——時はサルヴィアが孤児院についたところまで遡る。
「ついたわよ」
カーナビに道すらも表示されないような山奥の施設にたどり着きマーガレットは車を駐車する。
「随分と町から離れた所にある孤児院なんですね」
「そうねぇ、やっぱり都会なんかにあるとあぶないからね。多少不便だけど仕方ないのよ」
「はぁ、なるほど。そんなものなんですね」
あの街はそんなに危ない街だったのだろうか?よくある地方都市という感じだったが。
——彼女に連れられ、しばらく歩くと、校門のようなものと、検問が見えてきた。警備員もライフル銃を持っている。孤児院にしてはあまりにも過剰な警備だ……。
大企業の孤児院だとこんなものなのだろうか?
「お疲れ様、はいこれIDカード」
検問に差し掛かるとマーガレットはIDカードを警備員に差し出す。
「お疲れ様です‼ ——IDカードの方は大丈夫です。お返しいたします。一応、お連れのお子さんについて質問よろしいでしょうか?」
「あぁ、この子はサルヴィア、昨晩上層部に話を通したからまだあなたには伝わっていないのかしら?」
「いま確認いたします。少々お待ちください」
……どう見ても警備の人はマーガレットさんより年上である、いくら何でもかしこまりすぎではないだろうか? それともマーガレットさんは想像していたよりかなり高い地位にいる人なんだろうか?
「——大変お待たせいたしました。ただいま確認が取れました。」
「ありがと、ちゃんと確認出来てなによりだわ」
「それと、サルヴィア“様”、こちらが貴女の仮の身分証になります。正式な物が渡されるまでこちらをお使いください。」
「え……、あぁ、ありがとうございます」
子供の自分に様付けは少し驚いたが、この人は誰にでも丁寧な対応をする人だったらしい。
——綺麗な敬礼をする警備員を横目に私達は施設の中へ進む。
門の外からも気になっていたが、広い……、実に広い!
孤児院にしてはデカすぎる国会議事堂のような建物の他に、学校の校舎みたいな
建物、グラウンドすらもある。まるで大学のようである。
……だが、あれはなんだろうか?
デカい倉庫、いや、格納庫か? そしてその前には道路? 道路……だろうか?
道路にしてはやけに広い気もするが……。
「まあ、そんな反応になるわよねぇ」
「え、えぇ、これはかなり驚きました。やはり大企業ともなるとこんなものなんですかね?」
「そうねぇ……、まあ、そんなものかしら。それより、これからもっと驚くものを見れるわよ」
彼女はそう言うとおもむろに自身の腕時計を見る。
「ほら、あの倉庫のような建物をみて?」
建物の前面が横にスライドし、——中から孤児院に似つかわしくないものが顔を見せる。
「なッ⁉ なんですかあれ⁉ プロっ、プロペラ機!?」
「そうね、プロペラ機よ」
マーガレットはいたずらが成功した子供のようにニヤリと笑い、そう言った。
「いや、いくら何でも孤児院に飛行機はいらなくないですか?!」
「ここはあなたたちを住まわせるだけじゃなくて、職業訓練施設としての側面もあるの」
「な、なるほど……?」
「近年うちの会社、R&Hインダストリーは空軍にも力を入れ始めたって言ったじゃない?航空力学の勉強もできるようになっているの。」
孤児院から航空力学……。子供の時から航空エンジニアの専門教育をするのだろうか?
あんまりにも焦りすぎではないだろうか、この会社はどれほど航空機で後れをとっているのだろうか……。
……いや、おかしい、たった今立派なプロペラ機が飛び立とうとしている。
ジェット機の知識しかない自分には詳しくわからないが、あの機体が美しい造形をしているというのはわかる。
元居た世界のゲームでは強い機体は往々にして美しかった、もし仮にそれがゲームの中だけじゃなかったら、あれはなかなかの航空機のはず……。
航空エンジニアはある程度間に合っているんじゃないだろうか?
