その少女、異界の空にて奮戦す

社畜のオッサン、女児になって戦闘機パイロットになる
稲荷狐満(いなりこみつ)
稲荷狐満(いなりこみつ)

第零章 変わる日常、始まる非日常

第1話 その男、少女になる

公開日時: 2023年3月3日(金) 07:43
文字数:6,214

 その男は幼少期から空が好きだった。

 将来は戦闘機のパイロットになるんだなんて話し、周りはそれを微笑ましく見ていた。


——しかし年を追うごとに周りの目は厳しくなる。


「そんな夢を追うくらいなら大学に行って普通の暮らしをしなさい」

「そんな危ない仕事はやめて頂戴」

「お前のような普通の人間には無理だ、すぐにやめるに決まっている」

「普通の生活が一番」


 などと話すようになる。


 かつて少年だった青年は己の夢が愚かだと考え、その夢をドブに投げ捨てた。

 そして周りの言う普通になることを選択した。

 努力して国公立大学に進学し留年することもなく無事に卒業、同期の中でも割と早く就職先を見つけ、親が話す安定した普通の暮らし、普通の幸せ、世間の言う普通を手にしたはずだった…………。



「——はい、本当に申し訳ありません」

 今日も感情を殺しお馴染みの定型文を吐き出しながら今は懐かしき青春の時代よりもはるかに価値が下がった頭を下げる。


 今日も今日とて残業、言うまでもなくサービス残業である。

 我ながら自分の無能さとこのブラックな会社に就職してしまった運の無さに驚かざをを得ない。


 夢を捨てて手に入れた普通、しかし普通とはこれほどまでに辛いものなのだろうか……。


 このまま帰って、養分を口にぶち込み、シャワーを浴びて泥のように眠る。そしてまた社会の歯車として生きる。このルーティンを繰り返すだけの人生。


 学生だった時には数少ない友人と駄弁り、己が生きがいであるフライトシューティングゲームにのめり込んだものだった。

 そんな些細な幸せだと思っていた時間は今やどんな黄金よりも価値が高騰していた。


 どうやらこの普通な世界はこの憐れな男から生きがいの時間すらも奪ってしまうらしい——。

 

 なんて小説みたいに心の中で愚痴ってもなぁ……。


 誰もいなくなった駅のホームに一つのため息が響く。



 最寄り駅で降り改札を通り抜ける、我ながら洗練された動きだ。

 仮に『改札をスマートに抜ける選手権』なるものがあれば優勝できるんじゃないだろうか……。


 そんなしょうもないことを考える、こんなことを考えたって消えた時間は帰ってこないというのに。


 見慣れた冷たい光を放つ街灯の下を歩く、いつもと違う点といえばこの時間帯には珍しい自分以外の歩行者がいるという点であろうか。

 コンビニに何か買いに行くのだろう自分のようにくたびれ、下を向いて歩く普通の人間だ。


——それがただの普通の人間であればどれほど良かったか。 


「熱っ!?」


 何が起きた?目の前にはただのフードをかぶり赤いナイフを持つ男がいる。何の変なこともない。最近は赤いオシャレなナイフだってあるだろう。というかむき身でナイフは銃刀法違反じゃないか。こいつは警察のお世話になりたいのだろうか? 


 それにしてもさっきから腹が焼けるように熱い、腹に手を当ててもただ手が真っ赤になるだけ、そう、それだけ……。


 そこから状況を理解するのは早かった。刺されたのだ、目の前の男に刺されたのだ。刃物で刺されると熱いと聞いたことはあるが……。


「あうっ……、あぁ、ああぁ……」


 声にならない声を上げて血だまりの中にうずくまる。自分の鼓動に合わせて今になって波のように痛みがこみあげてくる。


 どれほど経っただろうか、1時間? 30分? もしかしたらまだ数分かもしれない。しかし暖かかった身体からはとうにぬくもりは消え、同じように痛みも消えた。


 代わりに男を味わったことの無いような寒さが襲う。季節はまだ秋のはじめ、そんなに気温は低くはない。否、寒いのは身体ではなく魂の方なのだろう。


 寒い、寒い、寒い。まだ死にたくない、些細な幸せすらも手にしていないじゃないか。普通に生きていただけなのになんでこんな……。


あぁ、せめて最期くらいあったかい部屋でゲームをしたかった……。


 大きく開いた瞳孔で己が内部にあったであろう赤い液体を見つめ、男だったものは微かに残る心の中でそう独りごちた——。



 あぁ、寒い、寒い、寒い、肌を刺すような寒さだ。死んでしまったのだろうか……。いや……、いや違う!本当に寒い!


