——シックザール士官候補生学校 食堂 1月5日 20:00
つい先ほどまで多目的グラウンドで罰としてハイポートを行い、体力錬成を行わされていたサルヴィアとシティスは自分たち以外いなくなってしまった食堂で二人きりで遅くなった夕食を摂る。
彼女たちの話し声以外に聞こえるのは大型の食洗器がすでに返却された食器を洗い唸る音だけだ。今頃みんなは大浴場で入浴しているころであろう。
汗と泥でぐちゃぐちゃになった運動服を見てサルヴィアはため息をつく。
そんなサルヴィアを見てシティスもため息をつく。大方同じようなことを考えているのだろう。まだたった数日の付き合いでしかないがなんとなくわかるほどに二人は打ち解けていた。
「サルヴィア、また私達だけ遅めの夕食ね」
「あぁ、そうだな。ほんといやになるよ」
「でも、私は以前の生活よりは楽しいとも思うわ。家族で住んでた時はいつも一人で夕飯を食べていたし、父さんと母さんはいつも優秀な妹にお熱で、挙句の果てに口減らしとして私はここに売られたしね……」
シティスは自嘲気味に笑い、己の悲しき過去を語る。
そうか……、こいつそんなにつらい人生を歩んできたのか。
せめて何かもっとましな生活を送れないのだろうか?
あまりにも不憫でならないぞ……
そうだなぁ、食堂に来る途中帰るところが無くてここを辞めれないみたいなことを言ってなかったか?ということは帰るところさえあれば辞めてしまいたいということか。
脱走した後に一緒に住んでしまうというのはどうだろうか?流石に子供といえど二人で働けば食ってはいけるだろう。それにこの世界では幸いなことに子供でも就職できる。どこか片田舎であれば家賃も安いだろう。ちょっと提案してみるか……。
そう考え意を決してサルヴィアは口を開く。
「なぁ、シティスは帰る家が無くてここを辞められないんだよな?」
「そうだけど、それがどうかしたの?」
「じゃあ、帰る場所ができたらどうする?」
それを聞いたシティスの目は希望と困惑がまじったようにきらめき、泳ぐ。
そして覚悟が決まったように重く口を開く。
「そうね……、辞めないと思うわ」
「な⁉ なんで? 正直ここは辛いだろ?」
「確かに辛いし、嫌なことだらけだけど、まだ子供の私には外でやっていける自信はないし、外に出てもさらに悪い状況になることだってあるもの。それなら、まだ安定している今の方がましね」
「そっか、わかった。変なこと聞いてごめん」
……クソ。勧誘は失敗か、二人であればもっと楽に生活できたかと思うんだが……。
仕方ない。彼女が残りたいと考えるのであればその考えを尊重しよう。
それが何より彼女のためだ。それに自分は善意の押し売りをするクズにはなりたくないしな。
その後、時計を見て入浴の時間が無くなりかけているということ悟った二人は勢いよくスープを飲み干し、主食のたいして美味くもない、むしろマズいまであるパンをその小さな口にねじ込み共同浴場へと走る。
そして最低限汚れと汗を流し、急いで浴場を後にした。
残念ながら、今日も疲れは流すことはできなかったようだ。
・
・
・
——同所 学生舎 同日 22:30
静かになった学生舎に消灯ラッパが鳴り響く。これから朝の起床ラッパがけたたましく鳴り響くまでは日中の騒がしさが嘘のように静かになる。
先ほどまでの喧騒もとうに消え失せ、真っ暗になった部屋からはフィサリスが翌朝の起床動作のためにシーツを畳みやすいように整えている衣擦れの音が聞こえる。
その音が聞こえなくなったころ、次は規則正しい呼吸音が聞こえてくる。フィサリスも疲れているのだろう。一分と待たずに眠ってしまったようだ。サルヴィアも今日はくたくたでとっとと寝てしまいたかったが、眠るわけにはいかない。
——なにせ今日自分はここから脱走するのだから。
・
・
・
——同所 同日 01:30
廊下からの足音も聞こえない。フィサリスもぐっすり眠っている。一度部屋を出ようとしたときに寝言で彼女が自分の名前を呼んだときはかなり焦ったが、もう大丈夫だ。——やるなら今しかない……!
