「たっだいま~! ジュースのデリバリーサービスだよ~!!」
無駄に元気な美沙の声が、不安に押しつぶされそうな私の代わりに部室に響いた。
その背中を追う私は、ここを発った時のままの後輩達の姿にほっと胸をなでおろす。
「おかえりなさい」と迎えてくれる事が、こんなに嬉しいとは思わなかった。
私にとっても怖い話はやっぱり怖いんだな、なんて当たり前の事に今更気付いたのだった。
そんな心情を悟られないように私は話しかける。
「それにしても朝倉さんの集中力はすごいわね」
「えぇ、邪魔すると危ないので、気付くまでそのままにした方がいいと思いますよ」
「そうは言ってもホットイチゴオレなんて美味しくないだろうし、何より冷房がかかっているとはいえ、水分補給しないのはよくないよ」
私はそう言いながら、朝倉さんの作業している机をドアをノックするようにコンコンと叩く。
その音に反応したのか、もしくは振動で手元が狂わされたのかは分からない。
けれど、彼女はガバッっと顔を上げ、私を睨む。
その顔は今にも襲い掛からんとする猛獣のようで、いつもの大人しい朝倉さんとは似ても似つかないものだった。
けれどすぐにハッと我に返ったのか、小さく「ごめんなさい」と言っていつもの様子に戻る。
「集中してたのにごめんね。飲み物持ってきたから休憩しましょ」
彼女は小さくコクリと頷くとイチゴオレを受け取った。
「関屋先輩すごいですね……。朝倉を起こしただけじゃなく、暴れさせないなんて」
大福君は心底驚いているようだった。何をそんなに驚いているのか聞けば、彼女が集中している時は、対象物を物理的に遠ざけるくらいのことでないと、反応しないらしい。
その上で、無理やりそんなことをしようものなら暴れだすと言うのだ。
確かにさっきの様子を見ればそんな話も納得なのだけど、その姿を見ていない美沙はにわかに信じられない事のようで、「話盛りすぎだよ~」なんて笑っている。知らないとは幸せな事だ。
そして、そんな話をされている朝倉さんは恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にしてうつむきながら、ゆっくりとイチゴオレを飲んでいた。
その姿は、にんじんをちびちび齧るウサギのようで、とても可愛らしい。
「あ、そうそう。私達午後は行くところがあるから、二人が帰るときに、部室の鍵を返しておいてくれる?」
「お二人で出られるんですか? 仲がいいですよね」
「小さい頃からの付き合いだからね。
部室は夕方まで居ていいけど朝倉さんは没頭しすぎて時間を忘れないよう注意してね」
そう言い残すと、私達は後輩二人を残して帰り支度を始めた。
◆ ◇ ◆
「ねぇ知ってる? この地下街を造る時に地面を掘ったらね……」
私達はいわゆる“ヲタク街”に近い、地下街のハンバーガー屋で昼食をとっていた。
そんな時に、また美沙の噂話が始まったのだ。
「地下街を掘った時に」に続く言葉なんて、大抵人骨が出たとかだろう。
その続きは墓場であったか、戦場であったか、もしくは処刑場か……。
それくらいのレパートリーである。
「遺跡だったらしいの」
私はつい「は?」と気の抜けた反応をしてしまった。
いや、考えてみれば遺跡ってことは、古墳とかそういう話で、結局「人骨が~」とか「幽霊が~」と続くんだろうけど。
「その遺跡っていうのがね、ダンジョンだったんじゃないかって言われてるの。
それを無理やり地下街にしたから、今でもホントにダンジョンみたいで迷うでしょ?
もちろん壁とか電気とか付ける工事はしたんだけどね、基本的な形は当時のままなんだってさ」
オカルト話じゃないみたいで良かったのかな?
変な噂話には変わりはないんだけど。
「それで? 美沙にしては、めずらしくウンチクを語りたかったの?」
「その話には続きがあってね……。
遺跡をそのまま使ってるから、誰もこの地下街の本当の形を知らないらしいの。
だから見覚えの無いドアがあって、それをくぐると遺跡に繋がってるんだって。
それで、そのまま迷って行方不明になった人が、例の神隠し事件の被害者なんじゃないかって噂なの」
結局オカルト話か! というツッコミを入れておくべきかもしれないけれど、美沙がそういう話が好きなのは知っているし、何よりまた創作のネタになればと思って話している事はわかっている。
いつもなら「噂話嫌いなんだよね」で切り上げるのだけど、そういう反応をされるのを知っている美沙が、わざわざ話す目的はそれしかない。
それでも一言言わないと気が済まないのは、私の悪い癖だろう。
「見知らぬドアって……。従業員用ドアとかじゃないの?」
「やっぱり雫には、ユーモアセンスがないね~」
分かっている。分かっているけれど、改めて言われるのは少し悲しいものだ。
やっぱり私にはそういうセンスがないのだろうか。
マンガをストーリーから創るには、そのセンスを磨くところからはじめないといけないのかもしれない。
「やっぱ雫にはファンタジー向きじゃないからさ、恋愛モノとか目指してみればいいんじゃない?
ほら、さっきの店員さん、結構格好良かったよ」
「え? 全然顔見てなかった……。どんな人だった?」
「名札に『堀口』って書いてあったし出る時見てみなよ。
なんか、サッカーとかやってそうな感じの人だったね~。これが運命だったりして~?」
美沙はそう悪戯っぽく笑う。もちろん私が色恋沙汰にうつつを抜かすような人でないことは知っているのだから、これは冗談とからかいが混ざった話である。
でも美沙が格好いいって言うなら、かなりハイレベルだと思う。
運命なんてものではないと思いつつも、チラ見くらいはしようと思い店を出た。
確かにイケメンではあるが、それ以外の感想は出なかった。
◆ ◇ ◆
その後はぶらぶらと、同人誌やフィギュアでできた迷路を転々とし、ゲームセンターの取れもしないぬいぐるみが飾られた、アーム付きの貯金箱にたっぷりと引き出せない貯金をしたりと、実に高校生らしい遊びを満喫した。
美沙は娯楽に溢れた雑居ビル群を見るやいないや、駆け出してしまうほどだった。
それほど今まで真面目な受験生をやっていたのだろう。今日くらいはめを外したっていいよね。
楽しい時はすぐ駆けてしまうもので、そうこうしているうちに空は茜色に染まりつつあった。
「そろそろ帰ろうか」
その言葉に、美沙は名残惜しそうに街並みを見つめる。
夏休みということもあって、旅行者らしき人たちや、夜まで遊び続けるつもりの人々を眺め、私達はまだ完全に自由を手にできていないのだと思い知らされる。
けれど女子高生二人で夜遊びするには、この街は少しばかり物騒だというのも理解している。
本物の“オタク狩り”が出るという話も、何度か聞かされているのだから。
「そうだね~。今度来るときは、朝倉さんたちも誘ってこようね~」
また明日からの日常を思うと気が重いだろうが、次に来る時の事を考えれば少しはマシになるのだろう。
「そうだね」と小さく呟いて私達は歩き出す。
◆ ◇ ◆
「美沙、気付いてる?」
私は他の誰にも聞こえないよう小声で確かめる。美沙は小さく気付かれないよう頷く。
先ほどから人々の雑踏とは違う異質な、明らかに私達についてきている気配がある。
ここで取るべき行動はどれか、それを決めるのは、昔から私の役目だ。
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