人けのない昇降口、俺と朝倉は上履きに履き替え廊下を歩く。
日差しの当たらない北側の廊下は、まだ朝の涼しい空気をその中に留めていた。
「それじゃ、先に図書室に行ってるから。先輩によろしく言っておいてね」
そう言って朝倉は一人図書室へと駆けて出した。
俺達が夏休みなのにわざわざ登校した理由、それは漫画研究会、漫研の活動をするためだ。
そして先輩というのは、漫研部長の関屋先輩の事で、「ちゃんと活動してますよ」という報告をするよう仰せつかったのである。
「おはようございます、先輩方」
そう声をかけ部室へ入ると、数人の部員達が一斉にこちらへと視線を移した。
その中で、黒髪ショートカットの一人の女子生徒が俺の方へとやってくる。
彼女が漫研の部長、関屋先輩だ。
「おはよう大福君。今日もお嬢様の御付きをしているのね。
それにしても、わざわざ学校まで来なくていいのに。
ウチの部はユルいから、文化祭の展示作品さえ出してもらえれば、一切顔を出さなくてもいいのは知ってるよね?」
「それは知ってはいるんですが、朝倉は家だと捗らないらしいんですよね。
俺も高校受験の時は、家じゃゲームしちゃって勉強全然できなかったタイプですし。
朝倉の気持ちは、なんとなくわかるんですよ」
「そう、だから付いてあげてるってワケね。ま、それならいいんだけど。
私も今日は夕方までは部室に居るつもりだから、何かあったら声かけてね。
できれば進行具合を見せてもらえると、部長としては安心できるのだけど」
「朝倉にはそう伝えておきますね。まだ恥ずかしいとか言って、なかなか見せたがりませんけどね」
「ふふふ、なんだか懐かしいわね。
初作品が恥ずかしいのは私も通った道よ。いえ、漫研なら誰もが通った道かもね」
そういって先輩は身を翻し、その短くカットされた黒髪をゆらしながら自身の作業スペースへと戻っていった。
そのシャンプーの香りに少しドキッとしたが、ここは何事もなかったように振舞うのが紳士というものだろう。
ちなみに関屋先輩は男子生徒から人気がある。
性格はクールでリーダーシップもあり、姉御肌という感じなのだが、粗暴な感じではない。
だが、本当の人気の理由は、噂ではあるのだが、校内胸囲ランキングで上位5位内に入るのではないかと言われている事にある。
まぁ、俺がその噂で気になる点は、そんなランキングを裏で作っている組織って何者なんだという事だ。
あ、あと補足だが、校内脅威ランキングも上位は確定なので、敵に回すと怖ろしい事になるという点だ。
ランキングを製作している組織の者が、彼女に消されない事を祈ろう。
そんな話を思い返しながら図書館へと続く廊下を歩いていけば、見慣れた後ろ姿を見かけた。
「あっ、八木先生おはようございます」
「あら、おはよう入福君。今日は部活?」
彼女は、男子生徒から絶大な人気を誇る理科の先生、八木 明日香先生だ。
天文部の設立時から顧問をしており、爺ちゃん先生たちからは「若いのにやる気に満ちたいい子だ」と孫のように可愛がられているらしい。
「えぇ、図書室で朝倉が漫画描かせてもらってるんで、今から向かうところです。
先生は、何かこっちに用事があるんですか?」
「私も図書室に行こうと思っていたところなの。ほら、例の……、月の件の資料を探しにね」
少し声を潜める理由は言わずもがな、やはりあまり月の事は触れてはいけないという空気があるのだ。
八木先生は理科の先生だし、天文部の顧問なのだから、天文学の逃せないビックイベントは気になる所なのだろう。
もちろん逃せないのではなく、逃れられないのだが。
このままこの話を続けていいのか迷っているうちに図書室へとたどり着いてしまった。
そして短い別れの言葉を交わして、俺は校内胸囲ランキング一位のそのふくらみを見送ったのだ。
「見てるの気付いてるからね? 私が」
「はっ!? なななな、何の話かな???」
油断していた。朝倉がその事について誰よりも気にしていて、さらにその視線に目ざとく反応できる事を。
まぁ、仕方ないとは思う。朝倉はランキングの下位どころか、少しふくよかな男子生徒よりも小さいという噂なのだから。
ただ、それは昔の様子しか知らない俺の発言のせいでそうなった、というのは否定できないのだが……。
「ま、まぁともかく、早く描き進めていこう。
関屋先輩もできた所まででいいから見せて欲しいって言ってぞ。
期待されてるみたでよかったな」
「期待されてもねぇ、まだ何もできてないというか、なんというか」
「前に何か描いてたんじゃなかったか? その作業進めればいいじゃないか」
「前描いてたのは、練習用にイラスト描いてただけ。漫画のストーリーが浮かばないんだよね」
あぁ、確かに前に見た絵はコマ割とかされてなかったなぁ。
それでいつも、図書館の本を読んでストーリーのヒントを探してたんだっけ?
ということは、今回も面白そうな本を探す作業からになりそうだ。
「で、どういうのを描きたいんだ? ほら、SFとか恋愛モノとか、色んなジャンルあるだろ?」
「う~ん、悩んでるんだけど、私が描くのが好きなのは人とか建物とかだから、心理描写や、それに合わせた背景とか考えないといけない恋愛モノはパスかな~。
というか、少女漫画特有のあの背景ってさ、描く以前に見るのも苦手だったりするし。
あとSFモノはストーリーが浮かばん。宇宙人みたいなのも描ける気がしないし……。
ま、他のジャンルでも、ストーリー考えるのは苦手なんだけどね~」
非常に注文が多い。というかいつもの事ではあるが、朝倉は俺には何を言ってもいいと思っている節がある。
他の人には「寡黙な文学少女(ただし読んでいるのは漫画)」というイメージらしいが、俺にとってはただの暴君だ。
しかし、今言われたことから考えると、キャラ設定を妄想するのは好きなくせに、ストーリー展開が弱いのか。
となると、多少無茶しても「フィクションだから!」で押し通しやすいファンタジー系の方がいいのかな?
さすがにその言い訳は魔法の言葉すぎて、どのジャンルでも押し通せるのだけど。
でも異形物を描くのが苦手ならハイファンタジーは厳しいか。
つまり、ローファンタジーが狙い目と……。
とりあえず探す本は、ファンタジー系を中心にみてみよう。
今日の図書委員が本に詳しいとありがたいんだけど、こればっかりは運だな。
そうだ、八木先生も居るんだから何かオススメを聞いてみて、何冊か読み比べてみようかな。
そんな事を考えながら、図書委員や八木先生にアドバイスを貰い、俺は半時間ほどで、何冊かめぼしい本を朝倉の前に積み上げたのだ。
「ってことで、とりあえずファンタジー物を持ってきたぞ。
この辺の設定とか、魔法なんかをこねくり回して、ストーリー作るのがいいんじゃないかな」
「あっ! これすごい懐かしい! 魔法学校行くヤツじゃん!
映画化したのを、テレビでやってたの観た事ある!」
「定番中の定番だよな。映画のイメージもあるし、魔法の描写に使えるかと思って持ってきたんだ」
そういう俺を無視し、すでに朝倉は小説の中に引きこまれていった。単純というか、なんというか……。
どうやら今日も本を読むだけで一日が終わりそうだ。
俺も適当に見繕ってきた本を読んで過ごすとしよう。
なぁに、締め切り間近になって苦しむのは朝倉なんだし、俺はどっしりと構えていればいい。
なにせ、二次創作を嫌がって、オリジナルストーリーで勝負するって決めたのは本人なのだから。
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