——シックザール士官候補生学校 学生舎 06:00
けたたましいラッパの音とともに少女たちは目を覚ます。
「……⁉ ……おはよう、フィサリス」
「おはよう、サルヴィア。少しは起床ラッパにも慣れたみたいだね。あと、昨日はランニングお疲れ様。災難だったね……」
「ほんと、まだ寝足りないくらいだよ……」
少女たちがのんきにおしゃべりに勤しんでいると廊下から革靴でリノリウムの床を踏みしめる音と怒声が響いてくる。マーガレット教官の声である。
一体こんな朝っぱら何なのだろうか何か緊急事態なのだろうか、と二人は訝しむ。
「貴様ら! 寝具を畳み、制服に着替えたのち、部屋前に整列! 何があっても切り上げて、二分以内に整列しろ‼」
「あれ、マーガレット教官の声だよね、早くしないとまた怒られるんじゃ——」
フィサリスが言い切る前に部屋のドアが勢いよく開き、マーガレット教官ではなくガーベラ教官が入り口に仁王立ちして口を開く。
「おい! オマエら何をしている! さっきのが聞こえなかったのか⁉ 早くしないと二分なんてあっという間に過ぎんだぞ! ボサっとしてねぇで寝具を畳め!」
「「は、はっ!」」
いまいち状況が呑み込めない中、二人は急いで毛布を畳む。あまりに急いでいるせいかそれほど綺麗には畳めていない。だが二分以内に着替えて部屋前に整列しなくてはならないのだ致し方ないだろう。
「おい! こんな畳み方でいいと思ってんのか⁉」
ガーベラ教官はそう言うと折角畳んだ毛布を床にぶちまける。
……どうやらこんな状況でもきれいに畳めとのことらしい。
「あぁ……、折角畳んだのに……」
「おい! あと1分しかねぇぞ! もう寝具はいい! とりあえず着替えて部屋の前に整列しろ‼」
「「……はっ!」」
あぁ、クソっ、なんなんだこれは!? 二分で毛布畳んで着替えて整列⁉ ある程度簡単に畳んでいいならまだしも、やり直しだと床にぶちまけられたぞ⁉
心の中でぶつぶつとぼやきながらサルヴィアは急ぎ着替える。ぴっちりとしていて履きにくく、スカートを履くのはなにぶん初めてだったため多少てこずったが、スカートは何とか履けた。
しかし、Yシャツのボタンが焦っていて上手く掛けることができない。
四苦八苦しながらボタンと格闘し、ネクタイを何とか巻き終えたところで
ガーベラ教官がまた怒鳴る。
「もういい! とりあえずそのまま上着羽織って部屋前に整列!」
そう言い残し、ガーベラ教官は部屋を出ていく。
ネクタイだけは巻けているが、Yシャツの襟は立ち、上着は上手く羽織れていないという、何とも不格好極まりないというありさまで急いで部屋の前に整列する。
実はここまでひどいのは自分だけなんじゃないかとフィサリスを見てみたが、彼女も自分と同じ、いや、ネクタイが結べていないという点を見れば自分よりもひどいのかもしれない。サラリーマン時代に脳死でネクタイを巻いていた経験がここで活きたのだ。
部屋の前に出ると他の部屋の同期達も同じようにひどい格好で整列していた。そんな中、廊下の中程にアヤメ、マーガレット、ガーベラの順に教官たちが立っている。そしてマーガレット教官はちらりと全員を見て口を開く。
「……貴様ら! 何だそのありさまは⁉ まともに起床動作もできんのか⁉ この蛆虫どもめ! これから毎朝寝具を畳み、制服に着替えたのち部屋前に整列してもらう! 与えられる時間は二分だ! いいな⁉」
……いくら何でも二分は短すぎるだろ⁉ 無理じゃないか⁉
「……返事は⁉」
マーガレット教官が返事を求め全員に向かって怒鳴る中、フィサリスが手を挙げる。
「マーガレット教官、いくら何でも二分は短すぎるかと思います!」
……おいおいおいおい、言いやがったぞ、こいつ……! 明らかにこの状況で質問は社会人としてアウトだろ!
