——シックザール士官候補生学校 学生舎 1月5日(5回目) 06:00
けたたましい起床ラッパの音が学生舎に響き渡る。
まただ、またダメだった。何度やっても、アプローチの方法を変えても森に足を踏み入れた途端に視界は暗転し、この1月5日の朝に戻されてしまう。
「——我が中隊は、一時間目に近接戦闘訓練があるため朝のハイポート後は急ぎ多目的グラウンドに集合せよ。以上、解散!」
もう5回目にもなる朝の訓示を聞く。もはや暗唱すらできるのではないかというほど聞いた訓示はサルヴィアがいまだに繰り返しの渦から逃げ出せていないという現実をまざまざと突き付けていた。
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——同所 多目的グラウンド 同日 08:00
「んじゃあ、サルヴィア、お前が見本だ。アタシの相手役を務めてもらう。子供だからって手加減はしねェ。お前も本気でかかってこい!」
「はっ!」
サルヴィアは模擬戦用ナイフを握りしめガーベラ教官に向かい突撃する。教官はそんなサルヴィアの手首を掴み、無力化しようと手を繰り出す。しかしサルヴィアは手首を掴まれぬようひっこめ、腰を急速に落とす。サルヴィアの手首を掴まんとしていた教官の手は空を切り、その隙に後ろへ回り、教官の首筋に模擬戦用ナイフをあてがう。
仮にこのナイフが本物であれば確実に頸動脈を切れていただろう。勝負ありだ。
「……お、おうっ! お前かなりすごい動きだな! 本当に近接戦闘訓練は初めてか?」
「はっ! 初めてです」
言わずもがな本当は初めてなんかではない。なんせこれは五回目のループなのだから。
「……お前、ストリートチルドレンだったころ暗殺稼業でもやってたんじゃないかってくらい良い立ち回りだったぞ。いいか! みんな見たよなこれがお手本だ。同期ができるんならみんなできるよなぁ!」
ガーベラ教官はそう言い快活に笑う。
「よしっ、ここまで上手くやられてしまったらアタシも教官としてのメンツが立たねぇ。おっしゃあ!もう一度やるぞサルヴィア! 今度は本気で相手してやる!」
「え゛っ⁉」
今まで本気じゃなかったのか⁉ ……どうやら今回もアザだらけになるのはまぬがれなさそうだ。……クソっ。
その後サルヴィアはあらん限りの近接戦の技術を駆使したガーベラ教官にまたしても全身打撲まみれにされてしまった。
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——同所 第13号教室 同日 13:00
相も変わらずシティスはスヤスヤと寝ている。まぁ、毎日大変であるから分からなくもないが、今は授業中、それもアヤメ教官の。
五回にわたるループで分かったことだがアヤメ教官は物腰柔らかで一番優しそうな雰囲気を漂わせているが、怒らせたら教官たちの中で最も容赦がない、それでいて冷静な人だ。下手なごまかしは通用しないどころか墓穴を掘る羽目になる。
……ガーベラ教官であればごまかしも効いてかなり楽なのだが。
流石にもうループの実験の必要性もない。シティスを起こしてやろう。
しかしどうやって起こしてやろうか? お手洗いに行くと言って机を軽く小突いてやれば起きるだろうか? いやしかし……
サルヴィアがいかにしてシティスを待つ悲しき運命から救ってやろうかと頭を悩ませているうちに時間は刻々と過ぎていく。
「——であるからして、自機と敵機の位置関係がこのような場合…………」
アヤメ教官は今までと同じようにスタスタとシティスのそばまで歩いて行き、持っている教鞭で思い切りシティスの背を打つ。
……今回もこの悲しき運命から彼女は抜け出せなかったようだ。
「痛っっっっ!」
「シティス学生、貴女は確かに学業優秀で座学に関しては中隊で次席ですね……。
しかし! だからといって授業中居眠りをしていい免罪符にはならないのですよ!
せめて居眠りがしたければ主席になってからにしなさい!
