山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も 枯れぬと思へば
百人一首の28番。源宗于朝臣が書いたこの歌。
山里は人も少なくいつの季節でも寂しいが、冬は尚更、寂しさがつのる。人の訪れも減り、草木も枯れてしまうから。という意味の句であるがこの句と冬のアイドル現場はまさに正反対と言っても過言ではないだろう。
彼女と出会って数か月、私は公園などのイベントスペースで行う観覧無料の野外ライブに限るが、行けるライブは全て通うようになっていた。所謂、オタクの仲間入りだ。
季節は木枯らしが吹きつける寒い冬になっていた。
寒い冬場の野外ライブと聞くと人もあまり集まらないように感じるがそんな事はない。
彼女達のライブを見ると心が熱くなる。楽しさで寒さを忘れる。仕事の疲れも癒される。
最初にライブを見た時に話し掛けてくれた見た目のチャラい優しい青年から何度か会う内に教えて貰ったコールを叫ぶと喉も温まる。何ならライブ後に少し汗ばんでいる事もあるほどだ。
他のファンも皆同じなのだろう。その為、冬だから、寒いからという理由でライブを見に来る人が減ったりはしない。むしろどんどんとファンの数も増えてきているように感じる。
彼女達が有名になっていくのはとても嬉しい。推すというのはこういう事なのだと私は今実感しているのだ。
そして特典会では彼女と何度も話すうちに仲も睦まじくなっていった。
会う度にチェキを撮る為、チェキの枚数も増えてきている。100円ショップでチェキ帳も買ったほどだ。
「◯◯さん!今日も来てくれたんだ!野外ライブだといつも居るよね!めっちゃ嬉しい!」
「今日のライブも楽しかったよ!」
「ありがとう!あのさ、そろそろライブハウスにも来てみない? 知ってると思うけど来月、私の生誕なんだよね」
確かに知っている。来月は彼女の誕生日。その当日に生誕ライブを行うとSNSに告知がされていた。
だが、ライブハウスは怖いという偏見が私の足を凍らせていた。一応事前に調べてはいるのだが……
「ライブハウスか……行った事なくて良く分からないんだよね。なんかチケット代とかドリンク代とかも掛かるみたいだし……」
「うーん。◯◯さんにも来て欲しいんだけどな。……ダメ?」
上目遣いでそうねだる彼女。ここまで言われるともう答えは一択しかなくなってしまう。
「分かった。行くよ!」
「やったー!チケット買ったって報告絶対してよ!約束したからね!!」
行くと言ってしまった以上は行かねばなるまい。だが、具体的にどうすればチケットを買えるのだろう?
そういう疑問に答えてくれるのはいつも彼だった。見た目のチャラい優しい青年だ。
私は彼を探して特典会場を見渡すがどうやら今日は来ていないようだ。
「あとで聞けばいいか」
彼とはライブ会場で何度か会う度に、より一層仲良くなり、連絡先の交換もしている為、その日の夜に彼女と話した内容とともに、生誕ライブへ行きたいがどうやってチケットを買えばいいかが分からないと相談した。
ちなみに今日のライブに彼が居なかった理由は別のアイドルグループの大事なワンマンライブがあったようでそちらに行っていたとの事だ。
私は他のアイドルグループには……というより彼女以外に興味がない為、なんとも思わなかった。
『◯◯ちゃんの生誕ライブをライブハウスデビューにしたいと……なるほど!いいっスね!ちょっと待ってて下さいっス』
その彼の言葉の数分後、とあるwebサイトのURLが送られてきた
『このチケットサイトから、彼女の生誕ライブのチケット買うといいっスよ。優先チケのが値段は高いっスけど、その代わり前の方で見られたり、ついてくる特典が豪華だったりするっス』
その後も彼は色々と説明をしてくれた。チケットサイトの詳細も助けとなり、なんとか私はチケットを購入する事が出来た。
