秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のささやき
百人一首の79番。左京大夫顕輔が書いたこの歌。
秋の風に吹かれ、たなびく雲の隙間から、洩れてくる月の光の美しさを歌ったこの句であるが、私が彼女と出会ったあの秋の日の心情はまさにこの句に近いものだったように感じる。
私はどこにでもいる普通の会社員、そして彼女は───アイドルだった。
「はい……はい……いえ、ですから今先方に謝罪をしてはきましたが、納期が遅れてるから早く納品してくれと…謝られても困るとそう言われてしまったんですよ。……え?誠意が足りない?いや、そういう話ではなくて、今後の対応を……まずは商品の納品を確実にしてですね…………」
その日、私は都会の街の真ん中で使えない上司とそのような電話をしていた。「誠意が足りない」「気持ちを込めて謝れば」などと言われた記憶はあるが、そんな事で問題が解決するはずもなく、ストレスが溜まる一方であった。
「はぁ……」
電話を終えると自然と溜息が零れる。
吐いた息が温かい……いや、手が冷たいのだ。
残暑も去り、もうクールビズも終わった紅葉の色づく季節。そして、目と鼻の先に見える公園の時計が示す時刻は17時。もう日も落ちてきそうである。手も冷える訳だ。
「今日の仕事はあと残務整理だけだし、少し公園で休んでから会社戻るか」
そう小さく一人事を呟きながら、公園へと足を進めていくと、女性の可愛らしい歌声が聞こえてきた。どうやらアイドルがライブをやっているようだ。
この公園にはアイドルやバンドなどが野外ライブを行う事が出来るイベントスペースがあり、たまに色々なアーティストがライブを行っている。……らしい。
「らしい」という表現になってしまった理由としては、この公園は会社と取引先との行き帰りにショートカット用の近道として良く利用しているため、そのようなイベントスペースがあること自体は知っていたのだが、実際にこの場でライブを見るのは初めてだったからだ。
「せっかくだし、見てくか」
それが、私と彼女との出会いだった。
公園のイベントスペースで歌っていたのは5人組のアイドルグループ。
A〇Bグループや坂〇グループのようなありふれたアイドルの歌という感じだが、彼女達の笑顔で歌う姿、伸び伸びと踊る姿に目を惹かれてしまった。
その中でも特に輝いて見えた子が居た。それが後に私が推す事になるアイドルだ。いや、この時にはもうすでに推し始めていたのだろう。
歌い終わるとメンバーが自己紹介を行っていく。
「〇〇色担当、××です。よろしくお願いします」
どうやら5人とも担当カラーがあるらしい。周りを見回してみると、それぞれの色に光る棒───後に知ったが「ペンライト」というらしい。を振っているファンの姿が見える。
私が特に輝いていると感じた彼女の名前も分かった。……が、敢えて名前を出すのはやめておこう。私と彼女、ただその表現だけで十分なはずだ。
自己紹介が終わり、少しMCを挟んだ後、再び曲に戻る。今度はアップテンポで盛り上がる曲だ。ファンが彼女達を応援する声が公園に響き渡る。何を言っているのか分からない部分のが多かったが、それについては後々よく知る事になるので追々、綴る事にしよう。
「聞いて下さり、ありがとうございます。この後、ここで特典会を行います。新規の方は2ショチェキとトークが無料になります。気軽にお話に来てくれたら嬉しいです。以上。私達……でした。ありがとうございました」
ライブが終わった後の彼女達のセリフ。
特典会、2ショチェキ……この時はよく分からなかったが、とりあえず話しに行けるということだけは分かった。
「よく分からないけど……行ってみようかな」
私がそう呟くと、どうやら隣の若い青年にその呟きが聞こえたらしい。
「あっ、お兄さん。興味ある感じっスか?いいっスよね~!誰が気になったんスか?」
随分と馴れ馴れしいな。そう思った。彼の第一印象は最悪だった。見た目もチャラい感じだし、無視しようかとも思ったのだが、実際何も分かっていないのも事実。情報収集にはちょうどいいと判断した。
「実はこういうアイドルのライブ自体初めてでよく分からないんだけど、あの〇〇ちゃんって子が気になってて……」
私がそう言うと、彼は「ちょっと待ってて下さいっス」と言葉を残した後、すぐにどこかへと走り去っていってしまった。
「何だったんだ……」
意味も分からずその場で1分ほど棒立ちしていると彼が何かチラシのようなものを持って帰ってきた。
「待たせてすいませんっス!俺後先考えず突っ走っちゃう癖があって……、後で一緒に来てもらえば良かったなって思ったんスけど……、って話逸れちゃったっスね。えっと、このチラシをあそこの受付に持ってくと、無料でチェキとトークが出来るんスよ!」
随分と早口だが、どうやら私にその特典会というイベントのシステムを教えてくれているようだ。チェキという聞きなれない単語があった為、それについて質問すると所謂、写真のようなものだと教えてくれる。見た目と馴れ馴れしい態度で判断するのは早計だった。彼はなかなかに優しい。
彼に連れられ、受付へ行くと、アイドルのマネージャーらしき女性に彼がこう伝える。
「○○ちゃんさっきはごめん。この人が新規さん!連れて来たよ!」
どうやら彼はこのアイドルのマネージャーらしき女性と知り合いらしい。
「あー、えっと……ご新規の方ですね。SNS……Xはやってらっしゃいますか?」