 寒いし何よりも冷たい、まるで自分の手に雪が乗っているかのように……。

 否、本当に雪だ、冷たい。このままではしもやけになるのは間違いないだろう。しかし季節はまだ秋口、雪が降るには早すぎる。


 しかし空を見れば冬の空、自分が愛していた空の一表情の一つだ。

 そんなことよりなぜ冷たさを感じられるのか、自分は確かに死んでしまったはず。しかし手も足もある。己が足で地面に立っている。


 そしてここはどこだろうか高層ビルはあるにはあるが自分の知るものと比べると少々低い、何よりガラスの面積が少ない。まるで大正時代の建物をそのまま上に伸ばしたかのようなそんな建物ばかりだ。


 そんなあたりを見回す自分を道行く人間はまるで子供を見るような温かい眼差しで見つめる。


 おかしい、自分の知る普通の人間はここまで他人に関心を示さなかったはず。なにより、目線を上げないと人の顔を見ることができない。自分は平均的な身長だったはずなのだが……。


「ねぇ、お嬢ちゃん、大丈夫?お父さんかお母さんはどこかな?もしかしたら、はぐれちゃったのかしら?」


 優しそうな女性だ、しかし自分が親同伴で歩かねばならない年齢に見えるのだろうか、もうアラサーだというのに……。


…………この人は今なんて言った? お嬢ちゃん? オジョウチャン!?


 それは自分の知る限り年端もいかぬ女の子に使う呼び方のはずだが……。


「いやっ、あの僕は女の子ではないのですが」


「あぁ、ごめんなさいね! 男の子だったのね。ところでそんな薄着で寒いでしょう? 私の上着でよかったらとりあえず着て? そこの公園でお父さんかお母さんを一緒に待ちましょう?」


「ありがとうございます。その、親切にしてもらってありがたいのですが自分はもう子供ではないのですが……」


「ふふっ、そうよねぇ、もう大人だもんね、でも一人じゃ危ないからお姉さんと一緒に待っていましょう?」


 なんだこいつは、上着はありがたいがこれほどまでに子ども扱いされるのは心外極まりないのだが。

 にしても身長の高い女性だ2メートルはあるんじゃないか? それどころか道行く人間もそれくらいあるぞ……。


 まるで自分だけ小さくなったみたいだ。


……いや、自分が小さくなってる。間違いない!

 それどころかずいぶんと身体が華奢になっている。まるで女の子のような……。

 いや、どう見ても女児の身体じゃないか?!


「はっ?! なんで? ど、どういう……」


「どうかしたの? まさか何か大切なものでも失くしちゃったの?」


「あの、その、すいませんちょっとお手洗い行ってもいいですか?」


「えぇ、トイレはあそこだからいってらっしゃい」


 とりあえず、男子トイレの個室に入ろう、そこでいろいろと確認しよう。この際子供になったとかはもう諦めるしかない。

 どうみても女の身体だが、じつは男の子です。なんて可能性もあるかもしれない。   


 あってほしい、頼む、あってくれ————。



「……はぁ」

 個室トイレに一つのため息が木霊こだまする。


 結果から言うと、完全に女性の身体になっていた、それも女の子だ。それもぱっと見る感じ10歳くらいだろうか。

 せめて大人であればある程度どうにかなるのかもしれないが……。


「ははっ、まさかあの人の言う通りほんとに大切なモノを失くしているとは……。冗談じゃないぞ……」


 いくら天を仰げどもこれからどうすればいいかなんてわからないし、こんな展開にありがちな神からの啓示とやらもない。

 ただ自分の口から吐き出される『ため息と絶望の混合物』が返ってくるだけだ。


 さて、これからどうしようか、この世界には知り合いもいないどころか、この世界の知識すらも無い。このままあの人とこっちの世界の親を待ってみて現れる親に頼るのが最善だろうが、本当に親がいるという保証はどこにも無い。


