裏にでも行きましょうか。
生意気、舐めているなどと捉えられてしまったら、現状に輪をかけて面倒になるかもしれない。
そう思いながらも直樹がそれを口にしようとした時だった。
「澤田、てめえは何をしてんだ?」
横から決して大きくはなかったが低く力強い声が響く。直樹は澤田に襟元を掴まれたままで声がした方に視線を向けた。
そこには濃いグレーのスーツを着た男が立っていた。男が着ているスーツは最近、巷でほとんど見かけることがなくなったダブルのスーツだ。
久々に見る顔だった。五、六年ぶりになるのだろうか。少しだけ老けたかもしれない。歳は四十歳半ばを越えているはずだった。頭には少し白髪が見える。ただ、ダブルのスーツを着ているのも、均整のとれた体も以前と何ら変わらないようだった。
「澤田、すぐに手を離せ」
男が発したその言葉に澤田は戸惑った表情をする。
「馬鹿野郎、聞こえねえのか? 早く手を離せ」
戸惑っている様子の澤田に対して、大きくはなかったが明らかな怒声が響く。その怒声とともに、さして大きくはない細い一重の目が鋭く澤田に向けられていた。
言葉とその視線に気押されるようにして澤田は直樹の襟元から慌てて手を離した。
男の名は片山と言った。直樹とは古くからの知り合いだった。そう。古くからの……。
片山は澤田の手が直樹の襟元から離れたのをみると、直樹に向き直った。
鴨田も小川も、そしてヒトミやミソラも急な状況の変化についていけないようで、口を半開きにして片山の顔を見ていた。
そんな中で片山が直樹にゆっくりとした動作で頭を下げた。一瞬、知らないふりができればと思ったが、この状況でそれは無理なようだった。
となれば後は流れに任せるしかない。直樹はそう決意する。
「すいませんでした、直樹さん。後でこいつらには言って聞かせます」
直樹に頭を下げた片山の言葉で、直樹たちに絡んできた彼らも自分たちが知らないだけだが、直樹が何者かであることを悟ったのだろう。血の気が引いたような顔で片山と直樹の顔を交互に見ている。
「お久しぶりです、片山さん。知らなかったことでしょうから、穏便に……」
実害がない以上、直樹としては片山の言葉に単純に追随はできなかった。
そんな直樹の言葉に片山は少しだけ微笑を浮かべた。そして、状況が分からないままで青い顔をしている背後の二人に視線を向けた。
「お前らも詫びを入れろ。細かい話は帰ってからだ」
その言葉に二人とも弾かれたように頭を下げて、交互にお詫びの言葉を口にする。直樹にとっては既にどうでもいいようなことだったが、片山にしてみればそれでは筋が通らないといったことなのか。
片山はこの六本木に根を張る老舗の的屋系暴力団、三代目若狭組の若頭だった。つまりは組のNo.2にあたる。直樹たちに絡んできたこの二人が三代目若狭組の中でどの立ち位置にいるのかは知らないが、若頭の片山が頭を下げるような人物なのだ。それだけで直樹がそれなりの人物であることが分かるというものなのだろう。
「止めて下さい、片山さん。別に俺たちが何かをされたわけじゃない。逆に騒いで迷惑をかけていたぐらいだ。詫びる必要なんてないですよ」
直樹はそう言って、先程から口を半開きにしている鴨田に視線を向けた。鴨田もその視線に気がついたようで、恐る恐るといった感じで口を開く。
「そ、そうだな。騒いだ俺たちが悪い。それについては謝罪しなければな。で、佐賀……くん、お知り合いなのかな……」
くん付けをされたのは中途採用で入社して以来、初めてのことだった。鴨田のそんな言葉を聞いて直樹は思わず笑みがこぼれそうになる。
「……まあ、そんなところですかね」
他に言いようがなかった。転職して一か月弱。早々に反社である暴力団らしき連中と何かしらの繋がりがあることが分かってしまったのだ。実際、直樹としては暗澹たる気分だった。今夜のことだけで、もう会社にはいられないかもしれない。
そう思うと自分の中で少しだけ怒りが湧いてくるのを直樹は感じていた。だが、そもそも夜の六本木に足を踏み入れれば、彼らと出食わす可能性はあったのだ。望んで夜の六本木に来たわけではなかったが、これも仕方がないことではあるのかもしれなかった。
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