武は仲間だった男が運ばれていくのを無表情のままで見送っていた。そこには裏切ったとはいえ、かつての仲間を思いやる気配は微塵も感じられない。
片山にしても武にしても、人の生き死になどで感情が動くことはないようだった。それがヤクザ、半グレというものなのだろうか。それともそんなことで感情を動かしていたら、裏の世界で生きていくことなどできないということなのか。
やがて運ばれて行った豊と入れ違いで若菜が入ってきた。
「死んだ?」
若菜は直樹に向かって、最初にそれだけを言った。そこには何の感情もこもっていないように思えた。
その直球的な物言いに直樹は言葉を詰まらせる。その代わりに口を開いたのは武だった。
「どうだろうな。どちらにしても、長くはねえよ」
若菜は武の言葉に面白くなさそうな顔で鼻を鳴らした。
「苦しんだ? ねえ……あいつは苦しんだの?」
若菜の憎悪が宿った瞳。指先も小刻みに震えているようだった。若菜が持つ憎悪を真正面から受けた気がして、直樹は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「大したタマだな。あれを見れば分かっただろう」
呆れたような声で言う片山に、若菜は直樹に向けたのと同じ目で彼を睨む。片山はそれを平然と受け止めて再び口を開いた。
「そもそも、お前が起こした騒動の結果だ。女のお前が捕まれば、こんなことになるのは当たり前だ」
何の抑揚も感じられない片山の冷淡な口調だった。若菜はそれに対して言葉を返さず、怒りと憎悪に満ちた目を片山に向けている。片山はそんな若菜に対して、少しだけ溜息を吐き出した。
「こいつはお前に返しとく」
そう言った片山の手にあるのは例のUSBだった。
「当たり前でしょう。それは私のなんだから」
若菜がそれを奪いとるようにして手を伸ばした。
その様子を見ながら売るあてもない顧客リストには、もはや大した価値なんてないだろうと直樹は思う。しかし、そうだからと言ってこのリストを手放しても、事態が好転する段階でもなかった。
若菜が盗んだ一億円とリストを返したところで、七代目竹名組が彼女を無条件で許すはずはない。だが逃げ切れることができれば、いずれリストを売る手も出てくるのかもしれない。
だが、その頃にはリストとしての賞味期限も切れているのかもしれない。
いずれにしても、まずは身を隠すことが最優先だった。片山が言っていた自分たちを三代目若狭組に連れて行くまでの猶予が二、三日しかない。今日の一件でその貴重な一日が失われようとしている。
「若菜、俺たちはとにかく急いで身を隠す必要がある。でなければ、竹名組に捕まる前に、俺たちは若狭組に突き出される」
「若狭組って、直樹の……」
ここで若菜は言葉を切った。新たな事情が発生したのを察したのだろう。
続けて直樹は若菜から武に顔を向ける。
「俺たちは一度、家に戻る。そっちはどうする?」
問いかけた直樹に武は軽く肩をすくめた。
「俺は適当にここから帰るさ。あんたたちと一緒にいるのを誰かに見られても、それはそれで厄介だからな」
蒲田・川崎狂走会の仲間たちや、その上部団体である竹名組に若菜と姉弟であることが知られる心配はなくなったのだ。もはや武にとって、直樹たちと一緒にいる意味はないということなのだろう。
「小僧、落とし前は後日だ」
片山の言葉に武は再び無言で肩をすくめた。片山の言う落とし前が金なのか、何らかの情報なのかは分からない。ただいずれにしても、ろくでもないことなのは想像ができた。
武がいなければ、若菜を救うことはできなかったかもしれない。改めて何とか口をきいてやりたいと思うが、先程の話を片山と蒸し返すことになってしまう。
直樹は無力感に苛まれ、内心でため息をついた。もっとも、今は他人に気をかけている場合ではないのも事実だった。
今、一番追い込まれているのは武ではなくて自分たちなのだ。
「片山さん、家に戻ります。夜に渋谷で落ち合いましょう。そのまま東京を出ます」
「分かりました。準備を急ぎます。場所は……」
片山は横目で武を見ると、すぐに口をつぐんだ。直樹たちの逃亡先を知る人間は少ない方がいいという判断なのだろう。
「まあ、あとで話しましょう」
片山がそう言葉を締めくくる。
「若菜、取り敢えずは東京を出るぞ」
直樹の言葉に珍しく反論もしないで、若菜が無言で頷いた。自分がさらわれたこともあり、追手がすぐ近くまで来ていることは若菜も十分に理解しているのだろう。
このまま国内に潜伏するのか、それともほとぼりが覚めたら海外に脱出するのか。
果たしてそんなに物事が上手くいくものなのか。
たとえ海外に脱出できたとして、それからどうやって生きていくのか。
どれだけ考えても答えは見つからない。身を焦がすような焦燥だけが心の奥でじわじわと広がってくる。そして直樹はそれに飲み込まれてしまう自分を感じるのだった。
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