……いや、今自分たちは10代の子供なのか、……だとしても肝が据わりすぎだろ⁉
「……ほぅ、発言を許した覚えはないが、いいだろう。答えてやる。貴様、名前は?」
「フィサリスです!」
「ではフィサリス、なぜ私達教官がこれほどまでに急かしているかわかるか?」
「……わかりません!」
……おいおい、“わかりません”はマズいだろ。せめて何か考えろよ。
うちのルームメイト、ヤバいわ、肝が据わりまくってる。もはや、頼もしいまであるぞこれ……。
「そうか……、では脳死で何一つ考えず、“わかりません”で済ませる愚かな貴様に教えてやる……。戦場で敵機は二分も待ってはくれないんだ! たった数秒が生死を分けることだってある! そんな極限状態に慣れさせるために急かしているんだ! わかったか、たわけが‼」
「……っ。わかりました! ありがとうございます教官!」
「よろしい。……にしても、何たるざまだ! 最初から期待はしていなかったが、誰一人として制服を着こなして整列している者はいない! ……では、この状況を改善する案を先ほど何も考えず質問したフィサリス……、のルームメイトに聞くとしよう。答えてみろ、サルヴィア!」
はぁ⁈ よりにもよってこっちに来るのか⁈ ……クソったれ‼
何たるとばっちり‼ ルームメイトだからか⁉ ルームメイトだからいけないのか⁉
「どうした? ルームメイトがやらかしたんだ尻ぬぐいは同室の者の責務だろ。早く答えるんだ」
おいおい、連帯責任とはなんと前時代的な……! クソっ、だがやるしかない。
何とかしてこのクソったれな状況を切り抜けよう……!
「マーガレット教官! お言葉ですが少々でいいので思案する時間をいただけないでしょうか?」
「……ふむ、いいだろう。ただし、二十秒だ。それで解決策を出してもらおう」
そう言うとマーガレット教官は腕時計を見始めた。
とにかく二十秒は稼げた。その間に解決策を練らねば……!
まずは無理やり間に合わせるというお粗末極まりない案だが、これは却下。
大前提としてまずは時間配分だろうか? 着替えるのには最悪一分半はいる。では寝具の片づけに三十秒だな。三十秒で片付けるのは流石に無理があるか……? いや、寝る前にある程度片付け易いようにしておけばいいんじゃないか? それだ、寝具の件はそれでいこう。
次に着替えだが、これは常日頃からロッカー内の制服の配置を同じにして整頓し、
あとは休日などの自由時間で着替えの練習しかない——
「……二十秒経ったぞ、では答えを聞くとしよう」
「はっ! まずは時間配分についてですが、寝具の片づけに三十秒、着替えに一分半というのがよろしいかと思われます」
「ほう、ではその時間内にどのようにして間に合わせるんだ?」
「はっ! 寝具の片づけにつきましては就寝前に起床後片付けやすいように準備をします。着替えの件につきましては常日頃よりロッカー内の制服の配置を同じにして整頓し、あとは休日などの自由時間で着替えの練習をするしかないかと小官は考えます」
……どうだ? なかなかいい案だと思うんだが、何とか納得してくれ……!
「ふむ、では今日明日では解決するような問題ではないと?」
クソっ、流石にそこまで甘くはないか! だがいい感触だ相手がこちらの意見に喰いついて質問を返してきている。少なくとも今のところ一蹴するほどひどい案というわけじゃなさそうだ。
「はい、流石に今日明日ですぐに改善することはないでしょう。しかし、何の策を講じないよりも確実かつ迅速に改善していくものかと考えます。」
これでダメだったら流石にお手上げだ、残念ながら自分の脳はこれ以上良い案を出せるほどいいものじゃないぞ……。
「……ふむ、下手な案であれば二人そろってグラウンドを走ってもらおうかと
考えていたが、実に模範的な回答だ。よろしい。貴様ら二人に罰を与えられんのは残念だが、合格だ。
皆、聞いたな⁉ 今後はそのようにして時間通り間に合うよう努力しろ!」
「「はっ!」」
よし……! 何とか切り抜けた! これで少なくとも何も考えられないダメな奴というレッテルを貼られることは免れた……!
「ではこれから寝具の整頓方法及び、制服の着こなし方、その他貸与品の整頓方法について指導する。ガーベラ教官、アヤメ教官、私、で各部屋を回るから質問事項はその際にしろ! 以上!」
「「はっ!」」
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一日かけて部屋内の貸与品の配置場所、制服の着こなし方、上官との会話の際の
話し方、回れ右などの集団行動、敬礼のやり方などの指導が行われた。
昨日までとの変わりようにある者は涙し、ある者はこれが軍隊なのだと受け入れた。
サルヴィアは後者であった。これが運命なのだと受け入れ前世と同じように黙々と
指導をこなしていった。
しかしこんな状況から早く抜け出したいという欲求は日に日に大きくなっていく。
——その日少女は、これから始まる新たな日常の片鱗を味わった。
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