俺は、八木先生のオススメしてくれた、ローファンタジー小説を読んでいた。
法で裁けぬ罪人を自身の超能力で滅多切りしていくダークヒーローと、それを追う刑事のダブル主人公の小説だ。
登場人物の即退場っぷりに、「この作家さん思い切りが良すぎる」と参考になるのか、ならないのかわからない感想をいだきながら読んでいると、腹のチャイムが昼を知らせた。
ふと時計を見ると、もう午後1時をすぎている。書き方がうまいのか、展開がうまいのか……。
集中力のなさに定評のある俺を、ここまで引きこむとはさすがである。
とりあえず、朝倉の様子はどうなのかと伺えば、いまだに魔法学校に行ってしまっているようだ。
こうなってしまうと、朝倉は並大抵の事ではこちらの世界に帰ってこない。
昔、熱中して読んでいる雑誌を取り上げると、その角で殴られたほどだ。
週刊誌だったのでまだマシだったが、月刊誌ほどの厚さなら、さっき読んでいた小説の悪党共と同じ末路に至っていたかもしれない。
とりあえず朝倉は放置して、昼飯を食べることにしよう。
帰りに飲み物くらいは持ってきてやるか。
しかし暑い。さすがに真昼間だと、いくら月の影になる時間があるとはいえ、この世界は暑すぎる。
月が落ちてこなくても、暑さでこの世界は終わっていそうだ、などと考えつつ昼食も食べ終え、早急に冷房の効いた場所に避難すべきだと、少し急ぎ気味で図書室の扉の前まで戻ってきた。
道中の自販機で、姫様のためのイチゴオレを調達するのも忘れない。
朝からの事故紹介で「奴隷のように扱う」なんてあったが、俺自身が奴隷のように行動してるのだから、将来は立派な社畜とよばれる存在になれそうだ。将来があれば、の話だが。
ただ、ここでひとつ問題がある。扉の前まで戻っては来たものの、なにやら中が騒がしいのだ。
男女の言い合い……、というよりは一方的に男が何か言い寄っている風であり、これは扉の向こうは修羅場というやつでは……。そう想像すると、この扉を開けるのが憚られているのだ。
結露で汗をかくイチゴオレに、これ以上手の不快指数を上げられたくないと思いながらも悩んでいると、なにやらガタガタと中がさらに騒がしくなってきた。
もしかして、喧嘩でもはじめたのか?
いや、今までも口喧嘩という意味では喧嘩だったのかもしれない。
しかし、女子生徒に手を上げるような事をするだろうか?
とりあえず、何も知らないフリをして扉をあけ、喧嘩しているようなら止める、もしくは人を呼びに行く。
これが俺にできる精一杯だと判断し、引き戸の取っ手をつかんだ。
その先の光景。それは、馬乗りになり女生徒を殴る男子生徒……、であればまだ幾分マシだったかもしれない。
いや、普通に考えれば全然マシではないのだが、目前の光景よりは普通であるのでマシだ、という意味だ。
そこには宙を舞う蔵書の数々と、それに混じって筆記用具や、図書室の備品などが四方八方に飛び回っていた。
「えーっと、いったいどういう状況です?」
あまりに不可解な事があると、人間は驚き焦るのを忘れて呆然とするものなのかもしれない。
「朝倉が読んでいた魔法学校の映画もこういうシーンあったなぁ」なんて考えてしまうあたり、ファンタジー小説に毒されている感は否めない。
そういや、この状況で朝倉は大丈夫なのだろうか、と座っていた席に目にやると、いまだに本を離さずその世界に浸っていた。
あいつには世界最後の日も、一週間ほどかかる超大作小説を読ませる事にしよう。
最期を物語の中で迎える、その方が本人にとって幸せかもしれない。
「ちょっと! なんなのよ! こんな子供だましの手品で私が折れると思ってんの!?」
「知らねーよ! 俺だって、なんでこんなことになってんのかわかんねーよ!」
思考が現実逃避をしている俺をよそに、口論していたであろう男女は構わず舌戦を再開したようだ。
これが手品なら、飛び交う本には糸が付いているのであろうが、その動きを見るにどこに糸を張れるだろう。
本同士がぶつかって落ちたり、ページがバラバラになって飛び交ったりしている。
各ページに糸を仕込むのは、さぞ大変だったろう。
そういうわけで、これは手品などではなく、いわゆる超能力、その中でもサイコキネシスと呼ばれるものか、もしくはポルターガイストと呼ばれる超常現象だろうと判断できる。
「とりあえず二人とも落ち着いて! 危ないので、机の下に避難しましょう!」
いまだに言い合っている二人を止め、とりあえず机の下への避難を促す。
二人は言われてはっとしたのか、仲良く受付の机の下へ潜り込んだ。
そういえばあの女生徒は、受付をしていた図書委員だった気がする。
あまりの事態に今まで忘れていたが。
俺は避難した二人を確認し、ひとつ大事な事を思い出す。
あれ!? 朝倉って避難もせず本読んでるんじゃなかったっけ!?