……まあ、主席だからと言って居眠りは許しませんが」
「申し訳ありません! アヤメ教官!」
……あっ、またダメだった。……まぁ、うん。居眠りするシティスが悪いし、仕方ないな。うん。
そう自分に言い聞かせ、サルヴィアは悲しき運命からまたしても逃れられなかったシティスに心の中で手を合わせる。
「では、空戦において今解説している状況の際どのようにするのが最適か、居眠りをする余裕のあるシティス学生…………ではなく、主席のサルヴィア学生に聞くとしましょう。ちなみにサルヴィア学生が答えられなければ二人そろって体力錬成に励んでもらいます」
もはやサルヴィアにとってお馴染みの文言を聞き、今までと同じように模範解答を答えこの場を切り抜ける。
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——同所 学生舎 同日 02:30
さぁ、どうする? このまま逃げ出してもいい。しかしどんなアプローチであっても確実に森に踏み入ったとたんに1月5日の朝に叩き戻される。
……クソったれ!いい解決策が思いつかない。
……いや、一つとっていない選択肢がある。脱走しないという選択肢だ。正直脱走しなければ元も子もない気もするが仕方ない。今回は一度素直に寝てみよう。
斯くして少女は致し方なく目を閉じ眠りにつく。
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——同所 学生舎 ?月?日 06:00
けたたましい起床ラッパの音がこれから始まる忙しい一日の到来を告げる。
サルヴィア達は起床動作を終え、着替えて部屋の前に整列する。未だに慣れておらず制服を着こなせず並んでいる者もいるにはいるが数える程度だ。
そんな同期達を一瞥し、マーガレット教官は口を開く。
「おはよう、蛆虫諸君。よく眠れただろうか? まぁそんなことはいい、もう六日も経つというのにいまだに朝に慣れていないクズがいるようだな? えぇ?」
マーガレット教官はそう怒鳴りながらうまく上着を羽織れていない気弱そうな同期の一人に詰め寄っている。しかし、サルヴィアにとって、そのようなことはどうでもよかった。
……いま何と言った? 六日? 六日といったのか? つまり今日は1月6日というわけか⁉ よし……! 何とか魔の1月5日から抜け出すことができた!
サルヴィアが一人喜びに浸っている中マーガレット教官は続ける。
「——お前みたいなクズはすぐに戦場でくたばるぞ! ……はぁ、まあいい。今日は午前中を使って長距離行軍訓練だ。故に朝のランニングは無しだ! とっとと戦闘服に着替え、小銃を持ってグラウンドに集合……。
…………サルヴィア学生何をニヤニヤしている。そんなに行軍が嬉しいのか? ならそんなマゾヒストの貴様には小銃ではなく軽機関銃を背負って行軍してもらおう」
……は? 軽機関銃を背負っての行軍だと? おいおい、弾を装填していなくてもあれは七キロ弱あるぞ、つまり普段の約二倍の重さを持って行軍か……!
クソったれ! なににやけてんだ、ついさっきの自分……!
「……。了解しました」
普通の二倍弱という重荷を背負ってサルヴィアは行軍を終える。
無論、行軍を終えるころには周りの同期達よりも疲れ切っていたのは言うまでもない。
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——同所 学生舎自室 1月6日 23:30
……さて、ようやく魔の1月5日を抜け出すことはできた。しかしここ、シックザール士官候補生学校からは抜け出すことができていない。
どうする、今日もまた脱走してみるか? もしやるんなら01:00を回った頃がいいだろう。しかし未だにあの謎の音の正体がつかめていない。あの音の正体がわかるまでは迂闊に行動しないほうが賢明だろうか?
「ねぇ、サルヴィア起きてる?」
「うおっ、まだ寝てなかったんだ……」
「なんか、行軍で疲れすぎて逆に寝れないっていうか……」
「確かに、疲れすぎて寝れないってことあるよなぁ」
「にしてもサルヴィアは今日、災難だったよね。
まさか軽機関銃を持って——」
『パァーン』という乾いた音が夜の士官候補生学校に響く。
「⁉ 何事⁉ いまの絶対銃声だよな……?」
「う、うん。でも非常呼集がかからないあたり近くの森で猟師が狩りしてるとか?」
いや、そもそもこんな夜中に狩りなんてするものなんだろうか? それに周囲の森は一般人が立ち入れないはず。もしかして勝手に入った一般人が撃たれたのか?