「さぁ、呆然とするのはわかるけど、これから二人で此処のお偉いさんに挨拶をしないといけないから行きましょう?」
「え、えぇ、すいません。あんまりにも設備が充実しているので……」
「私もここに着任したときは驚いたもの、そうなるわよねぇ」
・
・
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……おかしい、おかしすぎる。……何かヤバい気がする。さっきから脳内では警報が鳴りっぱなしだ。
——議事堂のような建物の中、人とすれ違う度に感じる違和感にサルヴィアは焦りまくっていた……。
それはそうだ、なにせすれ違う人々が皆——軍服に身を包んでいるのだから。
焦る要因はそれだけではない。ほとんどの人がマーガレットに対し「お疲れ様です!」と威勢よくあいさつし綺麗な敬礼をするのだ。
それに対し彼女は「お疲れ様」と軽く返すだけだ。確定だ、この人はかなり偉い人なんだろう。
……今までの態度は大丈夫だったか⁉ 何か失礼は無かっただろうか⁉
「——よっ!」
軽快な声が無機質な廊下に軽く響く。
「やぁ、お疲れ」
それに呼応するようにマーガレットも親しげに挨拶をする。ようやく彼女に近い地位の人間が現れた。彼女と同じくらいの歳の女性が二人いる。
もしかして、R&Hインダストリーの幹部なんじゃないかと不安だった。これくらい同僚がいれば流石に専務クラスということはないよな……。
——ただ、この人達が軍服を着ていなければもっと安心だったんだがなぁ……。
「よう、嬢ちゃん名前は?」
二人の中の快活そうな女性が急に話しかけてくる。
「サルっ、サルヴィアです!」
「サル・サルヴィアか!なかなか面白れェ名前だな!」
「サルヴィア、ではないですか?知恵・賢さという意味を持つ……」
「はいっ、そうです、少々緊張してしまって……」
眼鏡をかけた知的な感じの女性がフォローを入れてくれた。いかにもキャリアウーマンという感じだ。
普通のキャリアウーマンは軍服など着ないが……。
「『ガーベラ』、あなたはいろいろと雑なんですよ、だからこの子も畏縮して噛んでしまったじゃないですか」
「かぁーっ! やっぱ東洋人は真面目だねぇ」
ガーベラと呼ばれた女性はそう言い額に手を当ておどけて見せる。知的な女性は一瞬顔をしかめるとサルヴィアに向き直り優しい笑顔で話しかける。
「初めましてサルヴィアさん、私は『アヤメ』ここで座学を教えています。そしてこのガサツな人はガーベラです。貴女はこんな大人になってはいけませんよ」
アヤメはニヤリと笑いガーベラを一瞥する。それを受けたガーベラは参ったと言わんばかりに肩をすくめた。二人とも悪い人ではなさそうだ。
「初めまして、アヤメさん、ガーベラさん。本日からここに住まわせてもらうサルヴィアです。よろしくお願いします!」
「おぉ、悪くねぇ元気な挨拶じゃねぇか! ちっと大変かもしれんが、がんばれよ、サルヴィア!」
そう言い残して二人は廊下の奥に消えていった。
「——あの二人は幼い時からの友人なの、ガーベラはいろいろと雑だけど悪い奴じゃないから安心してね」
そうマーガレットがサルヴィアに話しかける。
「じゃあ、お偉いさん達に会う前に私ちょっと着替えるから部屋の前で待っててくれるかしら?」
「……わかりました」
……いや、おかしい。今のままでもある程度フォーマルな恰好だろ。
もしかしてスーツか? そうだよな⁉ そうであってくれ……!
・
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「お待たせ、じゃあ行きましょうか」
——あぁ、あぁ……、やっぱりそうか、なんとなくわかってたさ。
そうだよなぁ、軍服だよなぁ。だってみんなそうだもん……。
ということはこれから会うお偉いさんも、……はぁ。
コーヒー豆をダース単位で嚙み潰したような顔でサルヴィアがこれから会う人間のことと己を待つ運命を考えている間に、気づけば彼女とマーガレットは重厚な木製扉の前にたどり着いていた。
「ちょっと待ってね」
そう言うとマーガレットは近くの窓を鏡代わりにネクタイと襟を整え始めた。
あぁ、クソっ! 嫌な予感しかしない……。わざわざもう一度身だしなみを整えるなんて今から会う人がかなり偉いということじゃないか……!
胃に穴が開きそうだ……、それも『バイカル湖』級の広く、深い穴が……!
