月満ちる午前0時。静かな倉庫群を通り抜け、連日テレビに映されたひとつの扉の前に立つ。
ゆっくり音を立てず扉を開けば、薄暗く照らす電灯の下、いくつかの人影が目に入る。
いや、正確には人ならざる者もいるのだけれど……。
「イナバ、遅かったですわね。何かございまして?」
「ごめんなさい。少し……、気になって」
「あの元婦警の事かしら? でしたら心配なくってよ。記憶の改竄は確かに行われましたもの。
それに、例のケモナー達も見張りに付けてますわ」
「……はい」
今回の事後処理も完璧だった。いや、今までだって事件も真相も……。闇に葬り去れなかったことなど一度としてありはしない。けれど……。
そんな思考を見通したかのように、落ち着き払った声が届く。
「長く共にいたんですから、気がかりにもなりましょう。
ともかく、お疲れ様でした。今回一番の大役でしたね」
「ヨウコさんもお疲れ様です。店員の潜入の方が長期間になりましたし、大変ではありませんでしたか?」
「いえいえ、妾は見ていただけ。人を操る必要の無い、気楽な立場ですよ」
「操るだなんて……」
人聞きが悪い、と言ってやりたかったけど、本当の事なので言葉に詰った。
思い返せば名簿を間違えたり、裏路地の男と引き合わせたり、ナビの地図にピンを乱立させたり……。あとは現場への誘導もしたなぁ……。
十分すぎるほど立派に、手のひらで転がしたのだ。
僕の能力が適役とはいえ、良心が痛む。
考えないようにしようと周囲を見回すと、裏路地で会った男の姿が見えた。
今は隠す必要がないので、黒い翼を広げ、文字通り羽を伸ばしている。
「あ、お疲れ様です。その後手の怪我は大丈夫ですか?」
「おう、心配してくれてんのか。折れても無かったし、今はなんとも無いさ」
「ふ~ん? ひな鳥みたくピーピー泣いてたのに~?」
「うわっ! セル、いつの間に!?」
すっと背後から現れたのはセルシウス。いや、今は瀬川 瑠璃と名乗っている。
「ボクの作ったフシギナクスリを飲めば、すぐ治ったのにねぇ?」
「お前の作る、怪しさしかねぇモン飲むかっ!」
「セルその辺にしておきなさい。あれは半ば事故ですもの、あまりからかっては可哀想ですわ」
「ちぇー。ありりんが言うなら今日はこの辺にしちゃおっかな~?」
「今後もナシで頼みたいがな……。しかし……」
男は黒い翼でふわりと宙を舞い、セルシウスから距離を取って続ける。
「あの風使い、放っておいて大丈夫なのか?
俺のことだけじゃなく、ゲーセンでイカサマしたんだろ?」
「今回の件に関しては不問とするようですよ。貴方の怪我は不幸な出遭いですから。
クレーンゲームをイカサマと言うのなら、取れない景品を置くのは詐欺ですし」
「はぁ、そうかい。店のモンがそう言うならいいけどよ」
「けどねけどね~、ちづるんが今度直々に警告しにいくってさ~」
「おぉ……。それは怖ろしいな……」
「いっそ、こちらに引き入れて下されば楽ですのに」
覚醒した人をどう扱うかは、未だにはっきりとした結論は出ていないようだ。
基本的にチヅルさんやアルダさん、セイヤさんが指揮を執っているものの、共通認識のある僕たち以外を引き入れることには、慎重なのだろう。
「それで、なんでこんな回りくどい事したか、聞かせてもらえるよな?」
「あぁ、それでしたら……。どうしてでしたかしら?」
「ちょっとありりん!? あるびぃの話聞いてたよね!?」
「うーん、アルビレオの話は長くてほとんど覚えてませんわ。
やる事だけリストにしていただきましたけれど」
「おいおい、一応アンタが実働部隊のトップなんだぜ?」
あまりにリーダーとしては相応しくない発言に、この場にいる全員が愕然とした。
アリサさんらしいといえばらしいけど……。
ともかく、こんな手の込んだ事をした理由、それは一言で言えば「公権力の強化」だ。
