その日、俺は初出勤を前に自室でまくらに顔をうずめもだえていた。
先日の倉庫での一件、不気味な魔方陣と人ならざる者たちの会合、それに参加させられた事を思い出す。
何かとんでもない事に巻き込まれたのではなかろうか、そう考えるとベッドから起き出す気にもなれず、安置される死体ごっこに徹するしかなかった。
もっとも関わりを持たずともいずれ巻き込まれる上に、その程度の事など序章でしかなかったのだが、この時の俺は知るよしもない。
待ち合わせ場所である地下街の噴水広場。そこは8本の通路が交差する場所であり、天井はドーム状で青空が描かれている。
ベンチが置かれ地下街の中心地となっているため、待ち合わせにはうってつけの場所だ。
セーブポイントなどと呼ばれ、広く認識されているのもそういった用途に使われる理由だろう。
そこに着いたのは約束の時間の5分前だった。午後4時待ち合わせという事で、普段の俺ならトラブルがあっても大丈夫なように念のため、15分ほど前に着けるように行動するのだが、今日に限っては“死体ごっこ”で忙しかったので、俺にしてはギリギリの時間だ。
重い足どりを引きずるように歩けば、制服姿の女子高生二人に出迎えられた。あの倉庫に居た二人だ。
あの時は場の雰囲気に飲まれ気付かなかったが、二人とも高校生だったのか……。それにその制服に刺繍されている校章に見覚えがある。
それもそのはずだ、それは俺の母校と同じものだった。
「まさか、二人とも後輩だったのか……」
「最初に言う事がそれなんですの?」
「あ、すまない。お疲れ様です、今日からお世話になります。堀口涼河です」
「まーまー、堅苦しいのはナシで! それにタメ口でいいよっ! セ ン パ イ っ!」
淡い水色のベレー帽のような形をした帽子を被った子は、バンバンと俺の肩を叩きながらそう言った。
明るい子なのだが、ボブカットにされた黒髪に、赤と青のメッシュが見え隠れしているあたり、ちょっとやんちゃな子なのだろうかと勘ぐってしまう。
彼女らは軽く自己紹介し、ボブカットで帽子を被っている子が瀬戸 瑠璃というそうだ。「せるりんって呼んでね!」などと言われたが、さすがに俺がそう呼ぶのは抵抗があるのでセルちゃんあたりで妥協してもらおう。
そしてもう一人の子、茶髪ツインテールでつり目の方が白鳥 亜理紗という。
「ん? 白鳥ってもしかして……」
「そだよー。ありりんこそが、白鳥財閥のお嬢様なのだっ!」
「マジですか……」
白鳥財閥と言えば、戦前から続く名家中の名家だ。
戦後解体されたとは言え、今でも大きな力を持つため「白鳥家に勝てるのは、駐車場経営のプロである月極グループくらい」などという冗談があるほどだ。
そして、俺の就職先もその財閥の一部である。
俺のような末端も末端、吹けば飛ぶようなヤツにそんなお嬢様を付けてくるなんて、期待されていると言うよりは、むしろ嫌がらせに近い。
「財閥なんて前時代的な呼び方、やめていただけますかしら?
