静かな住宅街の一角を歩く。空には雲ひとつ無く、真夏の太陽だけが私たちを焼き付ける。
まだ午前中だというのにとても暑い。照りつける日差しに、日焼け止めも化粧も溶けてしまいそう。
「ナトさん……。こんなに歩くなら、目の前に停めればよかったんじゃないですか……」
今にも倒れこみそうな声を上げるのは、最近私が面倒を見ることになった新人、印南 翼。
少し暗めの金髪と、ひょろっとした線の細い体格から一見するとチャラい印象を受ける男だ。
けれど根は真面目だし、この暑さの中でも訪問先に失礼の無いようにと、スーツを着込んでくるような子。
ちなみに髪は地毛らしい。
「そんな事したら近所のご迷惑になるでしょ。ほら、しゃっきりしなさい! もうすぐだから」
私も暑いし、バテそうになっているけどそんな様子はみせられない。
先輩としてしっかりしないとね。
その上で「最近の若いモンは」と言う気も無い。
そんなのはもっとおばさんになってから言うものよ。
だって私まだ44だもん。……まだね。
気だけは若くいたいのだから、お小言なんて、オバさんみたいなのはナシよ。
そんな痛々しい若作りを心に秘めつつ、ある一軒の家の前で立ち止まる。
庭はなく、車が1台停められるスペースだけがある小さな建売住宅だ。
綺麗に掃除はされているが、草木などは置かれておらず少し殺風景だと感じる。
ここが私たちの目的地だ。
印南君に予備のハンカチを渡し、汗をぬぐわせる。
私も汗を拭いて身なりを整え、インターホンを押した。
「……はい、今川です」
「こんにちは。先ほどお電話させていただいた、堀口です」
「今開けますので、お待ち下さい」
落ち着いた、というよりは覇気のない返事だ。
あ、ちなみに私は「ナトさん」と呼ばれているが、本名は堀口 裕子。
旧姓の七戸を、「ナナトさん?」と間違われた事と、名前も裕子で、ナトちゃんとファンから呼ばれている大物女優と同じであることから、ナトさん呼びとなってしまった。
結構気に入ってはいるんだけどね。
そうこうしていると、玄関の扉を開け、一人の女性が現れた。
彼女は今川 由美、私がこうして定期的に会いに来る人物だ。
薄手で淡い水色の長袖シャツと、紺のプリーツキュロット姿で、玄関先と同じく飾り気のない姿だ。
肩にかかる黒髪もあいまって、落ち着いているというよりは、少し暗い印象を受ける。
痩せ気味だが、前に来た時は見るからにやつれていたため、その時よりは不健康そうな雰囲気は柔らいていた。
彼女は小さく「どうぞ」と私たちを招き入れた。
家の中は綺麗に掃除されており、一時期の荒れた様子を知る身としては、彼女の心も少し落ち着いたのだろうと胸お撫で下ろした。
小さなすみれの花がちりばめられたプリントのカバーが掛けられたソファーへ案内され、印南君と共に腰を下す。
前には飾り気のないテーブルがあり、そこへコーヒーとクッキーが置かれた。
彼女は小さな声で再び「どうぞ」とだけ言う。
私の顔を見ると、悲しみの波が押し寄せるのだろうか。
きっとあの事件がなければ、殺風景なこの部屋も花や写真などが飾られていたのかもしれない。
礼を言い一口だけコーヒーをいただき、向かいに座る彼女が話を聞ける心積もりになるのを待った。
少しばかりの沈黙。それに居心地の悪さを感じた印南君は、しきりに私へと視線を送る。
もっとどっしりと構えていて欲しいところだけど、まだ経験の浅い彼には、沈黙すら必要なものであることが理解できないのだろう。
しかし、そんな彼の若干挙動不審とも言える行動すらも味方に付けるのが、腕の見せ所というものだ。
「二人で押しかけてしまってすみません。知らない男の人が一緒では、驚かれましたでしょう?」
「えぇ、少しだけ。いつもはお一人ですから」
「この子は印南といいましてね、最近配属されたんですよ」
「印南翼です。よろしくおねがいします」
当たり障り無く名前だけの自己紹介と、名刺を差し出す。
今日は見てるだけでいいと事前に言っていたので、必要以上に喋るつもりはないらしい。
その方が私はやりやすい。
「一応私のボディーガードって事らしいんですけどね。
実際は、体よく新人教育を任されたって所かしらね」
冗談交じりの言葉に、彼女もすこし頬を緩める。
そんな紹介をされても嫌な顔ひとつせず、少し恥ずかしげにするだけの印南君は、もしかするとこの仕事に向いているのかもしれない。