その考えが浮かんだ瞬間に俺は踵を返し、朝倉のいる図書室の奥へと駆け出した。
そんな俺を、本たちは獲物を見つけた烏のように襲い掛かる。
「痛ってぇ! けど、朝倉の週刊誌アタックよりはマシだ!!」
完全に強がりである。ハードカバー本が、角ではないとはいえ結構な速度でいくつも飛んでくるのだ。それを腕で叩き落としながら進む。
しかし、散らばった本や備品の上を走るのは難しく、何度もつまずきながらやっとの思いで朝倉の元までやってきた。
「おい! 朝倉! 読むの止めて、とりあえず机の下へ隠れろ!!」
そう叫ぶ俺に対して、朝倉は完全に無反応であり、整然と行列を作る文字たちを眼球でなぞる動きだけを繰り返す。
その様子は、軽い恐怖と狂気を覚えるほどに、緻密で規則的な動きで、これをこちらに引き戻すのは無理だと判断するには十分だった。
「仕方ない、こいつらが当たらないよう打ち落とすしかないか」
幸いな事に、本たちの動きは、図書委員たちの周りは激しいが、それなりの距離のあるこちらでは比較的大人しい。これならば撃ち落すのも容易だ。
撃ち落す……? そう考え俺は迫り来る本に向かって……。
「バンッ!」
手を銃の形にして、撃ち落すそぶりをやってみた。
そうすると本は弾き飛び、壁へと激突した。
「おぉ! やったぜ! 初めて風魔法を使いこなせた!」
やってみれば、拍子抜けするほど簡単だった。
俺が風魔法に目覚めた時には、部屋全体に団扇で扇ぐくらいのそよ風が起こる程度だったが、方向性と威力をイメージしやすくすれば、こんなに簡単に魔法は操れたのだ。
これならイメージ法さえ確立すれば、女子生徒に向けて“事故”を起こし、舞い上がるスカートと共に、男子生徒達を少し幸せにできるかもしれない。
そして、“幸運のそよ風”という異名をもって賞賛される存在になれるだろう……。
え? それは事故ではなく故意だって? バレなきゃ事故なんだよ!!
それに、ちょっとした風で起こる、誰も損しない……、いや女子生徒は少し恥ずかしいかもしれないが、周囲の男子達を幸せにする“ちょっとした事故”ですよ?
「おっと、危ねぇ。今は考え事よりも、こいつらをなんとかしないとな」
襲い掛かる本を避けつつ、俺は再び本の撃ち落しのために集中する。
「バンッ! バンッ!!」
魔法の詠唱とは程遠い擬音語での銃の発射。よく考えればこれは必要なんだろうか?
冷静になればすごく恥ずかしい光景に思えてきた。
そのまま撃つイメージだけで魔法は出ないものか……。と、また思考が脱線している事に気付く。
これって、もしかして魔力を消費してるってことだろうか?
集中できなくなって魔法が使えなくなる、そういうシステム?
直感的に沸いたこの仮説自体が、魔法を酷使させられている、無意識の俺が発する警告かもしれない。
つまり、防戦一方ではいずれ魔力切れで負け確定って事か……。
しかし、俺はこれ以外に魔法を意識的に発動させる方法を知らない。
ならば、魔力尽きるまで撃ち落していく他ないだろう。
「あれこれ考えたって仕方ねぇ! 全部撃ち落してやる!! バッ……(ドンッ!!)」
胸を打つ轟音、それと共に飛んでいた本が全て床へと堕ちる。
俺の風魔法が覚醒した? いや、それなら本は壁に打ち付けられるはずだ。
そして今の轟音は、さっきまで俺が居た方向、図書室の出入口から聞こえた。
振り向いてはいけない、俺の無意識、もしくは本能というものが警鐘を鳴らす。
けれど何があったのか、どういう状況なのか、それを確認せずにはいられず、俺は嫌な汗をかきながらも振り向いた。
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