ビルを出た直樹はそのまま六本木方面に足を向けた。夜は既に明けている。時計を見ると明け方の五時を回っていた。この時間であれば、地下鉄も既に走り始めた頃合いだろうか。
当然、若菜も直樹の隣にいる。ビルの場所は麻布十番駅にやはり近いようだったが、直樹は敢えて麻布十番駅は避けることにした。逃げられたことを知られた際に真っ先に調べられるのが麻布十番駅になる可能性が高いと思ったのだ。
そうだとすれば、やはり六本木方面に向かった方がいいのだろう。六本木であればタクシーも拾いやすいし、都合のいい話なのだろうが片山に助けを求めるといった選択肢も生まれてくる。
そんなことを考えながら直樹は若菜の手を引いて六本木の中心部に続く坂道に辿り着いた時だった。この坂道を登れば六本木通りと交差する外苑西通りにぶつかるはずだった。
直樹の右手には若菜の左手が握られている。その手を引きながら坂の中腹を過ぎた頃、左手にあった細い脇道から二人の男が不意に現れた。
……斉藤。
正に派手な舌打ちをしたい気分だった。直樹はその名を心の中で吐き捨てるように呟く。自分と若菜が攫われた時に新宿にいたはずの男が何で今、ここ六本木にいるのか。たまたまといったそのような都合のいい偶然があるとは思えなかった。
何らかの理由で斉藤たちは直樹と若菜を追って六本木にやってきたのだ。直樹たちに気がついた様子の斉藤は、その顔に何ともいえない嫌な笑みを浮かべてみせた。
「六本木は詳しくねえからよ。狂走会の連中がいる場所を知るのも苦労したんだぜ? やっと奴らの溜まり場が分かってそこに行く前に、てめえらから姿を見せてくれるとはな。どうやらツキがあるらしい。しかし、どうやって狂走会の連中から逃げ出したんだ?」
直樹は黙ったままで、背後で若菜を庇う。相手は二人。若菜を連れているといっても同時に襲われなければ、対処できる人数だ。直樹は軽く握り拳を作った両手を上げて構えをとる。
「ちっ、その構えは空手か? 面倒だな」
その言葉と共に、斉藤は自分の右斜め前にいた若い男の尻を前に押し出すようにして、勢いよく蹴り上げた。
「おらっ、ハジメ! 死んでこい!」
「えっ? ひゃっ!」
奇妙な悲鳴を上げて、たたらを踏みながらハジメと呼ばれた若い男が直樹の前方に寄ってくる。直樹は躊躇なく前蹴りを迫ってきたハジメに放つ。
カエルが潰される時のような声を上げてハジメが後方に吹き飛ばされた。
「最初は前蹴りか下段蹴りだからな。空手使いは動きが読みやすいんだよ!」
直樹のすぐ近くでそんな言葉が発せられた。左手に黒い影がある。直樹は直感的に左手を上げて顔を庇う。
「ばーか。遅いんだよ」
揶揄するような声と共に左の側頭部に衝撃があった。
意識がぷつりと断ち切られる瞬間、背後で若菜の短い叫び声を直樹は聞いた気がした。
……ここは?
直樹は自分が後ろ手に縛られてパイプ椅子に座っていることに気がついた。まだ開けたばかりの視界はぼやけて霞んでいる。
何故、自分がこの状態なのかが分からない。頭の左側がズキズキと不快な痛みを訴えていた。痛みと同時に左側頭部の皮膚がつっぱるような感覚がある。頭部の痛みから察するに、この皮膚がつっぱるような感覚は、何かで出血した血が固まっているのだろうと直樹は思う。
直樹はそこまで考えてると、唐突に意識を失う前の出来事を思い出す。
そう。斉藤と彼が連れていたチンピラに襲われて……。
……頭を何かで殴られて気を失ったということか。
若菜は? 若菜はどこだ?
直樹は左右を見渡す。拘束されているのは後ろ手に縛られている両手だけで、両足は自由に動くようだった。腕だけを縛られてパイプ椅子に座らされている状態だ。
なので後ろ手に腕を縛られてはいるものの、そのままの状態であればこのまま立ち上がることも可能だった。蒲田・川崎狂走会の連中に拉致された時と同じ状況だ。
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