『俺もそのライブ行くんで、また会場で会いましょうっス!あっ、その前の日とかにライブハウスの入り方とかも教えとくんで、また連絡するっスね!』
彼のその言葉に嘘偽りはなく、本当にライブの前日に連絡があった。
ライブハウスには開場時間と開演時間があり、開場時間がライブハウスの開く時間、開演時間がライブが始まる時間のようだ。
開場時間前にライブハウスへ到着して、買ったチケットの番号を確認しておく。私の買ったチケットは『A85』
優先ではなく一般チケットだ。
ライブハウスが開くとスタッフが列形成を始める。優先チケットの『VIP1』から何番かまで全員が並び終えてから一般チケットの列が作られる。つまり私は一般チケット列の85番目に並ぶという訳だ。
ライブハウスに入る時にドリンク代を支払う。どこのライブハウスも600円らしい。
ドリンク1杯に600円は高すぎると感じたがライブハウスへの入場料も含まれていると考えれば納得はいく。チケット代はアイドルの事務所へ流れるお金。ライブハウスへ流れるお金はこのドリンク代という事なのだろう。
アイドル事務所からもライブハウスを使わせてもらう為のお金を支払っているだろうしな。
ドリンク代を支払ってライブハウスに入ればあとはライブ会場でライブを待てばいい。との話だったが……
「あっ!◯◯さん!お疲れ様っス!先に物販一緒に行くっスよ!」
ライブ会場に入った私を見つけた彼が声を掛けてくる。
物販? 質問する前に腕を捕まれ連れていかれたのは特典会の受付だった。結構並んでいるな。
「先に特典券を買っておくって事か?私は何枚かまだ持ってるから別にいいよ」
「あー、やっぱSNSちゃんと確認してないっスね。ほら!」
彼が携帯の画面を見せてくる。SNSの画面だ。そういえばタイムラインに流れてきたのを見た気がする。
生誕Tシャツ、ブロマイド、アクリルキーホルダー……何やら色々買えるらしい。
「生誕ライブでしか買えないんで、買っといた方がいいっスよ!生誕Tシャツは予約制なんでもう無理っスけど……ブロマイドもアクキーも安いし、どうっスか?」
「じゃあ、せっかくだしキーホルダーくらいは買っておこうかな」
「俺はブロマイド買うっス!」
そして、アクリルキーホルダーを買った私と彼はライブ会場に戻り、開演時間を待つ。
徐々にライブ会場に人が集まってくる。私は真ん中より少し後ろ側に立っていた。隣には彼もいる。ライブ会場はオールスタンティング。座る席などない。1時間ほど立ちっぱなしになりそうだが、大丈夫だろうか?と少し不安に感じていると、開演時間になったようで、会場の照明が落ちた。暗闇の静寂が期待を膨らませる。
このグループオリジナルのovertureが流れ、ファンのクラップがライブ会場に響く。
野外ライブでも良く聞くovertureであるが、これは今からライブが始まる合図のようなものだ。曲に合わせてファンがクラップをしてライブ前から雰囲気が盛り上がる。
overtureが終わるとメンバー5人がステージに現れる……のだが、霧のようなもので上手く顔が見えない。
この霧……スモークはライブ用の化学物質でこのスモークが会場に充満する事で照明が綺麗に見えたりするようだ。
曲が始まると、照明がステージを照らし、彼女達をより一層輝かせる。
最初の曲は彼女がセンターの曲。彼女の衣装はいつもの衣装ではなくこの生誕ライブ限定の彼女の担当色を散りばめたものでとても綺麗だ。
綺麗といえば、ペンライト。
冬の夜の野外ライブでも綺麗だと感じたがライブハウスのペンライトの光はそれ以上に輝いて見えた。これもスモークのおかげなのかもしれない。
野外ライブでは感じられないスピーカーから響く音に驚きながらも、私はライブハウス特有の雰囲気にとても感動していた。
そして、スピーカーの音の他にも、もう一つ驚いた事がある。
