人々の行き交う大通りの端、電柱に寄りかかる青年。
グレーのTシャツの上に紺の半袖シャツをはおり、ジーンズの長ズボンという姿は、まったく目立たず、周囲に溶け込もうとしているようだった。
けれど、そんなステルス性能も私の前では無意味だ。
その青年に「真君!」と声を掛ければ、彼は見つめていたスマホから顔を上げ、キョロキョロと周囲を見回す。
どうやら私に気付いていないらしい。彼が今川真、行方不明になった今川夏音さんの兄だ。
駆け寄る私に「誰だこの人」といった表情を浮かべている。
「久しぶりね、元気そうでよかったわ」
「あの……、えっと……」
「堀口よ。忘れちゃった? ほら、妹さんのことで前に会ったじゃない」
その言葉に、途端に暗い表情になる。
夏音さんの事件から不安定になっていると聞いていたので、できればその事には触れないでおきたかったが、そういうわけにもいかなかった。それ以外の接点がないのだもの。
けれどそれ以外は、やつれて不健康そうな雰囲気があるわけでもなく、むしろ若干日焼けしたその姿は、ごく普通の夏休み中の学生といった感じだ。
「突然声掛けちゃってごめんなさいね。一人で何してるのかなって思ってね」
「……」
「もしかしてお友達と待ち合わせ? 夏休みだもんね、めいっぱい楽しむのもいいわよね」
「はい……」
「でも、一人きりにはならないようにしてね? ご両親も心配なさるわよ?」
返答らしい返答もなく、コクリと頷く。やっぱり急に話しかけたのはよくなかったかしら。
そんなに親しくないオバさんに声掛けられたら、このくらいの年頃なら戸惑っちゃうものよね。
だからといって、見て見ぬふりもできないのよね。立場上も、何より性格上も。
ただ、これ以上困らせるのも悪いから「それじゃ、またね」とだけ言い残し、逃げるようにその場を後にした。
「印南君おまたせ! さっ! 捜査を始めるわよ!」
「え? パトロールなんじゃ……」
「ふふん! 手は回しておいたから、これからは捜査するわよ!」
印南君と合流した私は、先ほどの気まずい空気を忘れようと高らかに宣言する。
戸惑う印南君だが、これは彼のためでもあるのだから、今回も振り回されてもらおう。
もちろん空振りになって“捜査ごっこ”で終わってしまう可能性もあるのだけどね。
ともかく森口君とのやり取りを説明した事で、彼も納得したようだ。
そして真っ先に向かったのが、繁華街の入り口に位置するゲームセンターだ。
ここは駅と繋がる地下街の出入り口にほど近く、多くの人が店の前を通る。
そして、防犯カメラが店の入り口を映すように設置されているため、自動ドアのガラス越しに、店の前を行き交う人が映っているのだ。
そのため、このカメラの映像が失踪者が最後に映ったものとなっている事が多い。
その映像の確認と聞き込みが、私たちの最初の捜査だ。
現役を退いてから経験しなかった緊張感に、私は密かに胸が高鳴るのを感じていた。
目的地であるゲームセンターの自動ドアをくぐると、その先は多くのクレーンゲームが設置されていた。
中身は人気のゲーム機であったり、到底ゲームのクレーンでは吊り上げられないほどの大きなぬいぐるみであったりと様々だ。
印南君は意外と可愛いもの好きなのか、その中のひとつを前にして足を止めた。
中に入っていたのは、大きな水色のクマのぬいぐるみだ。全長は1メートルほどだろうか。
展示されている景品を直接取るのではなく、ピンポン玉をたこ焼き機の当たりと書かれた穴に落とすタイプだ。
ただ、アームの先を見ると非常に小さく、ピンポン玉は1個乗るかどうかだし、たこ焼き機は鉄板なので、跳ね返って当たりの穴に入る事はそうそうないだろう。
その上ピンポン玉自体、プールに入っている数が少ない。
息子が小さい頃によく一緒に遊んだだけの私が見ても、取れることはないだろうと判断できるほどの難易度は、明らかに客寄せ用だ。目立つ景品が看板代わりって事ね。
そんな店側の狙いにまんまと乗せられ、なんのためらいもなく財布を取り出す印南君を見て、私は待ったをかけた。
「ちょっと待って。詳しくは言わないけど、立場上このゲームはやっちゃいけないわ」
「え? どうしてですか?」
「……色々なルールに抵触してるのよ。それに、こういう高額賞品は、普通にやっても取れないようになってるものよ」
印南君はあまり詳しくないようだが、クレーンゲームの賞品にはルールがある。
高価なものは、射幸心を煽るということで普通ならば警察から注意を受けるのだ。
それが見逃されているのは、人員不足のために手が回っていない事と、捜査協力の見返りにお目こぼしされているという警察の内情からのものだろう。
非常に残念そうにする印南君には悪いが、警察関係者として来ているのだから、それを楽しむのはよろしくない。
そういった意味合いで言ったのだが、タイミングが悪い事に店員に聞かれてしまっていた。
「やだなぁ、取れないなんて事はありませんよ?
実際に今日、相方の茶色い子をお見送りしましたもの」
「あっ……。ごめんなさいね、悪く言うつもりはなかったのだけど……」
「お兄さん、どうですか? 一度やってみてから判断されては?」
「うーん、抱きまくらによさそうなんて思ったんだけど……。今日ここに来た目的と違いますしね」
「あらら、残念。では、私のオススメを紹介させていただきますよ?」
「えっとそうじゃないのよ」
二人ともうまく丸め込まれそうなほどに商売上手な店員だが、20代前半くらいの女の子だ。
黒く長い髪がすらりとつやめく、日本的な美しさを感じさせる子で、なんだかゲームセンターのスタッフとしては似つかわしくなかった。
どちらかというと茶道などを嗜んでそうな、落ち着いた雰囲気だ。
そんな彼女に私たちがここへやってきた理由を説明すれば、すぐにオーナーを呼んできますと奥へ引っ込んだ。
けれどさっきの事があったというのに、印南君は未だにクマのぬいぐるみを眺めていた。
そんなに気に入ったのだろうか。
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