今後、月が落ちる事を認識できる人が増えた場合、今のように“神隠し”や“記憶の改竄”で誤魔化し続けるのは、いずれ限界が来る。
その時には公権力、つまりは警察や消防・自衛隊などに限らず、行政機関全てで人々を抑える必要が出てくるだろう。
けれどこの国は独裁国家ではない。そのため必要な“鎖”は、武力ではなく、信頼だ。
「ってことで、神隠し事件で信用の失墜した警察の評価を上げようってワケ」
「なら、あの元婦警に手柄立てさせるたんじゃ、意味ねえんじゃないか?」
「そこがミソなんだよ~。あるびぃいわく、マスコミってのは、純粋な公権力を嫌うらしくてね。
だから、外部機関の一員であるあのおば……、お姉さんが選ばれたの!」
「どういうこった?」
「これを見れば分かるっしょ?」
そう言ってセルシウスが広げたのは、事件を一面で取り上げた新聞だった。
「カルト集団一斉逮捕! 元婦警が活躍、警察との連携の成果?」という見出しだ。
「白鳥家が裏で動いたから警察叩きはさせてないけど、本来なら『警察の捜査は適切なのか?』みたいになってるとこなんだよね」
「なるほどな。もろ手を挙げて賞賛できない奴らだから、外部組織を持ち上げさせたのか」
「そそ、そういうこと。記事を読めばちゃんと警察が新設した組織だって事も書いてあるし、ワイドショーもそういった論調になるよう操作してあるんだよ」
さらっと言ってのけるが、全ての報道機関を裏から抑えていると言っているようなものだ。
しかも警察には森口さんや赤目さんなど、おそらく他にも知らされていないだけで、何人も潜入させているだろう。
もはや、この国ごと押さえていると言ってもいいんじゃないだろうか……。
「はー白鳥家ってのは、こっちでも裏で色々やってんのな。
じゃあなんだ、あのカルト集団ってのも仕込みか?」
「いや~、あれはホンモノ。みーんな覚醒者。悪い方向に行っちゃったけどね」
「ほう……。じゃあなんだ、あの儀式ってのも?」
「それはよくわかんないんだよね~。アレで月が止まるとは思えないし」
「ソレニツイテハ、私ガ説明イタシマショウ」
その声に振り返れば、アーニャさんを背負った白クマのロベールが立っていた。
アーニャさんは、眠い目をこすりながら半分寝ているほどにしか目を開いていなかった。
「説明って、何か知ってるの~?」
「エェ、私ハトアル方カラ似タ話ヲ聞イタ事ガアリマス。
アレハ、古ノ禁忌ダト……」
「どっかにありそうな話だねぇ? で、12人の少女を生贄にするとどうなるのさ?」
「本来ハ魔力ノ強イ者ヲ生贄ニ、ソノ魔力ヲ一人ニ集約スル儀式デス。
ソノ理解ニ齟齬ガ生ジタノデショウ。彼女達デハ彼ハオロカ、私達デスラ止メラレマセン」
「彼?」
その言葉には、その場の全員が疑問符を浮かべた。
「彼って誰なのさ?」
「コノ話ヲシテクレタ方デス」
「具体的に」
「イズレ会ウ事ニナルオ方デスヨ」
「ふんふん? しゃべる気は無いと?」
「…………」
ニィッっと口角を上げ、白クマは黙る。対するセルシウスの反撃は……。
「皆の者かかれっ! もふもふ攻撃だっ!!」
「あいあいさー!!」
その返事と共に超ハイテンションで飛び掛ったのは、いつの間にか来ていた森口さんだった。
ひたすらにもふもふ攻撃をする森口さんを尻目に、共に来ていた赤目さんと話す。
その両手には、ビニール袋を持っていた。
「あ、いらしてたんですね」
「えぇ、皆さんに焼肉弁当の差し入れもありますよ」
「ありがとうございます。でも、僕はお肉は苦手で……」
「って言うと思って、印南君にはこれだー!!」
もふもふ攻撃を終えた森口さんは、にんじんを丸のまま目の前に突き出した。
好物だけど……、さすがにこれはひどくないかな……。
反応に困り立ち尽くす僕に、赤目さんは静かに言った。
「彼なりの冗談なので、適当にスルーしてくだされ……」
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