——つまり、今の自分を表すならば孤児であろう。

 

 ある程度文明が発展しているのならば孤児院くらいはあるはずだ。

 これは最善とは言えないが雨風をしのげる寝床と最低限生きるのに支障のない食事は確実に確保できるんじゃなかろうか?


 しかし孤児院出の人間に優しい世界なのだろうか?

 孤児院から売り飛ばされるなんてことも考えられないわけではない……。


 ダメだ、あまりにも情報が無さすぎる……。

 とりあえず現状すべきは情報収取だろう。幸いにも外にはあの女性がいる。自分に記憶がないということにしてあの人にこの世界のことについて聞いてみることにしよう。今後のことはその後から考えるしかない。


「あら、お帰りなさい。」


「あの、もしお時間があればでいいんですけど」


「ん? 家に帰る途中だったから時間は大丈夫だけど、どうかしたの?」


「この世界のことをある程度でもいいので教えていただけないでしょうか? 自分で言うのも変なんですが生まれてからの記憶がほとんど無くて、親が本当にいるかもわからなくて、お姉さんが良ければでいいので教えてくれませんか?」


「そうなのね……、わかったわ。でも外は寒いでしょう?だからとりあえずどこか屋根のある所にいきましょ。私の家が近くにあるからお嬢ちゃんが良ければだけど私の家に来ない?」


「わかりました。本当に何から何までありがとうございます。」


 斯くして社畜だった男は少女として優しい女性の家についていく。


——?年?月?日 夕方 優しそうな女性の家



 あの女性、マーガレットさんから聞くには、この世界は元居た世界に近いということ、技術的な水準も元居た世界に近いということ(スマートフォンのようなものを見せてくれたポーターと言うらしい)、しかし元居た世界と決定的に異なるのは


——戦争がエンターテインメントになっているということ


 この世界では国家間の戦争がない代わりに企業がお互いの株をかけて見世物の戦争として放送しているとのことだった。

 しかし今では小さな企業は大きな企業に吸収され、二つの企業の勢力が均衡している。

 

 一方の企業を『R&Hインダストリー』もう一方を『舩坂重工業』というらしい。R&Hインダストリーは元は自動車企業ということもあり陸軍は特に有名で機甲部隊による電撃戦は圧巻なのだという。


 航空機の有用性が確立されてからは航空機産業にも力を入れ、自動車エンジン製作のノウハウを活かした最高速度、加速力ともに優秀な航空機が登場してからは空軍も注目されるようになった。


 一方、舩坂重工業は元は造船会社で海軍が強く、史上最大の戦艦『東雲しののめ』を旗艦とする第一艦隊による一斉射撃は世界の青少年の心を惹きつけてやまない。


 また、航空機の有用性を示したのもこの海軍らしく航空母艦の初登場となった『ブレン沖海戦』では空母機動艦隊による一方的な攻撃によりR&Hインダストリー海軍は大打撃を受けるとともに世界に航空機の時代の到来という衝撃を与えた。


 ここの航空機は、繊細かつ美しい機体でエンジンパワーは劣るものの優れた機体設計による圧倒的な航続距離、格闘性能を武器にした空戦は美しくパイロットは女性限定ということもあり、少女たちの憧れの的なのだという。


 世界地図は元居た世界に酷似しており、今いる地域はR&Hインダストリーの支配地域の『シックザール』という地域で、元の世界の『ダンツィヒ』のあたりに位置しているようだ。

 企業の支配地域の境界線に比較的近いため軍事拠点もあり、以前は戦場として選ばれたことすらある。


 そして今は太平暦1722年11月1日だという。太平暦というのは国というものが消滅し、その時から見世物の戦争で人々は満足するようになり、平和になったから太平暦というらしい。