この施設、学生舎は大まかに言うと病院みたいな作りとなっている。上空から見ると大文字のHを横にしたような形だ。
当直教官室とトイレはちょうどナースセンターのあたりに位置していると言えばよいだろうか。
最悪、当直の教官に見つかっても「お手洗いに行こうとしていたんです」と言えば何とかなる。これは以前本当に深夜お手洗いに起きた時、当直だったガーベラ教官に見つかり問い詰められた際、そう言って納得してもらえたため実証済みだと言える。
しかし、学生舎から出た後に見つかれば後は逃げるしかない。なんせこんな深夜に外に出る理由なんて——脱走か夢遊病患者だからという理由以外無いのだから。
だが、以前トイレついでにチラッと外に出てみたことがあったがまったくばれなかった。軍事施設としては異例だが中に対する監視の目はかなりザルだと言えるだろう。
覚悟を決め、サルヴィアは自室のドアを開く。キィーッという木がきしむ音が廊下に響く。扉から顔をのぞかせ廊下を見ると誰もおらず、最低限のライトしかついておらず少々不気味な廊下が続くだけであった。
そこから学生舎入り口までは簡単だった。
さらにそこから誰にも見つかることなくすんなりとグラウンドまで来ることすらもできた。やはり中に対する監視の目は甘い。
ここまでくればあと少しだ。目の前にはうっそうとした森が広がっている。真っ暗で不気味であること極まりないが、行くしかない。ここまで来たのだ。
すぐ目の前にある自由というあまりに甘美なものにサルヴィアの口角は自然と吊り上がる。ようやく解放されるのだと感傷に浸り、喜びのあまり叫びたい気持ちを必死で抑える。
しかし、そんな油断しきったサルヴィアに聞きなれた声がかかる。
「おい、貴様どこへ行く?」
はっ、と後ろを振り向くと獲物を前にしたオオカミのような顔でこちらを見据えるここに連れてきた張本人——マーガレット教官が立っていた。
冷汗が止まらない、心臓は機関銃のように脈打っている。
……ヤバイ、ばれてしまった。
つい先ほどまで自由を目の前に感傷に浸っていた自分はどこへやら。やってしまったという後悔、またしてもこいつのせいで地獄に叩き込まれるのかという憎悪、様々な感情が入り乱れ、サルヴィアの顔は引きつる。
「どこへ行くのかと聞いているんだ、サルヴィア学生。今ならまだ間に合う。今すぐ自室に戻れば今日のことは見なかったことにして、上にも報告せず、同期にも言わないでやる」
……嘘だ、絶対に嘘に違いない。ここに連れてこられた時も騙されているのだ。もう二度目は騙されない。しかしなんだ? 教官の手が心なしか震えている。それにどこか表情にも悲壮感を感じないこともない。
……いや、勘違いだろう。手が震えているのは怒りのせいで、表情はこんな闇夜だ見まがうこともあるだろう。幸い自分と教官との距離は十メートルは離れている。走って森の中に逃げ込んでしまえば小柄な自分に有利だ。行くしかない……!
そしてサルヴィアは森に向かい駆け出す。
「おい! 待て、サルヴィア!」
後ろからマーガレット教官の怒鳴り声が聞こえる。十中八九追ってきている。しかし森は目の前このままいけば確実に逃げ切れる……!
森に入ってしまえばあとは木々を縫うように走って町まで逃げ切ろう。そのあと孤児院なりなんなりを探せばいい、きっと何とかなる。少なくともここよりはマシなはずだ。
「まて! 待つんだサルヴィア! 森には入るんじゃない!
……ダメだ、待ってくれ!」
教官が叫んでいる。最後の方はこちらに話しかけているようには聞こえなかったが、知ったことじゃない。もうすぐ自分は自由になれるんだ!
「おい! 頼む、待って、待ってくれ! ちゅ——」
ヒュッという音が聞こえたかと思うとサルヴィアの視界は暗転する。
・
・
・
——けたたましい起床ラッパの音が鳴り響く。
……何だ自分はさっきまで森に向かって走っていたはず。なのにどうして
——自分はベットの中にいるんだ?
「サルヴィア、ほら早く! 寝具畳んで、着替えなきゃ!」
「……えっ? あ、あぁ」
何だ⁉ 何が起きた⁉ 確かに自分は逃げていたはずだ。夢か? 夢だったのか⁉
いや、あんまりにもリアルすぎる、夢じゃないだろう。とりあえず今は着替えて整列せねば……!
その後サルヴィアは一日を通して驚愕する羽目となる。
——その日、少女は輪廻の渦に片足を踏み込んだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!