「片山さん、若菜が連れ去られた」
「……おそらく狂走会でしょうね」
沈黙の後、片山が言う。どうやら片山も直樹と同じ意見のようだった。
なぜ自分たちの居場所が知られたのか、見当がつかない。だが、このタイミングで若菜を連れ去った者は誰なのか。真っ先に思いつくのは、片山と同じで蒲田・川崎狂走会ということになる。
「念のため、直樹さんも身を隠した方がいい。直樹さんが帰ってくるのをどこかで見張っている可能性もある」
「そいつはどうでしょう。俺をさらったって、金やリストが出てくるわけじゃない」
直樹にとってこれは当然の反論だった。自分を捕まえたところで、若菜を追っている連中に益があるとも思えなかった。
「あの女を脅す道具にはなるんじゃないですか?」
そうは言われたものの、自分を盾にして若菜を脅しても彼女が従うとは到底思えない。でも片山が言ったように、他者がそう考える可能性は確かにあった。
「それに直樹さん自身も、あれだけの大立ち回りをしたんだ。狂走会の連中に恨まれている部分だってあるでしょう。奴らには、それだけでも直樹さんをさらう価値がある」
これも片山の言う通りなのかもしれない。蒲田・川崎狂走会の連中が若菜だけではなくて直樹自身も、その恨みから標的にしている可能性はあった。
もっと言えば若菜の身を欲しているのは七代目竹名組であり、直樹の身は蒲田・川崎狂走会が狙っているということになる。
若菜を助けたあの時から、懸命に抗ってきた。しかし、それに反して直樹たちの立場は、ますます厄介な方向へ転がっていくばかりのようだ。足掻く自分を見て、まるで運命が嘲笑しているような気さえする。
「分かりました。俺は部屋を出て、渋谷か恵比寿のビジネスホテルに向かいます。片山さんに頼めた義理ではないのですが、若菜の行方をお願いします」
今の直樹にはこう言うより他になかった。迷惑をかけたくないと思いつつも結局、自分が頼れるのは片山だけなのだ。
「大丈夫です。大阪に身柄が渡っていない限りは、まだ何とかなりますよ。連中が出入りする場所に、人をすぐに向かわせます」
片山の淡々とした口調が直樹を少しだけ落ち着かせていく。
「すみません、何から何まで……」
「まだ打つ手はあります。謝罪はあの女を見つけた時にお願いするとしましょう」
片山はそれだけを言い残して電話を切った。
直樹は深く息を吐いた。そして改めて荒れ果てた室内を見渡した。
若菜のことが心配なのは当然だ。だが、今の直樹にできることは何もない。ただ、片山に頼るしかなかった。直樹は改めてそう思うのだった。
渋谷のビジネスホテル。その狭い部屋に足を踏み入れると、エアコンの風が頬を撫でてきた。直樹は何かを考える前にベッドに身を投げ出した。
喉が渇いていることに気づいたが、何を飲みたいのか分からない。分かるのは、身を焦がすかのような焦燥感があることだけだった。
片山から連絡があったのは、それからすぐだった。
「直樹さん……」
電話に出ると、片山は最初にそう言った。
「どうも妙ですね。狂走会の連中に、あの女を捕まえた形跡がありません。追っていた女ですからね。捕まえていれば、もっと浮かれて派手に動いていてもいいはず」
「他の誰かが……ということですか?」
その言葉に片山はひと呼吸を置いた。
「確証はありません。判断の難しいところでもあります」
片山はそう言い、電話の向こうで考え込むように黙った。
若菜をさらったのが蒲田・川崎狂走会ではないとすると……。
若菜の存在を知っている者は限られている。蒲田・川崎狂走会ではないとすれば、その上位団体である七代目竹名組もまた違うということなのか。
だとすれば他に若菜の存在を知っている者は、自分の父親がいる三代目若狭組。だが、そうであれば、さすがに片山がそれを知らないはずがない。
残るのは新宿を拠点としている関東黄龍会の斉藤だ。しかし、あの時の斉藤たちの様子を見る限りでは、再びこの一件に首を突っ込んでくるとは思えない。それとも、直樹たちが知らないところで、状況が大きく変わったのか。
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