——以上がたった今得た大まかなこの世界の知識だ。


 戦争がエンタメとして確立しているというのは驚きだが、マーガレットさんの口ぶりから判断するに前いた世界でいうスポーツと同じ感じなんだろう。


——本当に人が死ぬということを除けば。



「本当に行ってしまうの?私は子供一人くらい養えるし、残念なことにまだ独身だから一緒に暮らしてもいいのよ?」


「お誘いは大変ありがたいのですが、流石にそこまでお世話になるわけにはいきません。お気持ちだけありがたく受け取らせていただきます」


 確かに魅力的な提案だが、さすがにそこまでお世話になるわけにもいかない。

 そして何よりいまだ女性としての在り方に慣れない自分では理性と本能が企業間戦争よりも激しい戦争を繰り広げるのは明白だ。


「……その、孤児院に行くんだったら、子会社の孤児院よりも親会社のR&Hの孤児院に行ったらどうかしら?入るのには社員の紹介がいるんだけど、私これでもR&Hで働いてるから紹介できるわよ」


「え⁉ いいんですか⁉ でっ、でも、曲がりなりにも大企業の孤児院ですよね、自分がそこに入る資格とかがあるとは思えないんですが」


「そこは大丈夫よ、私こんなだけど孤児院ではある程度重要なポストについているのよ、だから大丈夫。そしてさっき資格がないかもなんて言ってたけど、ここまで会話してきたところから判断するにその歳の割には随分と聡明だってわかるわ、資格は十分すぎるくらいよ」


 何たる僥倖ぎょうこうっ! 今までたいして神様というものを信仰したことはなかったが、今ばかりは信仰せざるを得ない!


「ありがとうございますっ!是非よろしくお願いします!」


「わかったわ、お姉さんに任せなさい。孤児院の方には私から紹介するわね、大企業というだけあって設備は随一だから安心してね。それと記憶がないということは自分の名前もわからないのよね? 新たな門出の餞別せんべつじゃないけど、娘ができたら付けようと考えてた名前があるんだけど、どうかしら?」


「そうですね……、もう自分の名前も覚えてないですし、ありがたく使わせていただきます!」


 折角親が付けてくれた名前を捨てるのは申し訳ないし、この上なく嫌なのだが、こんな西洋風の世界で純ジャパニーズな名前名乗るのは浮くだろう、人種差別なんかがあったらたまったもんじゃない。

 新しい人生ということでありがたく使わせてもらおう。


「了解よ、じゃあ発表するわね、——『サルヴィア』……どうかしら、気に入ってもらえるといいのだけれど」


「サルヴィアですか、とてもいい響きですね!これからはその名前を大切に使わせていただきますね!」


「気に入ってもらえてよかったわ、ちなみに名前の意味だけど、知恵、賢さなんて意味があるの、あなたにピッタリね!」


 知恵、賢さなんて意味があると少し照れるがこの名前に恥じない人間として生きていこう!



——何故だ、どうしてこうなった……。

 何がいけなかったんだ……。


——クソっ! こんなことになるなんてきいてないぞ⁉ 

 確かに設備は良い、『この上なく良い』だが、——そうじゃないだろ⁉

 設備は設備でもこれは、


————『軍事設備』じゃないか!


 確かにあんまりにも旨い話だとはおもったさ、ただマーガレットさんが良いポストに就いてるっていうから、(神はいるんだなぁ……)なんて考えてついてきた結果これだ。


——ふざけるな‼


 いっつもこうだ! ついてるなぁ……なんて考えてると途端にドン底にぶち込まれる!

 何が『神様はいるんだなぁ』だ! 数日前の自分の脳天カチ割って脳漿のうしょうをぶちまけてやりたいくらいだ! クソッたれ‼


——その日、かつて普通の男だった少女は広いグラウンドの外周を走りながら、つい最近手にした信仰心をゴミ箱に投げ捨てようとしていた。

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