私の後ろにファンが作った円陣──サークルというらしい。が出来ているのだ。彼もそこにいる。彼女達アイドルに背を向けているのはどうなのだろうと少し疑問に思うが、円陣を組んで皆でコールやMIXを叫んでいるのはとても楽しそうだ。
ちょうどいいのでMIXについても説明しておこうか。
MIXというのはアイドルのコールの一つで「タイガーファイヤー」などと叫ぶものだ。「しゃーいくぞー!」という掛け声から始まり、「タイガー ファイヤー サイバー ファイバー ダイバー バイバー ジャージャー」までが1セット。イントロなどに綺麗に入ると、とても気持ちがいい。
日本語で「虎 火 人造 繊維 海女 振動 化繊」と叫ぶものもある。こちらは1番と2番の間に入れる事が多い。他にもアイヌ語やスペイン語、ドイツ語、イタリア語など色々なMIXがあるらしいが、私はまだアイヌ語を覚えている最中だ。
この一見同じような単語を組み合わせただけのように見えるMIXだが、MIXの極意といって「虎の如く 火の如く 人の造らざる繊細な心も 維新となれば海を飲み、女を喰らふ。その振動をあるがままに化身し、本来繊細な心を飛ばし、刹那に思ふがまま除き去る。これ己に忠実。刹那な刻の流れに身を任せるのみ。これこそタカまりの心髄なり」という古文のようなものをまとめたものがMIXの内容とされているようだ。
他にもガチ恋口上や、可変三連MIXなどという応用編のMIXもある。気になる人は調べてみるといいだろう。叫んでいる時はとても楽しい。私はまだ可変三連MIXも全然出来ないから説得力がないかも知れないが……
話が逸れてしまったが、ライブに戻ろう。
最初の曲が終わるといつも通りメンバー全員が自己紹介を行い、その後、オリジナル曲とカバー曲を織り交ぜた4曲連続のパフォーマンスを披露する。私は終始圧倒されていた。
その後のMCでは、メンバー全員が誕生日を迎えた彼女へ言葉を掛ける。そして再び曲へと戻り、大きな拍手と歓声でライブは終了した。
すごく楽しくて時間を忘れていた。もう1時間経ったのか? そう思い、携帯の時間を確認したが、まだライブ時間は20分ほど残っている。会場もまだ暗いままだ。
すると、会場のどこからか声が聞こえてきた。
「今日は◯◯ちゃんの生誕ライブにお越し下さりありがとうございます!! ◯◯ちゃんがこのグループでアイドルとなって2度目の生誕ライブ!皆さん盛り上がってますか~!」
「「「おー!!」」」
凄い歓声だ。会場が揺れているように感じる。
「まだまだ楽しみたいですよね~!」
「「「おー!!」」」
「まだまだ声出ますよね~!」
「「「おー!!」」」
「アンコールは◯◯コールで行きます!」
アンコールがあるのか。全員で彼女の名前をアンコール代わりに叫ぶらしい。
「◯ー◯!」「「「◯ー◯!」」」「◯ー◯!」「「「◯ー◯!」」」
彼女の名前がライブ会場に響き渡る。私も気付いたら叫んでいた。
「アンコールありがとうございまーす!」
数分後、再び彼女達がステージに戻ってくる。
アンコールで披露した3曲もとても楽しかった。この後の特典会はいつも以上に列が長くて驚いたが、彼女も私が生誕ライブに来た事に対して全身で嬉しさを表現してくれていた。ぴょんぴょんと跳び跳ねて喜んでくれたのだ。それが何よりも嬉しかった。
「チケット買ったよってSNSでリプ来た時から今日、◯◯さんに会える!ってめっちゃ楽しみにしてたんだよ!」
そう言われた事が何より嬉しかった。
ライブハウスでのライブは野外ライブとは比べ物にならないほどの興奮を覚えるものだった。
季節は冬だというのに、体が熱くてたまらない。まるで夏かと錯覚するほどだ。上着を脱いで袖を捲っているファンも多い。
アイドルは 冬も勢い まさりける 人目も草も 変わらず輝く
といったところか。ここでの「草」は笑顔を意味する。
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