肌にナイフの刃がめり込んでいく様は……最初は抵抗するんだ。でも、すぐに大人しくなる。そして最後には血にまみれた手足が動かせなくなった絶望の中。苦しんで死んでいく……僕は女の子が苦しむ姿を見るのが大好きでね」
気色の悪い笑みを浮かべたまま男は言い放つ。
その常軌を逸した発言に志穂は更に言葉を投げ掛けた。
「で、でも……そんな事がばれたら大変な事になるんじゃ……」
「そうだよ。だから僕は絶対に捕まらない……組織っていうのはそれが1つの個人なんだよ。だから、皆が皆をかばい合って存在している……それが組織というものの正体なんだよ?」
「……そ、そんな……」
志穂はその場に座り込んだまま、項垂れる。
男はそんな志穂にナイフを突きつける。
「どうして逃げないんだい? ほら、もっと必死に逃げないと……ってなるほど、そういう事か……」
「…………」
男は志穂が足首を抑えているのを見て、狂ったように笑い声を上げながら呟く。
「あはははっ! これは良い! 足を挫いてしまったのかい? 本当に君は運がないな!」
「……か、一也……助けて……助けて一也!!」
「はははっ! 助けを呼んだって誰も来るはずないよ。せいぜい泣き叫ぶことだねッ!!」
そう言うと志穂に向って男は高く掲げたナイフを振り下ろす。
その直後。辺りに乾いた金属音が響き渡る。
志穂は強く瞑った目をそっと開く――すると、目の前に黒い刀身の刀を持った少年が立っていた。
志穂はその見覚えのある背中に問い掛ける。
「……一也……なの?」
すると、少年はその言葉に答えるように志穂の方を向き直した。
その顔は紛れもなく一也だった。その顔を見て志穂の瞳から涙が止めどなくあふれ出す。
「……怖かった……怖かったよぉ……一也」
「はぁ~。全く……1人で帰れるんじゃなかったのか? まっ、良いや。話は後だ……」
一夜は持っていた刀で男のナイフを軽々と吹き飛ばす。
男はそれを慌てて拾いに走った。
その隙に小さな声で志穂に告げる。
「――志穂。逃げられるか?」
「……その、足を挫いちゃって……」
志穂は足首を抑えながら俯き加減に答えた。
一也は「しゃーねぇーな」っと小さく呟くと叫んだ。
「狐鈴。志穂を守ってやってくれ、それとあれはもうダメだ。悪鬼招来の準備を!」
その声に応えるかのように空間が捩れ、そこから銀髪の狐耳の女の子が現れた。
「ふぅ~。妾の主様は式使いが荒いのう……ほれ、娘。妾の後に隠れておれ」
狐鈴は愚痴をこぼしながらも渋々、志穂の前に立った。
狐鈴は意味ありげな口調で一也にもう一度尋ねる。
「……良いのだな。主様」
「ああ、いずれはバレることだ……頼む」
一也はそう告げると、狐鈴は小さく頷き難しい文言を唱え始める。
『我、天から遣わされた鬼神の使徒。我、汝の真の姿を問う。罪人よ。我と鬼神の前に汝の真の姿を表わせ!』
狐鈴が全ての文言を言い終えた直後。男の体が赤く光る。
男は苦しそうに雄叫びを上げると、皮膚が剥がれ次の瞬間には巨大な赤鬼の姿へと変わった。
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