寂寥なき街の王

~一億円強奪 狂乱の宴と自愛の果てに~
yaasan y
yaasan

甘く見ている

公開日時: 2025年3月7日(金) 09:42
文字数:1,767

「分かりました。片山かたやまさんは可能な限り、俺があの人たちのところに行く日を伸ばして下さい」

 

「伸ばせても……二、三日ですね。どうするつもりですか?」

 

「取り敢えずはどこかの地方に。隙を見て海外に行きます。また片山さんを頼ることになりますが」

 

 直樹なおきの言葉を聞いて片山は大きく溜息をついた。

 

「何もかも投げ出すぐらいに惚れているんですね」

 

 それを聞いて直樹はどうなのだろうかと思う。もちろん、若菜わかなに対して愛情があるのは間違いない。片山が言うように惚れているのだろうと思う。

 

 だが、客観的に考えれば、たかだか数日前に出会っただけの女なのだ。愛情も、惚れているもないだろうとも思う。

 

 たとえ愛情があっても、状況は四面楚歌で、命がかかっているのだ。そんな女など、切り捨てるべきなのだろう。

 

 今、実父の田上巌たうえいわおに若菜とリストを差し出せば、叱責は免れないにしても、命までは取られないはずだ。

 

 若菜を差し出せば命は助かる。頭では分かっているのに、そう考えると喉の奥がカラカラに乾いてくる。

 

今この瞬間、自分は何を選ぼうとしているのか?

 結局、自分の感情がそれを許さないのだ。それが愛情で、惚れているということなのか。

 そこまで考えて直樹は片山に深々と頭を下げた。

 

「その小指……片山さんには本当に申し訳なく思っています。今の俺には、こうして頭を下げるぐらいしかできません」

 

「いえ、悪い目が出ればこうなることは分かっていましたからね。覚悟していたことだ。気にする必要はないです。それに、この家業を続けていれば、いつかはこうなるものですよ」

 

 片山の目は静かで迷いなどは微塵もなかった。それが逆に、直樹の中で片山に対する申し訳なさが募ってしまう。

 

 しかし、どれだけ片山に対して申し訳なく思っていても、言葉にしたように今の直樹には頭を下げる以外に方法はなかった。

 

「直樹さん、頭を上げて下さい。それより今後のことです。いずれは海外に逃げるにしても、まずは誰にも知られずに身を隠さなくてはいけません」

 

 どのみち逃げるしかないのだ。まとまった金も必要だ。となれば、若菜が奪った一億円が必須になる。

 

「金は若菜を頼るしかないですね。当座は何とかなるにしても、俺の金なんてすぐに底をつく」

 

 直樹の言葉に片山は軽く頷いた。

 

「まとまった金を用意したいところですが、このご時世、この世界もかつかつでして。私が動かせる金もたかがしれています。申し訳ない」

 

 頭を下げようとする片山を直樹は片手で止めた。

 

「勘弁して下さい。これ以上は片山さんに迷惑はかけられない」

 

「いえ、迷惑とは思っていませんよ。それにこれは直樹さんのためというよりも、私の中では姐さん、杏果きょうかさんのためなので」

 

 そう言って片山は直樹の母親の名前を出した。母親と片山の間で何があったのかは知る由もない。

 

 だが、冷静に考えれば、片山がここまで付き合ってくれる理由はないはずだった。ましてや片山はこの一件で小指を失っている。もう十分に尽くしてくれたといっていい。

 

「身を隠すのなら早い方がいい。二日以内にして下さい。さっきも言いましたが、それ以上はオヤジたちを抑えるのは無理です」

 

「……オヤジたち」

 

直樹は呟くように言う。片山のこの言い方だと、自分たちの身柄を欲しているのは父親の田上巌だけではなくて、腹違いで二歳年上の兄である田上敬一けいいちも絡んでいるということになるようだった。

 

 そうやって呟いた直樹に向けて片山が目を細めた。

「直樹さん、どうやら少し敬一さんを甘く見ているかもしれませんね」

「……どういうことです?」

「この件に関してはオヤジよりも、あの人の方がきっと怖い」

 

 片山はそこまで言うと、少しだけ溜息をついてみせた。そして、気持ちを入れ替えるようにして再び口を開く。

 

「身を隠せる場所なら、私にもいくつか心当たりがあります。受け入れられる段取りができたら、すぐに連絡しますよ」

 

「何から何まで、本当に感謝しています」

 

「後は直樹さんがあの女を説得できるかですね」

 

 片山はそう言って、少しだけ考える素振りを見せた後で再び口を開いた。

 

「もしあの女を説得できなかったら、直樹さんはどうするつもりですか?」

 

 その可能性も頭の隅では既に考えていた。だが、逃げ場なんてない八方塞がりの状況なのだ。今さら、自分の金がどうのとはさすがに言い出さないだろう。既に自分たちの命がかかっているのだから。

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