いまどきはフィナンシャルグループと言いましてよ」
「それ、ほとんど意味同じだよ?」
……ただ、この二人の関係性はお嬢様がボケで、セルちゃんがツッコミ役のようである。
よくあるパターンか。世間知らずのお嬢様とお付きの一般庶民。二人の間の空気は、そういった関係性を感じさせた。
いや、よくあると言っても、漫画とかそういう中での話だけど。
「それで、そのお嬢様がなんで俺なんかに?」
「そりゃ期待の新人だもんねっ! 職場案内くらい買って出るよねっ!」
「現場の視察も兼ねて、とでも思っていただければ結構ですわ」
「すんごいプレッシャーなんですが……。で、今日はなんでこんな時間から?」
「私たちも、こう見えて学生だからねっ! 学校終わってからだと、こうなっちゃったんだよね!」
「今日は案内だけですし、問題ありませんわ。ともかく行きますわよ」
そんなこんなで二人についていった先、それは地下街の人通りの少ない目立たぬ扉の前だった。
関係者以外立ち入り禁止と書かれたそれは、一見すると普通の従業員用扉のようだ。
けれど俺にはそこはかとない違和感があった。それは、いつかのダンジョンの入口に似た、あの感覚だ。
「ここから先は、口外無用ですわ」
「と言っても、いつかは公開されるんだけどねー。ま、びっくりしないでね?」
「ははは……。今さら何があっても驚かないよ。たぶん」
若干弱気で強がりな俺の言葉に「そう言われると逆に驚かせたくなっちゃうよね!」などと言いながら、彼女らは鍵を開け扉を開いた。
そこには驚きの光景が広がっているっ……! わけではなく、今まで居た地下街とさして変化のない通路が続いていた。
いや、細かく言えば違うのだが、それも店舗の有無や、壁の広告が無い点、あとは照明も最低限で少し暗い程度か。
学校や病院ほど無機質な感じはないが、言うなればビジネスホテルの廊下のような、少し落ち着いた雰囲気だ。幅はかなり広く取ってあって、扉もいくつか見える。
「あれ? ダンジョンじゃない?」
「あぁ、あれは整備前の区画だよ。ここはそれを改装した場所なんだ」
そういえば、噂話ではダンジョンを整備したのが地下街だとか……。
って待て、口外無用のはずが、そんな噂話になってる時点でダメじゃないか!
「ってことは、ここもいずれ店を入れたりするって事か?」
「いいえ、ここには他の目的がありますの」
「ま、それは案内が終わってからね! さっ、こっちこっち!」
そういって俺の腕を引っ張り駆け出すセルちゃんは、まるで遊園地に連れてきてもらった子供のようにはしゃいでいる。
ならば俺はなされるがままついて行くしかないお父さんか? いやいや、俺は高校生の娘を持つほど歳を取ってないけどな!?
そんな風に連れてこられたのは、またまた扉の前。
今度の扉は隣にシャッターがあり、室内で動かせる小型の車両なら出入りできるようになっている。
なるほど、それを見越してかなり広い通路になっていたのか。ここの区画は地下倉庫にするつもりなのだろう。
「ココが、ボクの担当エリアだよっ!」
推理する俺に高らかに宣言するセルちゃんだが、つまり彼女は倉庫番って事だろうか。
意外や意外、こう見えて運搬車両やフォークリフトなんかを乗り回すような子なのだろうか。
「へー。倉庫にしても、けっこうデカいな」
「おっ、なるほどー? ま、中見せちゃおうかなっ!」
「なんだなんだ? もったいぶってるな」
「まー、見てもらえばわかるよっ!」
そういって扉のセキュリテイを解除し開けた先、そこには今度こそ驚きの光景が待っていた。
「どうよこれ! すごいでしょっ!」
「お……、おう……」
一歩踏み入れた先、それは現実離れしていて俺は言葉を失っていた。
なんたってそこにあったのは、夕焼けに染まる田園風景なのだから。
一面の田畑、そして茅葺屋根の集落。
稲穂は金色に染まり、実りの重さに頭をたれている。畑に実る野菜も、いまかいまかと収穫を待つように整然と並ぶ。
トンボがそれらの上を行き交い、カラスの鳴き声まで耳に届く。
日本の原風景として紹介されそうなそれは、いまだにこんな場所があったのかという驚きもあるが……。
それは、ここが地下であるという現実を忘れさせるほどだった。
「いや、ちょっと待て! ツッコミ所が多すぎる!!」
「でしょうね、わたくしもこれは無駄だと思いますの」
「えー、いいじゃんいいじゃん。田舎暮らし憧れない?」
「憧れるのは結構。けれど現実は厳しくてよ?」
「そこじゃねぇ!!」
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