X……最近、名前が変わって色々話題のSNSだ。
「全然、動かしてもいませんけど一応アカウントは持っていますよ」
「あー、良かったです。それじゃあ、話したい子のアカウントをフォローして見せていただけますか?」
マネージャーらしき女性はそう言って、受付に書いてあるユーザー名を指差す。@マークから始まるものだ。
ご丁寧にメンバー5人全員のアカウントが受付に書いてあるので目当ての子のアカウントをすぐに見つける事が出来た。
話したいと思ったアイドルのアカウントをフォローして受付の女性に見せると、彼女は微笑んでこう言った。
「ありがとうございます。○○ちゃんですね。この特典券を持って彼女の列に並んで下さい」
特典券……どうやらこれを彼女に渡す事で話せるらしい。
「次回からは1枚1500円っスからね!この1枚でチェキと1分トークなんで!」
なるほど。1500円で1分しか話せないのか……。そう思ったがどうやらこれでも十分安い方なのだと後で知る事になる。またそれも別の話だ。
見た目のチャラい優しい青年も他のメンバーと話に行くようで、彼とはそこで別れた。
青年やマネージャーらしき女性に言われた通り、話したいと思ったアイドルの子の列に並ぶ。もうすでに5人ほどが並んでいた。メンバー5人とも多少のバラツキはあるが同じくらいの行列だ。人気に差があるというわけではないらしい。
「ん?あっ…………えっと……こ、これ」
自分の前に並んでいた大人しそうなメガネの青年が何やらプラカードを渡してくる。
プラカードには『チェキ列最後尾』と書いてある。これを後ろの人に渡していくシステムのようだ。そして、前の彼は人見知りらしい。歯切れの悪さと、うつむきながら喋る様子でそう判断した。間違ってはいないと思う。
「ありがとうございます」
そう言って人見知りらしき彼からプラカードをもらうと、すぐに自分の後ろに並んだ人に「それ貰います」と声を掛けられ、私はプラカードを後ろへと回した。
自分の番になるまでの間に、前に並んでいた人とアイドルの子の会話を少し聞いていたが、皆見知ったファンのようでアイドルの子も笑顔でファン一人一人と接していた。
チェキという写真にはサインを書いているようだ。2ショットチェキと聞いていたが彼女一人だけのチェキも撮れるらしい。私もそれでいいかと思った。
私の前に居た大人しそうなメガネの青年の番になると、急に彼は饒舌になった。
アイドルとは話せるようだ。だが勢いが強すぎるせいか彼女も少しひきつった笑顔だったように見える。気のせいかもしれないが……
そして、ついに私の番が回ってきた。
特典券を彼女に渡すと、彼女がこう口を開く。
「初めまして!チェキは2ショにします?それともピン?」
「えっと…君一人のやつで」
「わかりました!じゃあ撮ってきますね~」
そう言ってチェキを撮るカメラマンらしき男性を呼び、すぐさま胸の近くでハートを作るポーズを決めた彼女は撮って貰ったチェキをそのカメラマンの男性から受け取り、私の前へと戻ってくる。
「それじゃあ、始めますね~」
そう言って手元のタイマーをスタートさせた。
さっきのメガネの青年は2ショットチェキを選んで撮る前にも何やら話していたな。2ショットチェキを選べば実質1分以上話せるらしい。
「改めて初めまして!スーツって事は仕事終わりとかですか?」
「あ、えっと実は休憩中でこの後また仕事に戻るつもりなんだ」
「公園で休憩してたらたまたま私達のライブ見たって事ですか~」
「そうですね」
「嬉しいです!ありがとうございます!なんで私にとこに来てくれたんですか?」
「一番目に止まったから、かな?何ていうか輝いてた。ライブ良かったよ」
「え~めっちゃ嬉しい!ありがとうございます!」
思った以上に会話が弾む。彼女は会話しながらもチェキにサインやらハートやらを書いていく。だが、話す時はこちらの顔もちゃんと見て話してくれている。
「チェキに書きながら話すのすごいね」
「サインとか書きなれてるんで、もう目瞑ってても書けますよ!最後にお名前いいですか?」
名前。直感的にフルネームじゃない方がいい気がした。私の3つほど前のファンの人は『プリンくん』などと呼ばれていた為、あだ名のようなものを聞いているのだろう。
とっさに昔、学生の頃呼ばれていたあだ名を彼女へと伝えた。自分の名字が由来のあだ名だ。
「じゃあ、○○って呼んで」
「○○さんね。ありがとう!また来てくれたら嬉しい!」
その彼女の言葉とともにタイマーが鳴る。時間管理も完璧ですごいと感じた。
彼女からチェキを受け取って列から離れると、先ほど色々と教えてくれたチャラい見た目の青年が駆け寄ってきた。
「楽しかったみたいっスね。良かったっス!フォローしたSNSに次のライブの日とか載ってるんで良かったらまた会いましょう!」
そう言って彼はまた走り去っていった。目で彼を追って見ると他のファンの知り合いだろう。彼らと話しに行っている。撮ったチェキの見せあいもしているようだ。
私の前に並んでいたメガネの青年は……他のメンバーの子とも話しに行っている。
私が話しに行ったアイドルの子も変わらずファンと楽しそうに話している。
秋風に導かれ、やってきたこの空間は『楽しい』という感情で溢れていた。
これがアイドルか。楽しいな。私もそう感じていた。
秋風が 吹き導かれし 公園で 出会う彼女の 輝きを知る
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