「……サルヴィア、なんか非常呼集もかからないし、もう寝ちゃおうか」
「あぁ、そうしようか……」
斯くして少女たちは疑問の中眠る。
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——同所 学生舎 1月7日 06:00
今日も今日とて起床ラッパの音が静かだった学生舎に響き渡る。
急ぎ寝具を片付け制服に着替え部屋前に整列する。いつものルーティンだ。
……おかしい。ある部屋の前だけ誰も整列していない。
寝坊してしまったのだろうか?しかし教官たちもそのことについて全く触れもしない。普段であれば「早く整列しろ!」などの怒声が響き渡るはずなのだが……。
それに、なんだ? どこか教官たちの顔がこわばっている。
同期の連中が少しざわつきだしたころマーガレット教官が意を決したように、その重く閉ざされた口を開く。
「あー、貴様らには残念な報告がある。今部屋の前に誰も出ていない部屋があると思うが、そこの部屋の一人が昨晩脱走した。同室のやつは現在事情聴取中だ」
一気に同期達が騒がしくなる。それに何だろうか、とてつもなく嫌な、気持ち悪い予感がする……。
「……静かに! ……貴様らには見せねばならないものがある。皆、学生舎前に集合せよ。以上」
斯くして少女たちは学生舎前へと集まる。
そこには大体、一五〇センチメートル程の物、が横たわっていた。
——死体だ。
顔に白い布がかけられているが、布は人の顔に掛けられているにしてはくぼみ、
赤黒く染まっている。おそらく、顔の一部がえぐれたようになっているのであろう。
想像もしたくないがあの下にはぐちゃぐちゃになった顔があるに違いない。
そして、あの髪、あの体格、見たことがある。昨日の朝マーガレット教官にクズだと罵られていたあの気弱そうな子だろう。きっとそれに耐えかねて脱走してしまったのだ。
……そうか! そういうことか、昨晩の乾いた音は銃声で間違いなかった。あの時にこの子は撃たれたのだ!
サルヴィアの中で疑問が解消していく中、以前きいたことのあるような声が耳に入る。
「マーガレット少佐、おはようございます! 彼女たちに事情の説明の許可を求めます」
「……よろしい、では頼んだ、『パーシル中尉』」
「はっ!」
パーシル中尉と呼ばれた彼女は以前サルヴィアとシティスが会った際、飴をくれたあのボーイッシュな女性中尉であった。
「やあ皆、おはようー。まずは自己紹介からだね。僕はパーシル、階級は中尉だ。
普段は夜に仕事しているから僕に会ったことのある人はほとんど……、正確には今のところ二人しかいない。そしてそんな僕の仕事は……、
——ここから無断で逃げようとする子を狙撃すること。
ここに横たわっているこの子がそうだね、昨晩逃げようとしたんだ。森に入る前であれば見逃すけど、森に一歩でも入ったら撃つからみんな覚えておいてねー」
そうにこやかに、まるでただの自己紹介かのように彼女、パーシル中尉は話す。
……つながった。全てピースがつながった。今まで森に入ったとたん変な音が聞こえると同時に視界が暗転していたのはすべて自分の頭をこのパーシル中尉にぶち抜かれていたんだ。
あのヒュッという音は弾の飛んでくる音に違いない。そして死んだらあの忌々しい1月5日の朝に戻されていた。ゲームでいうところのセーブポイントがあの1月5日になっているのだろう。しかし、仮にそうなら死ねる回数制限なんかもあるのだろうか?
そして森に入ったとたん視界が暗転していたということは百発百中で奴は自分の頭をぶち抜けている。ここからの脱走はもう不可能に近いだろう。諦めるしかない……。それよりも、今まで自分は何回も死んで来たのか……。
自分が今まで何回も死んで来ていたということに気づいた瞬間とてつもない吐き気に襲われ、サルヴィアは胃の中に入っているものをすべて吐き出す。しかし、何も食べていないので出てくるのは胃液だけだ。
あたりを見まわすと同期のうち何名かが吐いている。ある者はここから逃げ出そうものなら死が待っているという現実に茫然としている。ある者は自分も脱走を考えていたのだろう。脱走できなくなってしまったことに絶望している。
彼女たちはその日、死が自分の身近な存在になっているということに気づく。
——その日少女は、自分が何度も死んだのだと絶望した。
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