先ほどまで緊張していた空気が緩んだ所で、少しばかりの世間話をしたあと、私は本題を切り出す。
「それで今日寄せていただいたのは、夏音さんの事件についてなんですけどね……」
そう切り出した瞬間、彼女の顔は再びこわばった。
それもそのはずだ。夏音さんとは彼女の娘であり、私の担当する行方不明者の一人だ。
ちまたでは“神隠し事件”などと言われている集団失踪事件。
しかし実際は、同時に失踪したわけではなく、事件は発生場所も時間もバラバラだ。
それでも最近になって急に多くの人々が行方を眩ませたものだから、何か関連ががあると思われても仕方ない。
だがマスコミの報道姿勢によって、それらがさも関係あるような印象付けがなされている。
……というのが、私たちの見解だ。
他人の不幸を飯の種にする彼らにはその方が話題性がある。
その姿勢は上部の人達にとって頭痛の種だろう。
しかし、毎日のように新たな失踪者が出ているというのは事実であり、それは警察があっという間にパンクする事態へと繋がった。
そのため警察は、失踪者の調査を専門にする特別チームを作ることとなる。
それが私たちであるのだが、やるのは捜査ではなく調査だ。
というのも、私たちは警察の正式な部署ではない。
そのため、メンバーも臨時職員という、いわばパートタイマーが多数である。
だが完全にズブの素人の寄せ集めではなく、私のように結婚・出産を機に警察を辞めた人や、定年退職後に、天下りができるほどのポストに居なかった人を再雇用するなど、必要予算を抑えながらも、それなりの戦力を集めようとした努力が垣間見える組織だ。
ちなみに印南君は、正規に採用されている警察官であるものの、出向先として出向いている。
……おそらく“使えない子”と思われて、こっちに回されたんでしょうね。
そういうわけで、私たちはワケアリの寄せ集めだ。
ま、ワケアリでも印南君は正規職員なのだから、私たちには権限のない事もできるという、一応の強みはあるけどね。
そんな私たちの仕事は、失踪者の家族や周囲への聞き込みと見守りだ。
特に見守りには重点を置かれる。
なぜそんな必要があるんだという声が聞こえてきそうだが、警察に任せておけないと探しに出た人が失踪してしまう事件も何件か起きたためだ。
そうなれば仕事量が二倍……、とはならないだろうが、少なくとも情報を聴ける相手が居なくなる。つまり、捜査の手がかりを失うことになるのだ。
何よりも、警察の捜査が後手に回っているせいで失踪者が増えている、などという記事を書きたがる記者もいるのだから、新たな組織を作り、本気で取り組んでいる姿勢をアピールをしたいという本音もあるだろう。
そういった諸々の事情から、事件の解決自体を目的とされていないものの、手伝いくらいにはなることを期待されているのだ。
そんな理由で、今川家にも定期的に訪れ、捜査に進展があれば報告し、何か気付いた事や、気がかりが無いかを聴いているのだ。
「ごめんなさいね、あまりいい報告ができなくて……」
「いえ、ちゃんと探してもらえてるのが分かっただけで、ありがたいです」
ショックを与えないよう言葉を選びつつ行った報告に、彼女は落胆の色を隠しきれていない。
けれど、それでも冷静に答えてくれた。
「警察は解決まであきらめませんから、由美さんも希望を捨てないでくださいね」
「はい……。ありがとうございます……」
「何か心配事があったら、なんでも言ってください。できる限り協力しますから」
「……はい」
彼女は、伏し目がちな目を少し泳がせた。
それを見逃す私ではない。
「何か、あるんですか?」
「いえ……。その……」
歯切れの悪い返事。それは、聞かれれば答えたい、けれど自分からは言いにくい。
そういった心境なのではないだろうか。
私がもう少し踏み込んで、聞き出してあげよう。それが私の役目だから。
「私がここに居るのは、あなたの味方になるためなの。だから、何でも言ってくれていいのよ?
もし印南君に聞かれたくないなら、席を外してもらいましょうか」
「大した事ではないんです……けど……」
ぽつりぽつりと、彼女はその胸にある引っ掛かりを明かした。
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