このタイミングでの訪問者に、心当たりなんてあるはずもない。片山に関係した人物と考えられなくもないが、そういった人物が訪問してくるのであれば、それよりも先に片山が連絡をしてくるはずだ。
となれば、若菜を追っている者たち以外には考えられない。どうして居場所が分かったのか。後をつけられていたのか。いずれにしても、今はそれを考えている時ではなかった。
ドアスコープを覗くが、視界の中に人影はない。直樹の部屋は三階にある。自分一人であれば、ベランダ伝いに外へ逃げることも可能かもしれない。
だが、若菜が一緒ではそれも難しい。いや、その前にベランダ下にも見張りがいる可能性もある。逃げ道はないようだった。
「パスポート、後はどうしても持っていかなければならない物を。ここを突破するしかない」
小声で声を発した直樹に若菜が説明を求めることなく頷く。こういう時の若菜は説明が不要で察しがいい。
既に部屋を出る準備はできつつあったので、最低限必要なものをまとめることに時間はかからなかった。直樹は若菜に室内で靴を履くように言い、自身も音を立てないように注意しながら靴を履く。
「……はーい」
直樹はなるべく間の抜けた返事に聞こえるように声をあげた。
「……お届けもの、宅配便です」
抑揚のない声がする。再びドアスコープを覗いてみたが、やはり視界に人影はない。
直樹が背後の若菜に視線を向けると彼女は小さく頷いた。さすがにその顔には緊張の色が浮かんでいる。直樹は音を立てないように鍵を外し、そっとドアの取手に手をかけた。
「あー、今、シャワーを浴びていてー裸なんで、少し待って下さいねー」
そう間延びするような返事をした直後、直樹はドアを蹴りつけた。ドアが勢いよく開け放たれる。
直樹は若菜の片手を握った。不安からか珍しく若菜が直樹の手を強く握り返してきた。直樹は若菜に軽く頷いて外に飛び出した。やはり、ドアの外にはドアスコープの視界から逃れるようにして、身を潜める三人の男がいた。
突如として勢いよく開け放たれた扉に、三人の男は完全に意表をつかれていた。一人は驚きのあまり、尻餅をついている。
直樹は若菜の手を放して、尻餅をついている男の顔面に靴の踵で前蹴りを叩き込んだ。
うぐっ。
不明瞭な呻き声をあげて、男が後方へ倒れ込む。
それと同時に、残る二人の男が直樹に向かってきた。この一連の出来事で彼らが怯む様子はないようだった。トラブル慣れしている。直樹は頭の片隅でそう感じる。
左から掴みかかってきた男の頬を目掛けて、直樹は左肘を真横に振るう。そして正面から殴りかかってきた男には、鳩尾を前蹴りで正確に蹴り込んだ。
肘を頬に喰らった男は前のめりに倒れ込んだ。前蹴りを受けた男は、胃液のようなものを吐き出しながら床に転がる。
「行くぞ」
若菜の片手を再び握って直樹は駆け出す。一階に降りるには、エレベーターか階段のどちらを使うしかない。仮に下にも見張りがいた場合、階段を使えば駆け降りる足音で自分たちの存在がすぐに分かってしまう。
どうせ気づかれるのであれば、扉が開くまで上から降りてくるのが誰だか分からないエレベーターの方が、何かと対処できるかもしれない。
逸る気持ちを抑えて、直樹はエレベーターのボタンを押した。やがて金属が擦れるような音を立てて、三階に到着したエレベーターの扉が開く。
扉が開いたその瞬間、直樹の心臓が凍りついた。エレベーターの中には、ひと目でそれと分かる黒い服を着た三人の男たちがいた。
三人の男たちには気負った様子もなく、場違いなまでに誰もが無表情だった。そして三人の中心にいる四十代に見える細身の男。その手には、黒く鈍い光を放つ拳銃が握られている。
皺ひとつないジャケットの袖口が、自分たちに拳銃を向ける恐怖を増している感じがした。一瞬にして恐怖から口の中が渇き、直樹の背中を冷たい汗が流れ落ちる。
一方で拳銃なんて生まれて初めて目にしたが、何だかオモチャみたいだと場違いな感想も直樹は抱いていた。やがて銃口を向けている男がゆっくりと口を開いた。
「もうええやろ? 追いかけっこは、これで終いや、兄ちゃん」
背後の若菜が息をのんで後ずさる気配があった。気づいたように男が続けて口を開いた。
「何や、その懐? ドス持っとんのか? 素人のくせにけったいなもん、持っとるやないか。ほれ、ゆっくり懐のドスを床に置けや」
その存在を自分でも忘れていたが、確かにジャケットの内ポケットには片山から渡されたドスがあった。直樹は内ポケットにゆっくりと片手を入れて、内ポケットの中でドスを握る。
隙があればとも思いはしたが、銃口をまともに向けられているのだ。下手な真似などできない。しかも関西弁で話す男の目には、不気味なぐらいに何の感情も浮かんでいなかった。
この関西弁から、この男たちは七代目竹名組の人間と考えて間違いない。とうとう本丸が出張ってきたということか。
感情の見えないその目は、直樹が妙な動きをした瞬間に何の躊躇いもなく引き金を引くことを物語っていた。この男が持つその雰囲気は、片山が醸し出しているものと似ているのかもしれない。
蒲田・川崎狂走会の連中と何度も対峙してきたが、そんな半グレのチンピラ連中とは格が違うということなのか。
直樹はゆっくりと懐からドスを取り出す。その間も隙があればと思っていたが、そんなものはどこにも訪れはしなかった。
床にドスを置いたあと、直樹は両手を掲げた。まさか自分が映画やドラマのワンシーンのように、両手を挙げる日がくるとは思ってもいなかった。
吸い込まれそうな気さえする不気味な銃口の黒い穴を見つめながら、直樹はそんな場違いな思いを抱くのだった。
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