「よしっ、じゃあ私の左後ろをついて立っててね。何か聞かれるまでは何も話さなくていいから。入室の挨拶も貴女はしないいいから」
そう言い彼女は扉の前に立って三回ノックする。
「入れ」
部屋の中から低めの女性の声が聞こえるとマーガレットは扉を開け一歩部屋に入り、カツンッと革靴のかかとを鳴らして気を付けの姿勢をとり、口を開く。
「第113訓練飛行中隊、マーガレット少佐、以下一名は召喚に応じ面接に参りました‼」
……。は……? あまりの威勢の良さにもビビったが、今なんて? 少佐⁉ この若さで⁉ どう見てもまだ二十代前半だよな……。
「うむ、その子が例の子かね?」
「はっ! 昨晩お伝えしたように知性も高く、大変冷静です。小官は推薦に値するものかと考えます!」
そしてマーガレットの上官と思しき女性がこちらに目を向ける。
「君、名前は?」
「はっ、はい! サルヴィアです!」
「……苗字は?」
「お恥ずかしながら、生まれた時から昨日までの記憶がなく、この名前もマーガレットさんにつけてもらいました!」
「なるほどな……」
よしっ、最初少し噛んだが言い切った、言い切ったぞ!
「ふふっ、“マーガレットさん”か、随分と懐かれたようだな、少佐」
「はっ!小官としても嬉しい限りです!」
ニヤリと笑うお偉いさんと違い、マーガレットの表情は硬いままだ。
「では、サルヴィア、君の趣味……、いや記憶が無いのだったな。あればでいい、好きなことはあるか?」
「好きなことですか……」
好きなことかぁ、就職してから仕事のことしか考えてこなかったからなぁ。学生時代はフライトシューティングゲーなんかにのめり込んだけど……。
あぁ、そうだ小さいときは空が好きだったっけ……。
「空を……、空を見ることです」
「……空をか、なかなかいい趣味をしているな。それならここでもできるだろう」
そう言うと彼女は執務机から一枚の紙を取り出してこちらに向き直る。
「さて本題に入るが、君にはこれに署名してもらう」
「……これは?」
「ここ、“シックザール士官候補生学校”に入るための宣誓書だ」
……は? 士官候補生学校⁉ イヤイヤ、この歳でか⁉
そしてゆくゆくは軍人ということか⁉ 体感でつい数日前に死んだというのに神は私にまた死ねと言うのか⁈ お断りだ! 絶対に署名せんぞ、こんなもの!
「あの、ここが孤児院だと聞いて来たんです。軍事施設とは知らなくて、だから大変申し訳ないのですがお断りさせていただけませんか?」
お偉いさんは、「あぁ……」と呆れたかのように言い、マーガレットに向かって口を開く。
「……少佐、詐欺まがいのことはやめろと言ったはずだが?」
「はっ、ですがこの少女は年の割には異常なまでに聡明で、士官の素質があり、わが社において有益な存在となると小官は考えます」
「……はぁ、貴官がそう言うのならばそうなのだろう。だが、ここに残るかは彼女次第だ。いいな?」
「はっ!」
……クソっ騙された! だが最終的な意思決定権はこちらにあるようだ。とっととこんな詐欺師とはおさらばしよう!
「で、どうするかね? サルヴィア君」
「お断りさせていただきます。」
「そうか、分かった。最後に質問させてもらうが、ここに来るまで目隠しなんかはされたかね?」
「……してないと、どうなるんですか?」
「ここまでの道のりが少なからずわかるだろう? ここは機密施設でね、道を知っていて署名しないのなら君を処分、つまり“銃殺刑”に処さねばならない」
……は? 銃殺刑⁉ じゃあここに入るか死ぬかの二択なのか⁉
ふざけんな‼ そんなのあんまりじゃないか⁉
「……その反応を見るに、目隠しはなかったようだ。そうかね? 少佐?」
「はっ! 小官のミスで目隠しを忘れておりました。大変申し訳ありません」
何が「ミスで付け忘れた」だ! 絶対わざとだろ⁈
「……はぁ、そういうわけだ。すまないがここに入るか、死ぬかの二択になった。
本当に申し訳ない」
・
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——あの後私は悩んだ末に、心の中で神とあの女にあらん限りの罵倒を浴びせ宣誓書にサインした。……畜生‼
部屋を出ると自分をこの状況に追い込んだ張本人が話しかけてくる。
「じゃあ、正式にここに入校したということで、私のことはマーガレット少佐と呼ぶように、分かったな?」
「……っ、わかりました、マーガレット少佐」
「では、改めて……。私は貴様が所属する第113訓練飛行中隊の主任担当指導教官のマーガレット少佐だ。よろしく、サルヴィア学生」
——その日ニヤリと嗤う憎たらしい顔を前に少女は信仰心を投げ捨てた。
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